夏の北陸本線海岸紀行-青春18きっぷを使って-
旅行記の続き
3日目
名立区へ
夜中の4時台に何度かめが覚めた。間違いなく体は疲れているのに、
こんな時間に目が覚めるなんておかしい、と思った。
いやな気持ちになって、なんとか再び寝付こうと繰り返す。
5時50分に起床。もうとうに日が昇っている。
ナイトパネルのアラームはかなり大きくて、助かった。
そういえば昨日の晩も試しに鳴らしたのだろう、隣の人のアラームが聞こえていた。
窓からの朝の風景
夜中に何度か目を覚ましたことや早く寝付けなかったことで
疲れが取れていないかもしれないことに不安を感じ、
有間川駅まで歩くのはやめるかもしれないが名立に行くのは悪くないだろう、
と思うようになり、歩く行程はほとんどやめる気持ちになってしまった。
朝から荷物をかき回さないために準備していた服に着替えて、早速朝食をとりはじめる。
部屋に冷蔵庫があるのだが、これが全然冷えていない。冷たい飲み物が欲しかったので、
エレベーター横の自動販売機でキリンレモンを買う。
実は昔からジュースはキリンレモンが好きで仕方がない。しかしまさに買った直後、
横を見ると氷のサービスなるものがあって、悔しい思いをした。
ここで氷をもらって冷えていない昨日の茶に入れればよかったのだ。
机の上にあったロックグラスはルームサービスで用いると思っていた。
さっそく部屋へもどって容器を片手に再びそこへ行って氷をもらって帰ってきた。
買ったジュースはいま冷たいうちにここで飲む。
グラスにキリンレモンを注いで砕かれた氷を入れて飲んでいくと、少しずつ氷が解けて
量も増えるし、味も薄くなったりして楽しめる。
その後、朝食のざるそばを氷で冷やした茶と共に食べた。
朝食のざるそばとパン、この日の行程が最も疲れるからこれだけ食べる。
忘れ物がないか何度も確認して、チェックアウト、直江津駅南口へ向かった。
ホテルα-1上越を東に離れて。
ホテルの駐車場のある方から出て、ホテルの作った地図のとおりに団地を抜ける道をとった。
駐車場はきのうチェックインしたときとは違い、ほぼ満車だった。
線路に出れば、あとは線路に沿って進むだけ。南口へ着いた。
自転車置き場にはたくさんの自転車がとまっており、
ついている小ぶりな屋根は雪対策だろうと思う。
構内を渡る跨線橋。朝の光がたいへんさわやかだった。
改札口で今日の分のはんこを押してもらい、0番線と1番線のある最も北側のホームへ降りた。
水色の屋根に朝日が映えている。春先には白い雪がこのように日に照らされ雪解けしさぞ美しいだろうと思った。
屋根、柱の根元、椅子、貨車が水色で、ちょっと異様だが夏らしい駅だ。
とにかく貨物列車が多い。貨物時刻表を見てみたいものだ。
向こう側に見える窓の四角い列車はほくほく線の列車だ。
始発列車がやって来たが、なんとなく乗らないことにした。
もうすこし直江津駅を見たかったのかもしれない。
始発が行って人は少ない。
始発の次の電車は7時19分なのに、さっき列車の出た0番線付近には時間が近づいても人が少ない。
そんなものかとおもっていたら、次の列車は先ほどの切り欠き式0番線からではなく、
1番線の橋上改札への階段付近に列車は停まるのだった。
そこにはもう人の山ができていた。やはり高校生が多い。
よく考えたら、おおよそ7時台の上り(糸魚川方面への)列車はさっきのとこれで2本、次は8時15分になるのだから
この列車が混まないはずはない。さっきのに乗っておけばよかったと思いながら乗り込む。
しかし乗っているのは名立までで14分だ。
発車してから周りを見回しても立っている人はいない。やはり3両でちょうどよいのだろうか。
海を背にしたロングシートから立ち上がり、名立で降りた。
