北陸4 - 第2回北陸海岸紀行 -

風変りなホテル

  午後5時過ぎ、夕闇迫り、日は落ちても蒸し暑い空気だけは今宵も残ってしまいそうな中、人や車の動きが慌ただしくなった富山駅のあたりを彷徨っていた。ヴィドフランス、というパン屋と、ハートインというコンビニで今夜のと明日の食べ物を買って、地図を片手に、私は宿を探しに歩きはじめる。

  さて、私は泊るホテルの見当を付けてきただけで、予約をしてない。というのも、絶対こんなビジネスホテルだったら空いているだろういうのがあったので、その場所を記した紙と、宿賃だけ持ってきたのだった。ホテルの名は、日本ビジネスホテル。名前からわかるように、わが国を代表するビジネスホテルで、すべてのビジネスホテルの総本山であり、その規模や設備の優れたるや、これにしくはなし。

  いじわるく笑んでいるが、いっぽうで、大丈夫だろうかという真剣な心細さがしばしば交錯した。
  駅前の電停のある通りを東に歩く。薄明で、向かってくる自動車の灯火がまぶしい。突然、厚い石板を割り砕くさまじい音が響き渡る、何かと見ると、市電だった。カーブをものともせず走る車両を思わず目で追った。
  薄暗いため、地図が読みにくい。その地図によれば、この表通りの賑やかさを棄てよ、という。裏通りに入った。表通りの走行音が小さくなった。まれに出張風の人が歩いた。まず私のよりはいいホテルに泊まるだろう。案の定、遠くまで歩いていったその人の先には、新しいホテルの裏側が聳立していた。
  路地裏に入って数分と経たず、私は今夜の宿の前に立っていた。倒産した小さな会社のビルのようだった。見てきた写真を越えるような要素があまりにもなく、ため息をつきつつ、つまらなさそうに納得した。

  一階が暗い掘り込みガレージで、その奥に入口がある。どんな人が泊っているのだろう、とナンバーを見ると、高知となっていた。動脈から外れた、あさっての方向で、何とも言えなかった。駐車をすり抜けるようにして、入口に着く。蛍光灯を変えないらしく、明かりがむやみに暗く、黄緑ぽかった。本当にここにするのか、今から別なところを探さないか、とためらったが、何も考えないようにしつつ、時代遅れの医院にありそうな分厚いガラス戸を押す。

  フロント、たいへん狭いし暗い。しかも窓口の奥からはあからさまに家庭内の音が聞こえてくる。料理する音、子供のはしゃぎ声、奥さんの声…。一呼吸整えて、ベルを弾 (はじ) く。はあい、と、おばさんが気のよさそうにどたどた出て来た。しかし私を見るなり、すっきり取り澄ましたような顔をになったので、妙だった。それを打ち破るようにして、予約していないんですが、今晩空いてますか、と単刀直入に訊くと、その人は、ぱっと顔を明るくして、あ! 空いてます! と張り切った。苦笑。ホテルって空きのあるときに予約外の客が来る事って少なさそうだものね。さっそく、ここに名前を書いてください、というので書いたが、そのときにはもうその人はさっきの張り切りを隠すように取り澄ましていた。宿泊費は4000円ぽっきりである。調べでは富山駅近くではここが最も低かったが、 次の日、そうではなかったと判明する。
  部屋は普通の部屋でいいですか、と富山の訛りで言われて、私はその、普通の部屋という表現と、その訛りの両方に戸惑いながらも、まさか特別室に泊るつもりはないから、はい、と返事した。しかしこれが悔いを残すことになる。「朝早いですか?」と問われ、自分の明日の予定に賭けていることを思い起こして取り急ぐように、あ、早いです、朝五時ぐらいです、と言うと、ええっと驚かれて、じゃあ出るときはフロントに鍵を置いておいてください、ここに盆を出しときますから、と私の目を見つつ念を押すように言った。お部屋はお二階です、それから部屋の場所をさらりと説明して、鍵をもらった。「場所わかりますか?」 と、ここが特殊なホテルらしい感じで訊くので、私は間 (ま) を継ぐようにすぐそばのエレベーターを指差して「これで二階ですね?」と言うと、その人は喉を膨ませ、それから声量を上げて、「あ! それ故障中です!」と仄かに含み笑いする。「動かないの。」 そう付け足したころには、あるじとしての取り澄ましが、またもや彼女にすっと差し込んでいた。「あなたわからないでしょ、案内してあげます。」 幸い、最後の方でその人は再び、かすかではあるが柔和になった。

