北陸5 ─ 第3回北陸海岸紀行

2008年8月

  憧れがあっても実際は暑くてしんどいだけの夏、でも出かけておかないとという思いに毎年捕捉されて、今年もまた雨季のうちに心の準備を調えて7月を迎え、浮き足立っていたら、絶望的な報せを受けて久しぶりに潮(うしお)絞らされた。取りやめるかやめないか、それどころではない次元になった。
  それから1週間、このどうしようもないことに思い余り、またこうしていてもこの気団の次来るのは1年後だと気分が切迫するばかりになって、お盆の出かけやすい雰囲気に力を借り、思い切って出立した。しかしそれにしても、毎年夏になると必ずへんなことが起こるな。でもジンクスというより、どうも生存していることの確認をほかの季節以上に取りたくなることや、それを確認するにほかの季節以上に力が必要なことが、ただでさえ大きかった感情の落差に輪を掛けたところがある感じだった。みんなもきっとただ何気なく遠出しているわけではないんだろうな。できるうちに夏を征服しつづけたい。その気塊の中で主役になりたい。

  茜差す米原行きは始発なのに普段よりまちがいなく空席が少なくて、夏休みだった。冷房で旅の第一歩の緊張は高まり、二つ続きの席の端に一人で座っている人の横に掛ける。近江大青田は6月の晴れたときとは違って、すでに日の出遅く柿色に暗く照し出されていた。

ここから旅を開始した。

琵琶湖線の車窓から。

この辺りもやがては宅地に変わるのかもしれない。

湖上に直線状に雲が浮かんでいるのは、夏の朝によく見る気がする。

  米原に着くころには光はいよいよ眩しく、気温はぐんぐん上がる、道分かれの雑踏、乗り場ではショーケースにアイスを売っていて夏の風物詩だった。やはり北陸線より東海道線に乗り換える行旅人が多く、この暑いのに東海道のどこにいくんかな、と、人群れを見ながらそれぞれ目的の違うことを実感する。もとい、東海道の方がその先 道が分かれるからだろうけど。

米原にて。橋上化の工事中だった。

右、金山行き。かなり遠いところまで行く。JR東海の車両。

 

敦賀行き。直流化で自治体が入れたこの車両にも慣れた。

  敦賀ゆき、新製の二両はジャージを貫頭したいろいろな高校の部活通いの子らが占めている。そこに大人の旅行者が入りこんでくるわけだから体を押し合うことになった。部員たちは低い声の雑談のさなか、奇特なものをおもしろがって見るかのような視線を投げかける。

  彼らも夏季は毎年のこうなるのを知っているから、こんなふうな車内の光景を思い浮かべ飽き飽きしつつ、家を出、その直後にもう汗をかいてうんざりするのかもしれない。
  夏の日差しにいっそう青らまされた単純な田圃、痩せてとくに見どころもない山容の湖東山地が映るドアの窓を背に、とりとめもない話をしつつ活動着を纏って休みの日もスポーツをしに学校へ向かう。それはせつないほど健康的に捉えられた。聞く放送はいつも同じ駅ばかり、同じ車両に、同じ成員。けれどこうしていながらも新鮮さや充実感を得られ、気づかぬうちに物語が紡がれるようだった。でもそういうのも、野心や未来も感じているからこそというのもありそうで、単独行なんか見ても、「一人旅なんか何が楽しいの」とわらっていそうだった。

  長浜そして、木ノ本で、部活通いの子らと、大きな鞄が床からとうとう消え去った。県境はまだ先。しかし下りでは、ここが通学生の峠手前になる。下り通学の彼らはたぶんこれより北に行くことは多くないだろう。平常はここ木ノ本を過ぎると客室は四、五人になるけれど今は盛夏、全席自由な身なりの人たちの着席のまま、塩津を過ぎ深坂峠を越え切って、全員で日本海 波打ち寄す真夏の敦賀へと突き抜けた。

敦賀にて。

  大きな荷を肩にかけた人々とともに、朝日のもと、古いコンクリートに足を摺って、何十年も前の急行車両に乗り換える。この乗り換えは小走りでないと間に合わないのをみながよく知っているのは、周りを見ればわかる。ドアのところまで来ると歩く速さを落とし、呼吸を調えつつ車内に上がったら、まだ落ち着かぬ吸気で古い匂いが鼻を突く。立ち客はおらず、みな朱色のモケットに収まった。敦賀で降りたということもあるし、三両だということもある。いかにも北陸線に乗りに来たというような旅人は少なく無く、シャッターの音も聞こえて、奥手だった私にはお盆はやはり出かけやすかった。

  こうして運動体としての乗り換えの人々や、気概にあふれた同輩に もまれると、もう出発前のあの絶望的なことはすっかり考えなくなり、なんだか、「すんなりごくありふれたようにお盆に出掛けられたな」 とさえ思えてきていて、それには自分でも静かに驚かれた。ともかく、別の土地に身を置いて、見知らぬまちを訪れて、夏の日差しに灼かれ、健康的に苦しみ、できるだけ微笑したい。

  敦賀駅を出るとすなわち敦賀を出ることにもなる、というのも、すぐに北陸トンネルが控えているから。山の濃い緑が煌めいたと思うや坑門に入り10分も山土に潜る。耳を聾するこの轟音は誰でも忘れられない。切れんほどに唸り上げるモーターの男性的な悲鳴、石板を割り続ける音が、坑内に延々と反響して耳をつんざく。いつもこのトンネルは憂鬱だ。特急ならもう少しましなのだが。回ってきた車掌も夏休み客にうんざりしたか検札はしなかった。

旧急行のデッキ。ここはもう耳が痛くなる。 右手に使用不可にされた洗面所がある。 高校生が化粧したり、鞄を置いて漫画を読んでいたりしたこともあった。

右の扉がトイレ。これが北陸の通勤・通学列車(2008)。

  今庄に不思議に現れる魅惑的な雪国を過ぎて、鯖江や武生に出ると、もう西の匂いは少ない。異郷の福井に着き、ここでさらに乗り継ぐ。ほとんどの人は福井で降りて、客は減じ、のんびりした車内となった。気づくと時刻は午前9時前、もう出掛けの客だけの時間だ。

福井駅にて。

街がちょっとだけ見えた。

 

  さて、少し長く乗車し続けた。このあたりで一つ早めに降りたい。福井近郊の春江。高架を下りながら想うその地を太陽は幾重にも包(くる)んで暑苦しいが、もうそんな詩情の齟齬は吹き飛ばして汗腺を広げたかった。

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