降りたのは自分を含めて3人ぐらいだった。一人ホームに残り、名立駅を満喫した。
駅名標と駅舎の一部。出口に置かれている金網は雪の日のための滑り止めかもしれない。
直江津方面を望む。名立駅の写真の数枚の写真が感度の設定ミスにより良くないものになってしまった。
この頚城隧道の中に筒石駅がある。
名立駅のホームは県道と名立川の上に架けられた橋の上にあり、ホームの西側の部分は
まさに川にかかる橋だ。
左手に見える星船のようなものがある所が名立中学校。
ホームから北側を望む。名立谷を跨ぐ北陸自動車道の高架橋と風車。
名立町は2005年1月にほかの町村とともに上越市と合併した。
旧名立町はすなわち名立谷で、南進して谷に深く進み峠を越えると旧新井市に出る。
駅舎を出た。
駅舎の外観。以前の「JR西日本名立駅」という看板文字が取られて、
新しいものに置き換えられている。プランターの花が駅舎に華やかさを添えている。
駅前広場には屋根つき駐輪所、名所案内の大きな看板があった。
この駅の時刻表をメモするのを忘れるところだった。
戻って写していると、駅員さんが「お客さん、時刻表はご入用ですか?」と尋ねられて、
この付近の駅の時刻表をくださった。
糸魚川から直江津までの時刻表。紙の下にJR名立駅と印刷されてあるから
ここでしかもらえないかもしれない、と思うとうれしい。
今日も日差しがきつくなりそうで、じわりじわりと暑くなってきている。
日焼け止めクリームを塗りながら名立川畔のサイクリングロードを歩いていった。
日を遮るのは高架橋ぐらいで日陰がない。だいたい15分ぐらいで海が見えた。
正確に切られた白のコンクリートと空の色、そして海があるのが大変美しい。
コンクリートの河畔に下りて、河口先端まで行った。
河畔に薄っすら残された泥にキャタピラの跡がついていたり、かんからかんになった流木が転がっていた。
この日は雲ひとつない日だった。
河口から見た景色。上から順に西、北、東。右の3枚目の風車は「うみてらす名立」のもの。
海の汀。石ころが多い。水がきれいだ
しばらく海を眺めて、8時過ぎ、うみてらす名立へ向かった。
うみてらす名立は魚介類の買い物、食事、プール、温泉、宿とすべてそろっている。
この時間帯は開いていないと思っていたし、計画でもここで特に遊ぶわけでもなかったから、
建物や周辺を見に行くだけ見に行ったという感じだ。
東に向かって国道8号線の右側の歩道を歩き、バス停の後ろの方にある地下道の入り口へ向かう。
はじめこれがなかなか見つからなかった。確かに向かい側には地下道の出口らしきものがあるのに、
こちらの入り口はどこにあるのだろうと。
地下道で国道の向かい側に渡り、まず風車とそのあたりを見に行くことにした。
しかし見に行くために横切ろうとする駐車場にロープか張られている。
開館前だから駐車場にロープを張ってあるだけだろうと、そのときは思った。
ロープのないところを通って敷地内に入った。
うみてらす名立の西側にあるポケットビーチ。
このあたりは海水浴場がないので遊び場として作ったのだろう。
転がっているバケツが夏の思い出。
風車の根元、小さな丘の向こうは晴れやかな海。
右に写っている建物がうみてらす名立です。
しかし立ち入り禁止の看板が目立ち始め、しつこくロープが張ってあるので、進むのをやめた。
なぜだかまったくわからない。一旦国道へ戻った。
鳥ヶ首灯台へ行こうかどうか考えながら道路の延びる東の方を見上げると、
なんと鳥ヶ首灯台が見えた。思ったより距離は近そうだが、
あの登り坂は尋常ではないと思い、次回、ここを訪れるからそのときには必ず行こう、
ということにしてしまった。
国道から鳥ヶ首灯台を望む。周りにさえぎるもののないことがよくわかる。
そのすぐ近くに名立谷浜サービスエリアがあるはずだ。