  エレベーターを横目に過ぎながら、それが故障のままほったらかしなのに怖さを感じつつも、階段を上って行く女主についていった。とにかく暗い。途中、階の案内図が手書きのものだったので、目を見開いて驚いた。これは凄いところに来たかもしれない。案内図は法律上掲示しなければならないのだろう。しかし作らせるとお金がかかるので、自分で作ったと思われた。よく見ると壁紙も床も、気味悪いほど古いものだった。しかも照明がないに等しいから、一段とその古めかしさは際立っていた。

  こうしてフロアを歩いている最中から、もうこのホテルが一般のホテルとは違う、特殊なものだということがわかりはじめ、かなり後悔しはじめた。特殊というのは変な変な意味ではなく、一般にビジネスで利用されるようなものではなくて、かつほとんど本格的な営業を控えているようなところらしい感じということだった。

 「こちらです。」
  女主は鍵を手際よく差し回して、扉を引く。部屋が真っ暗なのに逃げ出したくなった。が、その人はぱっと電気を付け、このような部屋です、いかがですかという感じで部屋を見せるようにした。もう私はこの人がこんなホテルでありながらも貫禄あるあるじだということをはっきり感じた。気高い人かもしれない。

  見せてもらった部屋は、眩暈するほど、異様に古いものだった。しかし嫌と言うわけもなく、「は、ありがとうございます」、と言って、ここが今夜の私の部屋となってしまったようだ。私はとっさに思い出した。このホテルを選んだのは、コインランドリーがあるからということでもあったのだ。使わなければならなかったわけではないが、できたら使ってみたかった。それでまだその人がいる間に、「あの、コインランドリーはどこですか」と訊くと、「え、使うんですか?」と言いいながらも、場所がややこしいからと廊下に出て案内してくれるのだが、着くや、「ここです。使うんなら早めがいいですよ。いつもあの人がもうすぐ使うから…。使い方わかります?」 コインランドリーとは名ばかりで、便所に洗濯機が投げ込まれて排水ホースが便器に突っ込んであるものだった。その人は使い方を多少投げやりに説明した。私がこの設備に茫然としていることに、これだから新しい客はと思われているとも考えたが、ならばこちらも、もうこの設備を見てからというもの、まったく説明は頭に入らなかったのだった。しかも常連の人か、ここと懇意の長期滞在の人ばかりであることをここに来てから遠回しに何度か知らされて、寂しい思いをした。

  一人で自分の部屋に入った。煙草の匂いがしている。普通の部屋、というのは、もしや喫煙でいいかということを訊いていたのかと思い、悔いたような、そうでないような気持ちになった。こうして独りになると喉がちくちくしてきて、壁紙の古くささが怖くなってきて、こういうところでは非常口を確認せねばと、まるでいつも危機意識の高い人かのようになった。
  窓があり、さっそくベッドに飛び乗って覗く。するとそこからは東横インのネオンサインとビルの裏側が見えた。街の喧騒が縮小して聞こえてくる。地方都市でのビル暮らしというのは、そんなにロマンというものはなく、ごみごみした田舎というだけのことのようで、明るくて軽いゆえ物足りない東横インも、今となっては単純に最新というだけでも、取り柄になりえるのだと思えた。

