初夏の伊勢・伊賀紀行

  京都駅の朝6時10分ごろ、私は橋上コンコースの西口から自由通路を左に折れ、 近鉄の改札口に向かって歩いていた。 朝の空気が冷たく、どちらかというと寒い時間だった。 普段ならこの時間は、都会の活発な一日の、鋭い先走りがいくつか垣間見られる時間だが、 (独りすばやくコンコースを駆ける男性、Kiosk前にどしっと新聞を置く音…) この日はゴールデンウィークがはじまったばかりの4月29日、みどりの日で、 幾人かが大きな荷物を引きながら眠そうに歩き、長い休日の始まりを象徴していた。 すいた空間をさっと歩き去る仕事着の人はほとんど見かけない。

  A4判のフリー乗車券だったため、有人改札に行き窓口を覗くと、 駅員が静かにパソコンの画面を凝視していた。 いつもの時間は駅員がしっかり立ち、 掛け声などをしているのだが、今は慌しさのかけらもなく、 駅の張り合いというものもない。こんな大きな駅でも早朝は静かなのだ。
  近鉄は普段利用しないが、 種別をカラーで表現したフラップ式の行先案内が見やすく、 乗りたい列車がどこにあるのかすぐわかった。 決して逃すわけにはいかない私の列車は、すでに待ち伏せしているらしい。 頭端式のホームを歩き進み、停車中の急行奈良行きの前まで来た。 入ってみるとすべてロングシートだ。 車内はまだ随分とすいていて、どこにでも好きなところへ座れた。 ほどなくして合図が出され、列車は扉をガコンと閉じた。 列車の動き出すのを感じながら、まずまずの出だしだと自身を鼓舞した。 2日前の疲れが取れず、この日も朝早いこともあってたいへん眠たく、 乗り継ぎに失敗するのではないかと不安に思っていたのだった。 しかしまだこの先、ほとんど利用したことのない駅で大事な乗り換えが2回あり、 乗り換え駅を乗り過ごすことをいちばん恐れていた。
  この日の予定はいったん伊勢市駅に降り立ち、次に最も楽しみにしている鳥羽駅、 池の浦シーサイド駅の両駅行ったあと、 戻りながら近鉄のいくつかの駅に降りるというものだった。
  出発して間もないからだろうか、 ロングシート特有の左右のゆれをよく感じる。 前の列のシートを見ると、だいたいは埋められているが、 それでもあちこちに隙間があって、かなり余裕があった。 結構快適で、気分がよかった。

  列車は日が明けてまだそれほど時間が経っていない 薄明るい駅に停車してゆき、そのたびにぱらぱらと人が降りていく。 京都から近距離の利用だった。 これから鳥羽まで行こうというつもりのという私には、 私鉄らしい質実的な利用の仕方のあるのを私に留保された気がした。
  しばらくたって京都から離れると、前の列が空きはじめ、 向かいの車窓がよく見られるようになった。 しかし景色はそれこそ田畑と住宅の連続であるし、 2日前じっくり見たこともあって、あまり熱心に見つめなかった。
  途中、新祝園駅に停車。 母親に連れられた子供二人が乗ってきた。9歳から11歳ぐらいだった。 休みの始まりだからきっと遊びに連れて行ってもらうのだろう。 子供も鉄道に乗ってうれしそうだった。昔のことを思い出す。 私もこういう光景の主役になったことがあった。
  かなりぼんやりしながらあちこち駅をとばすのを見送っていると、 やがて高の原に着いた。 ここで完全に自分の目を覚まさせた。次が大和西大寺だからだ。 そこで数分の乗り換えで急行橿原神宮行きに乗る。 橿原神宮行き、とはあまり旅の感官を刺激されない行き先だったのだが、 これで大和八木まで行かないと、何もはじまらないのだった。
  大和西大寺に着く放送が流れると、私は半座りになり、 ついにはドアの前に立った。私はほかのことに気を取られると、 それまでしようと念じていたことをすっぽり忘れる癖があり、 その癖が出ないようにするためだった。 確かに大和西大寺…確認して、ガコンと開いたドアからさっと降りた。 ここで降りないと終端の近鉄奈良まで連れて行かれてしまう。 時刻は7時20分で、ホームはかなりの混雑。 少数ながら仕事着の人もいるし、行楽の人もいるし、 さわやかなユニフォームを着た遠征に行く中学生たちもかなりの数で、圧倒された。
  乗り換え予定の急行橿原神宮行きはすでにドアを開けて待っていた。 開いたドアの向こうに、ユニフォームの中学生たちが立ち群がり、 床に大きなバックをいくつか置いているのが見えた。だいたいは網棚に上げているようだ。 彼らはこれからこの日一日をスポーツに捧げるのだろう。 ほかに車内には、これからオフを楽しもうとする感じの人が多く、 鬱屈した雰囲気がない。今日もまたこうしてさわやかな初夏の休日が始まる…。