うみてらす名立から南の方にある山。あまり注目されなさそうな里山だ。
相当きつそうな道がついている。右手には風車も見える。
うみてらす名立には入るため、今度は正面入り口へ行った。今度はロープもなく敷地内に入れた。
しかし案の定、まだ開館はしておらず準備中だった。建物には夜間入口というものもあった。
その近くにはレストランの裏口があって、傍には
ステンレスの大きな棚が置いてあり、魚介類が入っていたであろう
発泡スチロールの箱や、サザエの殻がいくつもまとめ置かれていた。
正面入り口の前を通過して、海側へ向かう。海岸はコンクリートで護岸されており、
その前には巨大なテトラポッドが積まれてあった。
テトラポッドはまさに人工の巨石巨岩だ。
風力発電のための風車もあることから考えて、この辺は冬になると
大荒れするのだろうかと思った。しかし今は夏、名立の海は極めて美しかった。
うみてらす名立の海岸から名立漁港を眺める。先端には一人釣り人がいた。
もう名立漁港が隣に見えているので行くことにした。しかし、
うみてらす名立の海岸から名立漁港へ行こうとしても、深い水路に隔てられていて無理だ。
少しだけ遠回りをして漁港に到着。言うまでもなく船はもうすべて出ている。
置かれた網が、漁師たちの帰ってくるまでの時間を止めているようだ。
ひっそりとした漁港。しかし生活の営みが感じられる。空も美しい。
近くの信号にはこんな異変が起こっていた。
突風でこうなったか、太陽の光の都合で意図的にされたのかわからない。
この国道を自衛隊のジープが何台も通過するのを見た。
うみてらす名立にやってきて1時間弱たった。
まあまあ歩きもしたし暑くもなってきたので、うみてらす名立の待合室へ行く。
うみてらす名立の建物の遠景。風車の羽も写っていました。
ここは冷房が効いていて涼しかった。
しばらく椅子に座って茶を飲みながら涼む。あと10分ちょっとでレストランなどが開くのだが、
開店前にここで待っている人はいなかった。ここにコインで動く乗り物があったことから、
子どもたちもたくさん来るのだろうと思った。
待合室内の様子。魚の焼き物が壁に張られて美しかった。
ひとつひとつ違っていて、色合いもおもしろい。
あと約20分で9時23分の列車が来るので、駅へ向かうことにした。
このあとの予定では、青海川駅で降りて鯨波駅まで歩くことになっている。
名立駅から有間川駅への徒歩の行程を省いたため、次の予定にはかなり意欲があったのだが・・・。
駅へ行くついでに名立の集落を通ってみた。
人家のある見知らぬ道を歩くのもまた楽しい。古い牛乳屋もあった。
汗をかきながら再び名立川沿いを歩いて駅へつくと、少しずつ人が集まってくる時間だった。
19ぐらいの女の子が駅舎で、スーツを着た若い男性に出会い、
「しいちゃん!」と声をかけられた。久しぶりの出会いというより、
以前学校で親しかった者どうしの思いがけない出会いらしかった。
そのあとのことは、私はトイレへ行ったので知らない。
しかしいろんな想像を掻き立てられる。こんなことをここに書いていいのか不安だが、
たぶん大丈夫だろう。なおトイレは大変きれいに保たれていた。
階段へ上がって日差しの強いホームで待つ。ほかには5,6人の人が待っていた。
この駅には4線が通っていて、うち2本はこの駅で停車するためのものだ。
列車は優等列車を待避するかのように脇の線路にとろとろと入線してきた。
青海川へ行くつもりが・・・
寝台列車として活躍していたときを想う。寝台列車のもつ重厚さはもうない。
いつのまにかこの列車の方向幕を集めていた・・・四角いところが好きだ。
15分足らずで9時37分直江津に着く。
そしてここで、失敗した。
次ぎ乗る予定の9時41分発・新潟行き・快速くびき野3号に乗らず、