私にあてがわれた室内。

さっそく机に買って来たものを並べたものの、雰囲気が出ない…。 ベッドの横に窓がありよさそうだが、特に見るべきものはなし。

部屋の出入口の様子。左手のドアを開けるとトイレ・風呂。

  しかし今さら部屋をやっぱり変えてくれなどと言いだす気にもなれず、やりきれない。一人でベッドに少しの間、腰掛けた。ふと気付くとベッドはきれいで、この島は少なくとも取り柄だった。電話は旧式のダイヤルで、テレビはソニーの新しい目の小型トリニトロンだった。賑やかしにテレビを付ける。せっかくの富山らしい宣伝も番組も、こうも大昔の壁紙の部屋にいると、正しく見られなかった。壁紙の放射する時代性に映像が歪められた。そうだ、お風呂をチェックしないと、水回りが大事というものだ、と駆け出す。私は疑いまくっていたようだ。

お風呂の様子。だいたいこれぐらいの明るさ。

一応ホテルとだけあってシャンプーリンスとボディーシャンプー、櫛などが置かれている。 ドライヤーは部屋の机の物入れにあった。

  思いのほか一般的なユニットバスで、清潔だった。ここはすべて設備が古いが、客室だけは、ホテルとしての清潔感は多分にあるところだった。シャンプーも配備されていてとても助かる。毛染め禁止!との注意書きがあり、付くと落ちません、弁償してもらうこともあります、という旨が厳しい目に記されてあった。あの女将が必死になっている顔が浮かんでくるではないか。毛なども落ちていないし、排水溝もまずまずで、廊下とは違って、部屋の設備はやはり大切にしているのだろう。まだ18時ごろだから、湯を入れるのはもう少し後にした。

  風呂を見ると部屋にも飽きてきて、急にホテル内の探索をしたくなった。ではさっそく、廊下に出てみよう。

部屋を出て。隣の部屋の入口が妙に近い。 あんなところに洗面台が。

手書きの案内図。4の数字がいっさい使われていない。 もうこんななってしまった今となっては4がどうのこうの言っている場合でもないと思うが。

故障して動かないエレベーター。

館内の一角。左手の階段を使用する。

館内の片隅。

いらないものが積まれてある。

ランドリー。

こういう洗濯機。乾燥機はなし。

  ともかくここの廊下はひどい。隅には粗大ごみが積まれ、廊下のあちこちに洗面台が据えられていた。そして暗すぎる。もう少しほんとうに何とかならないものかしら。トイレもあったことからして、以前は各部屋に水回りがなかったのかと思えた。

  早々に部屋に戻り、椅子に腰かけ、机にパンやおにぎりを並べる。獺祭と言いたかったのに、そういう感慨はこの空間には湧いてこなかった。はやく肌すりよせてこの自分の部屋にしたいのに。
  薄っすらとだが富山らしい内容のテレビが流れている。しかしさして郷土色はなかった。回していると、ホテルらしく成年向けの内容が映る。チューリップチャンネルというのだという。少しも切れないから、ここはお金を入れる仕組みもないのにどういうことだ、と凝然としていると、どうもここは無料らしいようだった。妙な宿屋に思えたが、富山のホテルではみんなこうなのだろうと片付けた。そんなわけはなかったのだが。
  隣の人が帰ってきたのか、扉がバタンと閉まった。隣同士に客を入れたのかと眉根を寄せる。荷物をなげ込んだか、ベッドに倒れ込んだかのドサンという音がした。一匹の意思を持った動物が疲れて帰ってきた。そしてまた明日の意思も抱きながら。私もまたそうだ。音漏れはどのくらいだろうと私という動物は、隣を気にかけじめたが、その後ほとんど無に等しく、問題ないようで助かったと思っていた。
  ほどなくして洗濯機の音が聞こえてくる。あの人だったか。

ペンダントライトを灯して。明るさがちょっとはましになった。

 

