大津南郷―桜峠の旧道
2024年3月
大津の南部に桜峠という峠がある。同名の峠もほかにたくさんあるし、ここも何ということはない峠だけど、割と近所にあり、私もしばしば利用する峠道なのでずっと気になっているところだった。峠登頂部に"石山内畑町"への分岐もあり、その点でもちょっと不思議な感じのするところである。
この峠ルートの何が有用かというと、石山寺辺から宇治方面に向かう場合、瀬田川に沿い、立木観音を回るよりかなり近道になるのだ。
また、地形の厳しい宇治川沿いには、砕石工場や工事現場があり、そこへのアクセスにダンプがしょっちゅう利用しているルートでもある。道路としては大津市道で、市道幹に設定されている。
むろん、かつてはそんな使い方もできないほどの強い勾配の山道であったようだが、近年、改良工事を受けて、こうして有用な道になったのであった。その以前の旧道がまだ残っていることを最近知り、時間を取って訪れてみたくなったしだい。
なお旧道は登頂部で大幅な開削を受け、分断されている。北側から行ってみよう。
京滋バイパスが見える
北側は現道を折れて井上鉱山の中に入り、ガードレールに沿いつつ、まっすぐに上る旧道を詰めるだけである。長石鉱山は以前に坑道がテレビで紹介されたこともあった。こんな何気ない山の中にあんな現役の鉱山があるなんてにわかには信じがたかった。湧水が出て、いわまの甜水として販売されている。ここでも直接購入の可能だ(土日祝休み)。
ここは千町の管轄なのかな…
途中、鳥居が杉木立の中にあり、脇には水がたぷたぷになっていた。真新しい石柱によると、「南山元辯財天、鎮座文化六年」とのことで、水の神様だった。ここも水が湧くのだろう。
文化六年というと1809年、江戸時代もあとおよそ60年で終わるころで、そんな時代から鎮座していることになる。しかし、このままだとそのたぷたぷの水で旧道も現道も洗い越しになりそうだが、大雨のときどうやって水を保っているんだろう…
地面は稠密に苔むしていて、これぞ日本庭園の素(もと)、みたいな感じになっていた。たぶんこういうところから着想を得て、苔むす庭ができ上がったのだろうと思うくらいだ。周囲の森林は杉林だが、きれいに間伐されていて気持ちよい里山の様相だった。
向う側に高い道が見えますが、あちらを走るとかつての桜峠の勾配感が味わえるかもしれません
旧道に戻る。白いガードレールでぷつりと切れているのが見えるので、その先に入り込むのだが、やはり下方の現道により激しい開削を受けていて、ごく一部アスファルトの破片を残すのみだった。山に入り込んで地蔵のところまでも行けそうだが、靴が悪かったので、いったん現道に戻ることにした。
坂を下りる。心地よい勾配感が足に伝わってくる。旧道や廃道歩きがやめられない人は、きっとこのように足を通じて往時の人の体感を味わえるからだろう。楽器演奏で何百年も前の作品が演奏されつづけるのも、その作曲家や、これまでその作品を弾きこなしてきたピアニストたちと、指先を通じて脳を染められ、時を越えて交感できるからだ。 旧道は本来は岩深水の会社を左に通り過ぎてまっすぐだが、そうすると今の京滋バイパスにぶつかる。つまり旧道敷は京滋バイパスの下敷になってしまったわけだ。
その集落のためだけに作られたような珍しい山岳市道です(東笠取までつながってはいます)
桜峠の地蔵は、擁壁を丁寧に切って階段をつけられていた。そこからは現道の峠が見下ろせ、旧道の続きの入口も見える。車で走っていては、この旧道の入口はまず気づかないだろう。勾配差はこの地点で6mくらいあるが、いったいどうやってこの差を埋めていたんだろう? 航空写真によるとほぼストレートで結んでいるが…だとしたら改良工事を受けるのは必至だっただろう。
柵とガードレールの隙間から旧道へ。割れて草が出てるけど、アスファルト敷がほぼ残っていた。付近の山地は皆伐を受けていて、非常に開放的だ。桜開花前とあって温かく、廃道にもかかわら空気官感はむしろ心地よかった。
ふと現道を眺めると、現道の方が高かった。しかし地蔵のところでは現道の方か低かったから、極端な勾配を上りと下りで二分したようだ。そうなるとかつての峠は相当ひどい勾配だったことになる。
山林の残るところになると、ふと脇に入り込むような杣道も残っていて、かつての山の仕事が窺われた。今もこの旧道に入って、何かしている人はいるかもしれない。高い現道と今歩いている旧道の間には、護岸も何もい杉木立の天然の川ができていて、どこも住宅地としての開発を受けている今、このあたりでは珍しい存在だ。
旧道を通すために削られた?
ほどなくして緑のフェンスが見え、現道へと出た。勇ましくダンプが走っていて、歩くのも、自転車で走る気も起きない。半ばバイパス化されたようでおもしろみがないけど、ゴルフ客や宇治へ向かう一般車もよく利用している便利なルーでトある。
けれど地元の人か、ナビを使ってる人ぐらいしかこの道は利用しないだろう。というのも、このルートに入り込む方向案内板は出ていないも同然だからだ。だから今も知る人ぞ知るみたいな峠越えの感じがするルートである。
知らない土地を旅行で訪れている際、ナビを使っているとこんなふうに案内板や道路表記がないのに、規格の悪くない道を案内されることがある。ここはちょうどそんなルートだ。
あの擁壁は、京滋バイパス建設時代に作られたもののようです
途中、桜峠から内畑に向かう山岳道路を途中まで登り、旧道を見下ろした。皆伐してあるから、気持ちがいい。なぜそうしたかはわからないが…
子供のころ、内畑と外畑という地名は特別な響きを持って私の耳をとらえたものだった。というのも、大人たちが言うには、今でも山の暮らしを守っているところで、ときどき野菜を売りにリヤカーに積んでここに来ている、というからだった。あんな遠くから来ているのと私が訊くと、昔の人は歩くしかなく、脚が強いのだ、という。そして決まって話題に出てくるのは、外畑はダムのせいで沈んだという話。厳密にいうと、天ケ瀬ダムが作られるようになった影響で、川の水位が上がり沈むことになったのだが… いずれにせよ、内畑・外畑という地名は大津南部の人ならなんとなしそこに特別さを感じるように思う。
もちろんリアカーに野菜を積んで売りに来ていたのは内畑の人かどうかはわからない。しかし心残りだった存在の旧道を歩き、子供のころの自分の、内畑・外畑への想いを、峠で静かに研ぎ澄ますことができた。