  列車は快走し、24分後、大和八木に着いた。 ここは大阪線と橿原線の立体交差の駅で、大きな乗り換え駅だ。 ここで直角の方向に進む場合、 一部の特急はここで乗り換えさせることなく直通してくれるが、 それ以外の種別はここで乗り換えとなる。 私とともに多くの人が下車した。駅は休日も手伝って相当混雑している。 乗り換えがややこしそうな駅で不安だったが、 構造上とりあえず階段を上って大阪線のホームに行かないといけないのは 確かだと思って、人波に乗りながら階段を上った。
  案内を見て1・2番線ホームに上がった。 高架上になった大阪線のホームが2面ある この下にあって少し暗い感じの橿原線のホームとは対照的だ。 明るくて、外の景色がよく見えた。 ここで、この日の旅程で最長距離を走る快速急行宇治山田行きを待てばいい。 乗ればあとは伊勢や鳥羽まで連れて行ってくれる。 この大和八木から伊勢中川までは全国の鉄道線の中でも重要で独特な路線の一つだろう。 山がちな三重西部を抜けて布引山地を青山トンネルが貫き、 大阪圏と津・名古屋を結んでいる。

高架ホームから青空の風景を望んで。 1番線から見た風景。小さなビルが立ち並んでいる。

幅広いホームと上屋。ホーム中央部には一人掛けの椅子がしつらえてある。ほかに自動販売機など。 2・1番線ホームの風景。団体用の臨時列車の20000系が2番線に入線。

椅子、ゴミ箱、駅名標、自販機。 1番線の風景。

  同じホームの反対側に団体列車が着くとの放送が入った。 あおぞら号のような特徴的な列車が来るのかと思ったら、そうでもなかった。 停車すると、先頭に旗を持たせた集団が乗り込んでいった。 構内放送ではしきりに団体用列車である旨を案内している。 ほかの駅からも乗ってきていたようで、車内にはすでに人が乗っていた。
  リュックを背負い、太いボーダーの長袖を着た大学1年生ぐらいの若々しい男性が うれしそうな顔をして入線してくるいろいろな列車の写真を撮っていた。 こういう姿を見かけると私もうれしくなって、 じゃあ自分も鳥羽に着いたら海を見て弾けようかと思ったりした。
 それにしてもこの日は非常に天気が良く、 これからの時間、どこもかしこも休日ムードに染まっていく気がした。 まだ朝7時45分だが、遠出の人たちが大勢ホームに待っているのは、 遅くても6時前ぐらいに起きて準備してきたということだろう。 何というか人々の意気込みを感じる。

  いよいよ宇治山田行きが到着。 快速急行で特急の一つ格下だが、特急並みの運用に就いている。 停車駅は、JR桜井線と接続する桜井、次に榛原、 奈良県内の停車駅はここまでで、次からは三重県に入り、名張。 名張から榊原温泉口まで各駅に停車し(両端入れて9駅)、 次にいよいよ伊勢中川、そして松阪、伊勢市…。 便利な列車だから混んでいて座れはしないだろうと思っていたが、 ところどころ空いていて、なんと着席できた。しかも車内はクロスシートだった。 しかしシートは硬めで、頑丈一点張りといったところだったろうか。 それでも進行方向に向かって座れるのは楽だ。特に長距離乗るにあたっては。
  白と青のユニフォームを着た、 部活の遠征に行く団体の女子高校生も乗っていたが、 意図的に席に着かないことで一般客を優先していて、驚かされた。 しかし、しばらくたったころ、 空席はまだあるし、ドア付近ばかりに群がっていては差し障りがあると 部長らしい人が判断して、 自分自身と周りの同級は立たせながら、 離れたところにいる後輩らしい子に下の名前で呼びかけ、 座りぃそこに立ってたら邪魔になるから、と着席を促した。 しかし相手は聞き入れないようだ。 声をかけた部長と周りの女子2,3人は、 言うことを聞いてくれない寂しさや少しの苛立ちを交えながら、 要領悪いなぁ、とつぶやいていた。 彼女たちが声をかけたほうを見ると、なんと女子ではなく男子だった。 一般客のたくさんいる前で指図を受けたくなかったらしい。