寝床。カーテンはしっかり引いて落ち着きを。

  錯誤的に煙草の薫香や、照明ペンダントや、壁紙の中、布団の模様、そういう中での布団の清潔さ、まずまず過ごしやすい空調などは、どこか虚しいものだった。今日一日の暑さで体が焼けたようで、熱を持ち、また煙草の匂いのせいで喉もいっそう渇いていたため、飲み物があっという間になくなる。足も棒のようになっていた。もう出掛けるのも物憂くて仕方なかたっが、とうてい我慢できず、追加で買いに出かけることに決めた。

  そろっとフロントまで下りる。晩御飯を作っているのか、調理の音と子供の声、テレビの音がしていた。まさかそこのテレビ、あの番組は映らないよな…。狭いフロント前にある販売機はビールと煙草のみ。まったくもうここときたら! そう漏らしつつも、ドアを押して外へ出た。するとビル内は、独特の古い匂いだったことを知った。外はもうすっかり暗く、寂しい涼やかな空気だ。幸いすぐ近くに自動販売機があった。夜道をちょろちょろと歩いて、ホテル前の暗がりの路地に一匹の動物が水もとめたらしい音を響かす。「どうもあれがまた、のどが渇いたらしいね。」(誰かがそう思っている)。

  行きも帰りもおかみに見つからず、部屋に戻ってこれた。鍵を預けるのが面倒だったのだ。途中また館内をうろうろしたく思ったが、怖いものを見つけそうな気がして部屋に引きこもる。ドアを開けたときは、色味に乏しいテレビ、黄色いライトが私を出迎えた。

テーブル。電話のダイヤルを回したのが久しぶりだった。 テレビはキノコが大写しになっているはず。

  時間はあっという間に過ぎ、8時を回る。ここに来て2時間だった。NHKだけが故郷と変わらず決まった曜日に決まったものを流していたので、指標となりえたのだった。ほかのも回したが、公平に見ても、本当にどうしようもないもので、このときは、国営だけがまずまずまともだったのだった。富山の人はあんなのばかりで困っているんじゃないかなんて余計なお世話にも思う。しかし事情は私の故郷でも変わらなかったようだ。
  とりあえずもういいかげんそろそろと思って、風呂に湯を張り、その間、部屋のことを忘れるためにテレビを見たり荷物の整理をした。そのテレビによると、香りマツタケ、味シメジ、という文句があるけれども、味シメジというのはよく考えるとそれほどでもない、おかしくないですか、ということからはじまり、私たちが普段食べているシメジは実はブナシメジで、謳い文句のシメジは、ホンシメジなのだ、と司会者が見栄を切る。そして、ゲストにホンシメジを食べさせて、知らなかったとか、うまいとか言わせていた。山瀬まみという人が、このくすんだ真面目そうな番組の華を務めているようだ。それでブナシメジの味をホンシメジに近づけるには、凍らしたり、乾燥させたらいいということを、図解していた。
  結局興味変わりすることなく、45分間私を引きつけ、気付くと9時前だった。番組が終わると突然、寂しくなった。ニュースがいっそう私を我に返らしめ、気付くと私は一人で富山のとあるホテルにいた。旅費を吝しんだゆえにこんなホテルにいる。そう思うと、黒い窓から黄ばんだ室内に、この先もある自分ひとりの暮らしというものが、骨身に迫ってきてこたえるようだった。
  しかし、なぜ些細なことまで憶えているのだろうかと思うこともある。特に何の記憶もない1日もあれば、事細かに憶えていることもあるのは、不思議だが、それだけ充実していたからだと思うと、多少いやなホテルも思い出のほんの一部にすぎないようでもある。

お湯張り終わり。

  煩わしい思いを振り棄てるように、11時に寝るつもりで、9時過ぎ、ユニットバスに入った。狭苦しい風呂桶に浸かる。そしてはっとした。この1年間、北陸の海を求めてつづけ苦しんできたのに、こんな身近に海があったとは、と。風呂の水が、青かったのだ。白熱灯だったから、青の波長だけ吸収されないゆえの現象であることを、自然とすぐ思い出せた。まさに海で、海に浸かっているのだと思え、洗濯機の水音に潮騒を聞くがごとく、また自宅で駅弁を食べてとつぜん椅子がごとりと動き出す感覚に襲わるごとく、生活の中の旅だった。こんな身近にあったとはと、愕然とする。こういうものに、気づいてきたのかな。

