奥宮神社―宇治市・大津市境

2021年4月

展望台にて。昭和の双眼鏡が残る。

京都・滋賀 府県境に眠る深山の展望神社―昭和のころの話とともに

 自分の住む家から見える山、その稜線にある奥宮神社の住所を、僕は同じ大津市だと思っていた。麓の市街には遠い駅にもこの神社の名を記した昭和じみた看板が昔からあったというのも関係していた。じっさいは宇治市だが、まさに府県境にあるからとくだん重要な問題ではなさそうだ。とにかく、景色はいいらしいがなかなか行きづらいところと聞いていて、いくら看板が気になってもなかなか行くことはない、僕にとってはそんなところだった。
 地図好きだった小学生のころ、身近なところにこんなおもしろそうなスポットがあるのを見つけ、連れて行ってほしいと母にせがんだが、道が険しいし、そんな怖いところ行くのはイヤだと一蹴されてしまった。話によると、昔行ったことはあるけど、もうそんなには行きたくはないところ、ということだった。道中暗いところ長く続き、道もよほどよくないという。
 僕はあきらめず、何かの折、この付近まで母の運転をうまく誘導し、鳥居からはじまる目の前の圧倒的な細道を指して、よしここを登ろう! と言ったら、
 「いやだ、ぜったいイヤ! こういうところは自分で免許取って自分の買った車で登って!」
と、ひどく取り乱した。

 時は流れ、奥宮神社のことはさっぱり忘れいてた。大津を離れたこともあり、気が付くと、免許を取って何年もたち、車にのも乗っていた。おまけに引っ越ししていて、実家のときよりももっと、この神社のある麓に住んでいたのである。
 買い物の帰り、車を運転しながら、 
「看板はよう出とるけど、やっぱ行かんなぁ…」
 なんというか、今一つ行く気が起きないのだ。そいや父は「景色がええだけやで…」そんなことも言ってたような…子供の時分からすると、景色がいいだけで十分なんだけど。そんなこんなで、こんなに近くにいるのに数十年の間来ることはなかった。

神社の謂れなどは公式ページなどでどうぞ

 ここに来るきっかけになったのは、ニコ生の配信途中、そういう流れになったから。僕はギャーギャーわめきながら例のつづらおれの急登を車で這いつくばり、稜線にある木々のうっそうとした平場に出たころには心臓がもぎ取れそうであった。電波もことに悪い。ただ、見晴らしのいい本殿や展望台付近では予想通り配信ができた。
 ぜんたいとしてよくこんな山の頂上に神社を作ったよな、と。長々と続く石段の石なんてどうやって運んだんだ? 本殿は極めて質素だったけど、能舞台のようなものもしつらえられていて、灯篭も鳥居もあり、全体として立派としかいいようがなかった。

近江大橋のみならず、琵琶湖大橋までもが見えた。
ところどころ隆起準平原が見られる。中央右寄りの緑の広がりは瀬田ゴルフコース、瀬田丘陵である。リスナーさんの一人は、昔、瀬田駅に勤めていたこがあるとのこと。いろんな地方に赴いて仕事するのはいいものだなぁ…それだけ必要とされているわけだし

 展望台からの景色にひとりで大興奮していたのはいうまでもない。なんというか一言でいうなら昭和感いまだかすかに残る珍スポット。ペンキの案内図にはレストラン天ヶ瀬や宇治川ラインの舟も描いてあったから、1960年前後かもしれない。かつては天ヶ瀬ダム付近に観光用のトロッコ「おとぎ列車」が走っていたのを知っている人なんてもうほとんどいまい。宇治川ラインは一大観光地として目されていたのである。それも天ヶ瀬ダムの建設で基本的にはなくなった。ダムができてからもまだしばらくは観光の趣はあったが、今は市民の森、ないし、深く分け入ったところは死体捨て場といった様相である。
 たしか父は宇治川の川下りやその列車に乗ったことがあるというようなことを言っていた。そのとき父は、父の母の知り合いの人と一緒に行ったので、なんもおもしろなかった、というようなことをいっていた気がする…こんなふうに外界に対する感受性の乏しい感想しか概して述べない父に、列車や川下りはどうだった?と子供の時分の僕が尋ねてみてもまったく詮無いことだったのは推して知るべしだ。

こちらは岩間寺寄りの入口。岩間寺とは歩いて行き来できるらしい。車の場合は制限があるんじゃないかな。よーわからん。
かつては売店もあったかもしれない。
例のペンキの看板。

 本殿の付近でドアの閉まる物音がしてびっくりした。どうも神主さんらしい。ちょうど夕方で帰るところのようだ。御朱印ブームあるので、僕がそれをもらいに来たのかもしれないと思ってちょっと待ってくれてたかもしれない。白い肌着の細身の老爺は、白い京都ナンバーの軽トラを岩間寺方面に走らせ、夕べの帳おりる前にと思ってか、消えていった。こんなところまで登ってくるのも一苦労だが、管理ともなると何もかもいやになりそうである。まぁ今の僕にはといったところだけど…  ともかく、そうして僕の前には冷たい風か、夕靄のなか、遠く幾重にもつづく宇治の峰々を運んできてくれるだけになった。

 リスナー曰く、そうか県境なのか、それならこんなに景色がいいのは当然だわ、とのことだったが、そんな県境近くに自分が住んでいた認識がたいしてなかった。そう―山の境界というものは心理的に極めて大きいのだ。なんぼ大津市南部から宇治は近いといっても、そんなに行くことはない。近くても遠い。宇治の山々なんて国内でも指折りの深山幽谷で、両端に京都・大津市街がある分、よけいにそれが際立つ。これ以上の開発はやめようよ、とも思う。けれど子供の時分には、この宇治の山々がにぎやかな街に変貌することをよく想像したものだ。ほら、今こうして能舞台から宇治の深山の重なりを眺めていると、またそんな気になってくる。人間のDNAに組み込まれた開発・開墾魂かもしれない。

宇治の山々
駐車場付近には奥宮トライアルパークなるものがあった。モトクロスバイクどの遊び場らしい。山で遊ぶなんて、都会化するみたいでいいじゃない。
あの石積みは何だろう!?
ハイカーの人はどこに向かうんだろう? 東笠取方面は別の道があるし…ピークハンターかな。

 帰り、車を出すときバックギアに入れるのを忘れて斜面を真っ逆さまに落ちるところだった。なんか山って、そういう混乱を引き起こしやすい気がする。来た道を慎重に下っていく。おもしろい山道といい景色が見られて、リスナーは得心したようだったけど、今度は晩ご飯配信をねだられてしまい…いや、いいんだ。一緒に遊ぶ人がいてくれるというのは、いいものだからね。それにしてもうちの亡き両親ときたら…もともとは持っていた冒険心や感官はどこに捨ててきたのだろう? まぁ…子供のために捨ててしまったのかもしれないな…