9時44分発の高岡行きに乗り込んで、逆戻りしたことに気づく。
長岡と高岡を勘違いしたのだと思う。
たぶん、名立駅で有間川まで歩く予定を取りやめたため、
それ以後の計画のことを無視し始めて、あとは新潟方面へ下っていけば問題ない、
とかなり気を抜いていたことに原因があると思う。
快速くびき野のことをもっと意識していたらこんなことにはなっていなかっただろうに。
気がついたら快速くびき野号に乗る機会を逸していたという感じだ。
間違った列車に乗って、自分の計画書がびりびりと破れられる音が聞こえ、
なぜ空間を移動するのに時間が必要なのだろうというようなたわいもないことが
頭の中でぐるぐる回り始めて、思考停止状態に陥ってしまった。
直江津駅に在りたい自分の体が、この列車によってばらばらに離されそうな気持ちから逃げ出すため、
9時50分、とにかく次の谷浜駅で降りた。なにもこんな駅で降りなくても糸魚川まで行けば、
何とかなるのではと思う人もいるかもしれないが、時刻表を読むとやはり予想通り、
どうやっても失敗を取り戻すことはできなかった。
谷浜海水浴場を見て、ぶらぶらしたら1時間ぐらいなんとかなるだろう、
と思いなおすことができた。この失敗でつぶれた計画は新潟市内の観光だけである。
しかし時刻表によると次の列車は11時23分、
1時間半もある。しかも駅の跨線橋が工事中で騒音が発生しているため、
涼しい駅舎でゆっくり過ごす夢は打ち砕かれてしまった。
とにかく谷浜海水浴場へ行くことに。
谷浜駅の駅舎内。このような窓口が実際に使われているところを見てみたい。
看板がもうさび始めています。
駅の近くから上れる薄緑の跨線橋は線路だけでなく国道8号線をも跨いでいて、
直接海水浴場へ行くことができるようになっている。
9月1日でシーズンオフだが、暑いので
まだたくさん泳いでいる人がいると思っていたのに、いなかった。
地元の子ども数人が駅から離れたところで泳いでいただけだった。
近くには民宿が立ち並ぶ。
海水浴場の入り口。左の建物が監視塔で右は閉まった店。
このような美しい砂浜が延々と続く。
海に流入する河川。雨が降ったらその表情は一変するだろう。
そして川は海へ。向こうから流れてきた藻類の屑はまさに海の藻屑となって消えていった。
30分足らずで帰ってしまった。
再び谷浜駅に戻る。工事はまだ続いている。駅前の道を進めば郵便局があって、
その横の自動販売機で冷たい茶を買って飲んだ。暑くてのどが渇いたから。
また、時間があるので駅の写真を撮った。
駅舎としてはちょっと不恰好かもしれない。屋根の右に階段がついている。
直江津方面行きのホーム
糸魚川方面行きのホーム
駅名標と海。このように海に近い。
左上:直江津方面行きのホームの待合室。中には除雪機があった。
側面を撮ろうとするとこのように柱が入ってしまう。
左:トワイライトエクスプレスの通過。時間からして回送列車だと思う。
列車が来るまでほんとうに待ちぼうけた。涼しく静かな日陰の跨線橋の上で本を読んだ。
跨線橋の床は正方形のコンクリートが埋められており、一体幾人の人たちがここを踏み、
海水浴に出かけ、そして疲れた表情の中にも満足した、楽しかったらしい様子をうかがわせながら、
またここを通り、列車に乗って帰っていったのだろうか、と考えた。
往来で角が磨り減り、川砂利がむき出しになりかけた敷石を見ると、
ここにも人々の無数の思い出が刻まれているのだろう、と思った。
やっと列車の時刻が近づいたので、ホームの小さな白い待合室に入った。
特急列車が高速で通過する谷浜駅に、来たか来ていないかわからないような静かさで、
しかし近づくにつれてコトコトとこもった音をたてて3両編成の各駅停車列車が入線してきた。
車内に入り、海に向かっているロングシートに腰を下ろそうとすると、