  しかし私はいま富山にいる。永く希求せる海を見るため、本物の海を見るために。
  シャワーの出はまあまあだった。湯あがりに部屋の冷たい空気が沁み込む。切るに切れなかったテレビが静かに流れている。

  もうそろそろ寝ないとホテルに泊った意味がないと自戒し、目覚ましをかけようとしたら、その役目を果たすものを忘れてきたことに気付いた。ナイトパネルはこの部屋にない。まずい。あ、そうだ、ダイヤルの電話でモーニングコールをセットしよう。手順を書いた紙があったはずだ。頼むから鳴ってくれよと念じつつ、試験のため10分弱後にセットしたのだが、鳴らないではないか。鳴るわけないか、こんなぽんこつが。ふっと腕時計に気付き、その場で4つのボタンそれぞれの法則を見つけ出し、辛くもどうにか試験に成功、本番にセットし、とりあえずは安心した。安物の時計を持っていてよかったものだ。しかしその音で起きられるかという不安が残った。

  布団に入り仰向けになる。静かに呼吸しようとすると、すぐ煙草の匂いが鼻を突き、喉が痛みはじめた。痰がついて、喉が異様に渇き、苦しい。しかももう夜11過ぎだというのに、まだ階下から子供の騒ぎ声が聞こえてくる。こんなホテルにあってはそれも救いようなもので、別にうるさいとは思わなかったのだが、いったいこんな夜遅くまでホテル内付近で何をさせているんだろうと考えてしまう。しかしこの形態は一体何なのだろう。
  寝しなゆえ想像の翼が開く。夫はもの云はなくなりこのホテルを奥さんと子供に残した。このホテルがあれば大丈夫だ。大切に使って、暮らしてくれ…。
  ばかばかしい。何とか寝ないと。だがやはり腕時計のあの音で起きられるかも心配で、煙草と時計とのその両者に悩まされたため、ただ、うつらうつらとしかできなかった。
  ふっと目を開ける。すると、壁紙の亡霊に取り囲まれていのを自覚した。それでついに、ああ! やっぱりどんなことがあっても過去にそのまま帰ってはだめだ、それは絶対に耐えられない、軽薄でも何でも、新しいものを取り入れるというのは、それはそれで勇気として、この先々への提案として、一定の敬意に値するものだと、心の中で咆哮してしちゃった。私も、変わっていかなくては。

  薄目を何度か開けたのち、時刻はもう4時過ぎだった。起きる時間だ。ここまで来て失敗したらたまらんと、体がだるいことこの上ないのを振り切って、まるで思い残すことなく熟睡を貪り終えたかのように飛び起きる。身支度を整え、おにぎりを食べて、5時までに室内で出動態勢。ニュースが落ち着いて天気を告げる。今日一日も晴れて、暑くなるでしょう。
  それを聞いて、ツトーン、とスイッチを切った。部屋を出る前に、何度も何度も繰り返し、忘れ物がないか確認する。ごみ一つとして捨てたことを知っているという状態だ。空のペットボトルは使う予定だったので、よく洗って持ち出したのだった。

  独り荷物抱えてフロントに下りる。漆黒同然の暗さで、人なんかいない。ちょっと、もう少しでいいから明かりつけといてほしい…。鍵はここに出せというような札が出ていた。盆なんか出てないじゃないか。もう子供の声もしていない。していたら幽霊物件だ。鍵をことりと置いて、医院風の重い扉をぐっと押し、外に出た。もうここからは気持ちを切り替えよう。

未明のフロント。本当に真っ暗のため、フラッシュを焚いて撮影。 フラッシュなんてめったに使わない。

同じくフロント。

玄関口の様子。

 

日本ビジネスホテル外観。

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