焼野―大津市若葉台(膳所焼野町)

2022年8月

焼野鉱山

 大津の音羽山地のふもとに、「若葉台」という旧来の新興住宅地がある。この周辺には大規模な住宅地開発に伴って新しく町名が設定された住宅地が多い。北から順に、朝日ヶ丘、池の里、鶴の里、湖城が丘、富士見台、そして若葉台。いずれも膳所丘陵を開発してできた1960年代以降ぐらいの住宅地であるが、その中でも若葉台は一風変わったいきさつがある。
 若葉台はもともとはマンガン鉱で知られ、焼野鉱山と呼ばれていた。穴虫池、穴虫中池、そしてその奥の池は、採掘の跡ではないかといわれているし、異様に曲がりくねったつづらおれの道路は確かにそれっぽい。住宅地でも上の方は、冬の凍結時には車を出したくならないくらい急坂で、そういう季節になると、下りたところに車を出しておくこともあるという。
 例の池は大雨の時には決壊しそうになり、別の斜面では実際に土砂崩れが起こった。地域の取り組み活動がNHKに取り上げられたこともある。そういうこともあってか、若葉台では大規模な治山工事があちこちで行われ、来訪時もその最中であった。

参考地図。膳所平尾町は膳所焼野町の間違いなのでは?と思うけど。とにかくこんな感じのところです。
全体的な位置づけ

焼野という地名

 また、かつては若葉台は膳所焼野(やけの)町といって、なんとなく気になる地名である。一説には、かつてはここで壬申の乱にまつわる野辺送りしたとも伝えられるし、草木が生えないか、焼け野原となったことからきたとも想像されるが、明確なことはわからないだろう。ちなみに唯一来てくれている帝産バスのバス停は今でも「焼野」である。
 子供のころ、夜のバスに乗ってここに通わないといけないことがあった。街を離れて山辺に向かう、焼野行きのバスというのが本当に怖かった記憶がある。そのバスはこの焼野鉱山の住宅地をぐるりと一周するのだが、冬などは寒さもあって、寂しさはひときわである。誰も乗ってこないのに、などと思いつつ、紫のシールの張られた窓ガラスは、異世界へ行くかのようでもあったし、しもやけのようでもあった。子供の時分にはしもやけに随分と悩まされた。親に聞いても原因はわからないという。
 誰も乗ってこないような観音口というバス停があって、その名前からも、やはりなんとなし怖いところだった。謂れは忘れたが、ここは湧水が有名で、水を汲みに来る人もよくいた。ちなみに土砂崩れが起きたのは、まさにここである。

 焼野鉱山に興味のある人はマンガン石でも探しに来てもいいかもしれない。穴虫池の北側の道沿いにあるかもしれない。僕もそんなことをしてみたいなとは思ってはいるけど。ほかに別保鉱山、鳴滝鉱山があったことが知られている。
 まぁ天気の良い昼間に来ても、こう何かしら陰に傾きがちな若葉台だが、Googleのストリートビューでも見られないところがあるし、所用のあったついでに回ってみたしだい。

社のある展望台

 若葉台の頂上部は、かつては小さな別荘地のような扱いだったようだか、当時の建物はだいぶ減って、今は一般的な家屋が多くなっていた。見晴らしはいいが、先述の通り、冬はやや不安なところだから、別荘地というのはあってるかもしれない。
 それより先は階段になっていて、社が建っている。きっと何か謂れがあるのだろう。昔は樹木がうっそうと茂っていて、そこに階段があるなんて知りもしなかったし、行く気も起きなかったが、今ではだいぶ刈り払われて、斜面の崩落防止工事などで全くきれいに整備されており、昔の若葉台を知っている者としては意表を突かれた。
 社からは見晴らしがよく、期待通りの眺望。地元の人の散歩にはよさそうだ。

最上部の階段にて。
若葉台の住宅地が広がっている。
社はきれいに整備されていた。
手前に広がっているのが、若葉台の住宅地の平坦部。
鈴鹿山地の一端が見て取れる。
見晴らしをよくしたのだろう。
こんなふうに完全にきれいに整備されている。
莫大な費用が掛かったと思うが、気持ちいいくらい整備された。

因縁の土地と防災公園(若葉台公園)

 ところ替わって、麓の自治会館の横には、何十年も放置された建設会社関係とおぼしき土地があったが、近年市が、そのままの地形を生かし、大規模な築山状の防災公園として整備した。たぶん域内での洪水や土砂崩れを懸念してのことだろう。若葉台の平坦部は新築も多く、世代も若いから必要だと判断されたのかもしれない。トイレもあり、テニスコートくらいの大屋根もあって、見た感じ数億円規模。ちなみに、築山の上まで来るまで入れるように道路もつけられている。

あの山の斜面も、崩落防止工事がされている最中だった。

 いずれにせよ、権利関係で揉めていたようわからん土地がきれいになって入れるようになったのはいいことだとは思ったしだい。ずっと入りたいと思っていたところだったし。
 にしても…数多くの世帯が今も住んでいるから仕方ないにせよ、ハザードマップなどで災害の予想されないところになるべく住むようにするのは重要なことだろうなと。さて帰るか、と車のドアを開けると、遠くに見えるつづらおれの道をゆっくりと帝産バスが下ってくる。焼野行としてやってきたバスだ。地名をなくさないことは、せめてもの良心な気もする。僕の記憶をなくさないようにすることと同じくらいには…