目の前のロングシートに20代後半の女性が沓を脱ぎ膝小僧を抱えて
背後の車窓の海に首をひねって見入っているのに気づいた。
お互い良い旅を。
いよいよ青海川駅へ
11時29分直江津駅に到着した。谷浜駅から6分だ。
行き先表示によると、次に乗る列車長岡行きは12時16分発となりそうだ。
コンコースやホームにはたくさんの旅行者がいて、駅弁が売られていた。
いったん改札を出て待合室で休むことにした。
売店や大きな画面のテレビがあり、座席も豊富だった。
コンコースでは駅弁が売れて、待合室も混雑し、お昼だというのに駅は活気づいていた。
この日は9月1日で、大人の青春18きっぷ旅行者が多いのかもしれないと思った。
乗る列車が入線したというので、ホームへ下って乗り込んだ。
もうだいたいは座席が埋まっている。地元の人もいたが、
駅弁を積み込んだおばさん連の旅行者も見かけた。乗った列車は白地に緑と黒のラインの
入った3両編成だが、冷房の音がひどく大きくて、気分が悪くなるほどだった。
もしかしたらもう少し音のましな車両があったかもしれない。
走り出すとなんとか気にならなくなった。
コンパートメントにはだいたいグループで座わっているらしく、
また急行型のコンパートメントの狭さが少しいやになり、
一人身の自分は海を背にロングシートに座った、あとは静かに到着を待つだけ。
暑い中、谷浜海水浴場で荷物を持ったまま歩き回ったり、長時間待ち続けたりしてもう疲れ
始めていたのかもしれない。それに今朝は6時起きだった。
37分後の12時53分、青海川駅に到着。降りたのは自分だけだった。
思ったより駅が平明で親不知駅で味わったような感動がない。
今回は駅ではなく駅間を歩くことが目的だったこともあるかもしれない。
さて、これが、青海川駅の写真だ。
どうやら、この跨線橋は最近改修しなおされたばかりのらしくて、まだきれいだった。
駅付近は保線されていて、駅舎へ行くと、保線の人たち休憩されていた。
ちょうどそばを通り過ぎるとき、「高校教師?・・・ああ」と話し合っているのが聞こえた。
この人たちもあまりこの駅には来ないのかもしれない。
駅舎を出て、海水浴場を見行こうと思った。はじめ道がわからなくて、
谷の奥の集落の方へ下る道に入っていった。海水浴場はもう少し東にあると思い込み、
米山大橋の見上げて見える東端に一旦登らなければならないと思ったからだ。
東端の山には付きまとうようなきつい車道が見えている。左手には川が流れていて、
台風で橋が流されたために仮の橋が掛けられていた。少し谷に向かって進むと、
右手の山に神社があって、津波のときの避難場所の看板が立っていた。
これはインドネシア沖地震ののち、制定され設置されたものだろう。
それにしてもこの道から米山大橋のかかっている山に行くのは大変だと思い、
引き返しているとき、青海川海水浴場への道を見つけた。
線路に沿って東に進めば行くことができる。調べていなかったので、
海水浴場が駅のすぐ裏にあるとは思わなかった。
国道8号線が通る赤い米山大橋。青海川駅がこの谷の海辺にある。
駅へ戻ります。海水浴場へは向かって右の道です。よく見ると看板も出ていた。
この道を進むと線路をくぐるトンネルがあります。
このトンネルを抜けると・・・
夏の海。青海川海水浴場。
上の写真のように、小石の多い浜に水色のボートが並べてあるが、
海水浴場にボートは珍しいと思った。
ボートと遊泳者が同時に海水浴場にいると遊泳者にボートがあたるということは
心配ないのだろうか。そばにあるショベルカーはなんとなく風景の不安の要素だ。
台風の際に活躍するのだろうか。なおご覧のとおり、遊泳している人は誰もいない。
「谷根川」と日本海の合流。残念ながらこの川は「青海川」とは呼ばれないようだ。
