419系に乗って―新疋田駅と疋田の町へ

2006年5月

 緑雨、かねてから考えていた新疋田駅へ行こうと思い、琵琶湖線に乗り、長浜で待っていた419系に乗り込んだ。ほとんど県内だから18きっぷの期間でなくてもよかった。
 この列車に乗るときはいつも一抹の緊張感がある。全く違う地域の空気を運んできているような ― 日本海のある街の空気をたっぷり吸いこんできたような ― そんな感じなのだ。とくに古い臙脂色路のモケットは大時代的でなんとも重厚だ。
 もっとも、この車輛がボロボロの電車式の旧寝台車だということは大いに関係している。つまりこの車輛自体にも人々の人生、一夜がしみ込んでおり、それら二つの意味で極めて重層的な存在なのだ。当然車輛自体が物理的に重いというのもある。往年の特急の顔と同じで、ただし愛称幕は潰されているクモヤの先頭車は交直車だから、やたらデカく重くて高価であり、それが理由で今も度重なる改造を受けて走り続けていた。

県を跨ぐ誇らしさ。
こんなのが普通列車として走っているなんて信じられない…
上の棚を降ろすと寝台車になる。

 疋田からの帰りは旧急行型だった。それでもどことなし、洗面所やデッキスペースは寝台車の雰囲気を持っている。

 湖西に入ると急に天気が良くなった。なんだ、やっぱ嶺南の天気予報外れてたんだな、と。それで敦賀まで行く気も失せたというのもある。こんなふうに天気予報が外れることの繰り返しで、結果、自分で予報資料を見て検討するまでになってしまった…だから今では晴れマークでも自分の判断で遠出しないことも多い。あるいは曇りのつもりで出かける。

滋賀県へ

 新旭に着いた。湖州に入ると急に風景がまろやかになる気がする。むろん比良の峻峰は鋭いけれども…でも、やっぱりこうして関西に近づいていくんだなぁと。北陸の空気をたっぷり吸いこんだこの車輛も
近江今津でお別れ。北陸の車輛はここまでしか来れないのである。しかし支社のある金沢からすると、自社の車輛がこんな遠いところまで入り込んでいるとなると、惟うところがあるだろうなと。
 帰り、西大津、山科の人の多さを見て、すっかり疲れてしまった。
(おわり)