この上流には谷根ダムがある。向こうの岬が鴎ヶ鼻(かもめがはな)。
注:実際の漢字は「鴎」の区が「謳」の右側(つくり)になっている。
以後便宜上「鴎」を用います。
このあたりは小石が多く、谷浜とは全く異なる趣を見せている。
一日に異種の浜を見ることができた。
ちょっと見て駅へ戻った。小石の混じった荒いセメントの階段が良い感じを出している。
帰り階段を上って駅を眺める。断崖に建てられた家々の左上方の橋は米山大橋だ。
青海川駅のまともな写真を一枚。
東から青海川駅を望む。ここを離れていよいよ鯨波へと向かう。
私がここに着いてからしばらくしてやって来たカメラの青年が写っていた。
鯨波へ
もう一度海水浴場への道を辿って、自然歩道として掛けられた谷根川の橋をわたり、
ちょっとした山を登っていく。これが相当急な道で傾斜30%近くもありそうな箇所もあった。
荷物もあり、気温も高く、雲ひとつないので暑くて大変そうだ。
登り始めて振り返ってみる。まだ標高は低い方。
妙なトンネルを見つけた。
まだ登り続けています。この辺がかなり急だ。
さっき振り返ったときの写真と比べればわかるように、かなり登ってきていることがわかる。
真ん中左下あたりに自然歩道の橋が見える。
到達点です。丸い石によると湯殿山、羽黒山というらしい。左に自然歩道の標柱がたっている。
一度ここで沈む月を見てみたい。手前の道路は少し古い道らしい。行ってみたかったがやめた。
暑さもあって疲弊した体を引きずるようにして国道8号線へ出た。
このあたりはドライブインになっていた。右手は道の駅。
ドライブインの一角。みやげもの屋、鮮魚店、レストランなどが並んでいる。
ドライブインは海側にのみ形成されている。
少し長い下り坂の長大なドライブインがなくなる頃に、鴎ヶ鼻へ行く道に着く。
鴎ヶ鼻まで1.2kmと自動車用の案内看板にある。もちろん行ってみることにした。
早速上り坂で厳しい。「恋人岬」なる名称をふった巨大な看板もカーブにかかっており、
いやな予感がする。あまりに気温が高く、多量に汗をかき、
登っている途中で気分が悪くなった。ほとんど休みなくぬるい水分を取りはじめた。
ピークに到着。ここまで来る間に何台か自動車がそばを通り抜けていった。
先端にあるレストランに行くのだろう。レストランのおかげで終末まで良い道はついていそうだ。
左に写っているのはレストランの看板の裏だ。また近くにJRコンテナが一つ置いてあった。
上の写真付近から。大海原が広がる。ところどころ斜面に松が成育し、海はすっかり凪いでいた。
海水浴場のような親しみはなく、人気のない道から眺める広々とした大海原には少し怖さを感じた。
こののちはひたすら下り坂で、これを登って帰るのかと思うと本当にぞっとしたほどの
下り坂だった。きつい下り坂であたまがぼうっとする。
所々道の脇に無造作に作られたレストランの駐車場があった。また、電柱の字名表示には
「シーガル」とあった。この先のレストランの名だ。
電気もなかったので引っ張ってきたらしい。
鴎ヶ鼻に着いた。きちんと整備されていて、岬を囲っている柵という柵には、
男女の名前の書かれた桃色のハート型のプラスティックが南京錠で
びっしりくくりつけられていた・・・。
そこに書いてある一言メッセージは岬と同じぐらい見ものなので是非読みたいものだが、
ここに着いたときはもう何の気力もなく、帰りはどうするんだ、ということばかり考えていた。
とにかく暑い。汗をかきすぎた。近くには、この南京錠やハート型を売るプレハブがあったが、
今は閉められていた。岬に居合わせたのは家族連れ一組ぐらいだったが、
レストランの駐車場には割りと車が止まっていた。お昼時だからだろう。
崖下に下る道があるはずなのだが、見つけられずうろうろし無駄に体力を消耗してしまった。
間違って獣道にも入ってしまった。とにかく引き返すことに。
くだんの下りを登って帰る。もうほとんど鯨波駅のことしか考えていない。今思えば、
この起伏の激しい真夏の2.4kmの行程が失敗の元だった。再び、
JRコンテナの近くまで来たときは、身体に危険を感じて、
さらに汗をふき取り日焼け止めクリームを首筋や手に塗り、一気に水分補給をした。
ずっと坂道か日陰のないところで休めない。
お尻は水溜りにしりもちをついたようになっていた。こんなところで倒れたら大変だと思って、
気を持ち直し、なんとか国道8号線まで戻る。ふだん真夏の日中に外を歩き回らないのだから、
こうなっても仕方なかったが、これはすべてが予想外だった。
岬の下へ降りる道を下調べしていたらちょっとは気分も変わっていたかもしれない。
里といえども無計画はよくなかった。
さて、近くの店にトイレ休憩。茶を買って鯨波へ向かおう。
鯨波駅に着いてからわかったのだが、予定していた歩く道は中部北陸自然歩道の一部だった。
東海道自然歩道を念頭に選定されたという。
ということは楽なハイキングコースばかりではないということだが、
日陰のないことを除けば、この辺はきっとまだ楽な方なのだろう。
進む中部北陸自然歩道はこんな感じだ。
視界が開けはじめる。左手に見えるのは薬師堂海水浴場。
このあたりの線路を、保線の人たちが巻尺を持ち、脇の茂みを棒でつついて何かを探索していた。
しかも調査中にはピーピーという警告音が鳴っていた。それはともかく、
はやく駅について休みたいという思いがあって、上の写真の道の向こうの方に見えている
歩道橋を、鯨波駅のものであってほしいと思い始める。もちろんそんなに近いはずはなく、
これは海水浴場へ行くためのものだった。だいいちホームも駅舎も見えないじゃないか。
鴎ヶ鼻に行かなければ、距離としてはもう鯨波駅に到達しているのだから、
そんな望みを抱いておかしくはないと思いたい。
薬師堂海水浴場の西側。やはり誰もいなかった。
列車の車窓から海水浴で賑わっている様子を見てみたい。
奇岩が続き、磯遊びもできる。真ん中に見えている岩がたぶん「城ノ腰岩」と呼ばれる。
やはり誰もいなかった。
遠くにバス停見えた。ここでバスに乗って駅へ行こうと、歩きながら考えたが、
どうせ長い間待たないといけないだろうと思い、まともに時刻表も見ず通過する。
それに目標達成の意思も少しだけあった。しかし、バス停を過ぎて数分も経たないうちに、
後ろからバスが自分を追い抜いた・・・。このときはかなり悔やんだが、今振り返ると、
やはり歩きとおしてよかったと思っている。
歩道橋を過ぎてからはまた上り坂になる。暑い中ただ歩くことに徹して、
登りきったところで鯨波の集落に入った。
小さな看板ではあるが、「鯨波」を示すためにわざわざ立てられているところを見ると、
この地名の重要性を感じる。
1468年の文献にこの地名が載っているのが最古だという。
この坂を上りきった新旧国道の合流地点が鯨波集落の発祥といわれているそうだ。
鯨波に入ってほっとした。これでもう駅も近いと思った。
なんとなく旧道の方が駅に直結していると思われてそちらを選択する。
景色よりもそんな理由で選択していた。左脇に断崖の民宿を見て、
カーブを進むと西鯨波海水浴場が現れる。この海水浴場のために歩道橋が線路にかけられていた。
鴎ヶ鼻のときのような思いをしそうで、行くのをやめる。今思うと行きたかったが、
やはり体力的に無理だった。
素朴な入り口。適当なコンクリートの塊や木材やポールが並んでいるのは海の人の感性によるものだろうか。
また鯨波保勝会というのがあるらしい。右手の松が陸に向かって反っています。
また徐々に登りになっています。上の写真の入り口を過ぎたところ。
いよいよ鯨波の集落に入っていく。途中の商店前の自動販売機でまた茶を買った。
車も人もほとんどなくて、少し不安になってきた。線路が見えないため、
知らず知らずのうちに駅を通り越したらどうしようかという思いもあった。
地図を見てこなかったのが決定的に悪い。
鯨波の集落。越後交通のバスが通っています。
民宿の看板。薄緑の「鯨波三丁目6」という町名表示もいい味が出ている。
暑さに耐え切れず、道の途中で休んだ。別に暑い恰好をしているわけではないのだが・・・。
背負っているリュックの中まで汗が浸潤し中の地図が変色していた。
新潟駅に着いたら、とにかく温浴施設を何としてでも探し出してバスに乗ってでも
行かなければ、と思った。
早く鯨波駅に着くため、また歩き出す。少し歩くと、ふと、右手にこんなものが。
これは鯨波駅だ、あぶない、通り過ぎるところだった、と思い民家を縫うセメントの細い道を
勘で進み、寺の脇を通って国道に出る。これでやっと休息できる、一旦ここでゆっくり休んで、
汗でずぶ濡れた体をどうするか考えようと思った。しかし着いてみるとそれは駅ではなく、
地下道の入り口だった。いま写真をよく見てみれば、すぐ鯨の建物の近くに道路が
走っているのがわかるし、その近さから言って線路のための幅はありそうにない。
おそらく、もう平常心ではなかったのだろう。
その真横を通り過ぎるときは、うなだれもしなかった。しかしこんなたいそうな彫刻を
屋根にのせるなんて、よほど「くじらなみ」にこだわりがあるのだと思った。
なおこの入り口は補修中だった。
気を取り直さず、そのまま惰性で歩く。とにかく一旦旧道に戻るため、
次の交差点で左に折れる。
鯨波食堂や鯨波地域を示した看板。この地域を歩いているとごく頻繁にこの地名の看板を
見かける。見えている青の方向案内の出ている交差点で左折した。
左は「柏崎マリーナ」とある。
この交差点の左山手に大きな温浴施設を見つけたが、行かなかった。
ここで行動に踏み切れるかどうかでこれから旅の快適さも変わっただろうに。
左折して交番前を通ってJRのガードしたにぶつかったところで右折し旧道へ入る。
そうしたらなんと、本物の鯨波駅が現れた。
倒れそうな中、駅を発見。
旧道を振り返って。
見えているゆるい上り坂を経て駅前に到着した。2時50分だから、
約2時間歩いてきたことになる。後日計算によると距離は5kmちょっとだった。
これでかなりだらだら歩いてきたのがわかるだろう。
駅前は人っ子一人おらず寂れてもいた。きっと海水浴シーズン
には混雑するのだろう。しかし9月1日がもうシーズンオフだとは思わなかった。
確かに監視員はもういなくなる時期だがまだ、はやっているだろうと思っていた。
7月か8月中旬までにまたここへ来て、鯨波海水浴場で遊びたい。
濡れそぼった服の重みを感じながらそう思った。
駅前に中部北陸自然歩道の地図が出ていて、今日歩いてきたところがその一部だったと
ここで知った。
鯨の描かれた駅舎。
駅正面とロータリー。駅舎の右に階段があるが、こちらは行き止まり。
間違えて登りきったところを、駅舎にいる人に窓から見られた。
枠は水色に塗られている。
ホーム側からみた駅舎。
鯨波駅の乗車駅証明書
長岡方面のホーム。
ここからは福浦八景の一つの佐渡の夕焼けが見えるそうだ。
海水浴場への道をホームから見る。
時刻表によると次の列車は13時02分で、10分ちょっと待つだけだった。
停車位置がわからなかったが、階段近くで待っていたら丁度ドアが目の前に来た。
重々しい足取りで乗り込み、右の窓側に座る。すいていた。
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