  とうに桜井市と別れ、山地に突き進み、 奈良県北東部の主要駅、榛原へ。 榛原は奈良盆地を桜井から大幅に東にはずれてある山あいの郊外都市だ。 榛原を出ると、列車は平地より高い位置を走るようになる。 山々に挟まれた町を長い間見下ろしながら、 ものさびしい三本松駅を通過すると奈良と三重の県境も近い。 三本松の集落を見下ろしたあと宇陀川を跨ぐが、 この鉄橋を渡ったらもう三重県だ。車内に名張停車の放送が誇らしく響き渡る。 山の中からいきなりぱっとひらけたところに出て心が躍らされるが、そこが名張市。 伊賀の主要都市だ。大阪線の全列車が満を持して停車する。 大都市のベッドタウンの役割も持つ名張にとって、近鉄はなくてはならない存在だ。
  ユニフォームの高校生たちは名張で降りていった。 名張を出たあと、列車は桔梗が丘駅、美旗駅と大規模ニュータウンの駅に停車してゆく。 しかし造成だけされて家が建っていない風景も垣間見えた。 それにしても突如として現れる要塞のようなニュータウンには驚かざるを得ない。 しかし次の伊賀神戸駅に停車するころには、もうニュータウンの影は見られない。 長い構内踏切のある静かな昔風の駅で、伊賀線乗り換えの駅だ。 やはりここでの乗降の動きは少なかった。 伊賀神戸を出てちょっとした山を抜けると、 左手に私鉄らしい整然とした操車場が見えはじめる。すると青山町駅着。 ドアが開くと、初夏の冷たい空気が流れ込んできた。 ホームには都会的なデザインの制服を着込んだ男子高校生らがいて、 時折会話が聞こえきた。しかしおおむね静かで、鳥の鳴き声などが聞こえきそうだ。 あの制服を見てここに都市の空気が流れ込んでいるのを感じた。 こんな地方の内陸部に走る近鉄線の駅に、 真新しく颯爽とした軽い感じの駅舎が多いのはそのせいだろうか。

  青山町駅を出た。 辺りは丘陵地帯のある内陸部で、田舎家が散在している。伊賀らしい風景だ。 青山を出ると車掌の巡回があった。 かつてはこのあたりで車内改札があったらしいが、 IC乗車券Pitapaの導入で巡回だけになったという。
  青山町を出ると次の伊賀上津(こうず)に停車し、 名張を出てから各駅に停車していることに実感が湧き始める。 名張から榊原温泉口までは、特急以外の優等列車を停車させることで 各駅におおむね1時間に2本を確保しているようだ。 伊賀上津を出るといよいよ巨大な布引山地に突入しはじめる。 短いトンネルをいくつか抜け、少し長めの新三軒屋トンネルを抜けると、 もうそこはすっかりに森の中だ。こんな山中でも電化されていて、 三重と大阪を結ぶ特急が1時間に4本ないし3本快走している。 杉林を車窓に流しながら西青山駅着。 ドアが開くとすぐに自動車の走行音が響いてきた。 駅の下の方に2車線の国道165号が走っている。 開いたドアからはハイカーが3,4人降りていった。 たぶんほかの車両からも降りた人がいただろう。 この駅は風車連なる気持ちのよい青山高原を越えはじめるのに ちょうどいい駅で、ハイカー御用達の駅のようだ。 しかし実は一般利用者もいることをこの日の午後知った。
  西青山に着いたあたりから、 一体いつまでこうして山の中を走るのだろうかと思った。 山に入ったのは桜井を出てからで、それから随分時間が経った気がした。 やっぱり伊勢は遠いな、と感じていると、 列車は西青山駅を出て、すぐにトンネルに入っていった。 5,652mの新青山トンネル。これが伊勢に渡る確かな手こだえになるはずだ。
 ところでさきほどから出てくるトンネルにはいちいち「新」と付いているが、 ということは旧トンネルがあり、 旧線があり、それが廃止された原因に25名の死者を出す壮絶なトンネル内正面衝突事故、 青山トンネル事故(1971年)があった。 さっきの西青山駅と次の東青山駅は 旧線上にあった両駅がはそれぞれ廃駅になった上で、 大幅に位置をずらしながらも現路線に引き継がれたものだ。
  東青山駅に着いた。公園があって、 その斜面の花畑がぱっと視界に入る、明るい駅だ。 すこし風景が変わってきたなと思った。 このまま開放的な風景へと変わっていくだろうか。
  駅を出ると、合わせて1kmちょっとの新惣谷トンネル、新梶ヶ広トンネルを抜け、 榊原温泉口に着いた。駅名からわかるように、駅から榊原温泉はかなり遠い。 南側は多少開けた地形で、やはりしだいに山から離れつつある感じだが、 駅名からするとまだ都市までは少しありそうだ。 列車は出た。
「次は伊勢中川に停車します。」
 そう放送があって不思議の感に打たれた。
「伊勢って、あの伊勢の? もう伊勢なのか。 伊勢中川に着けば津や松阪はすぐなのだろうか…。」
 駅を出てまたトンネルを抜けると、わっと平野が広がった。 この瞬間、ああ伊勢に出たんだ、と強く感じた。 感慨に浸っていると、突然、列車はゴトトトンと鉄橋を渡りはじめた。 久しぶりに大きな鉄橋だ。川には中州がところどころあって、 広くて緩やか。天気のよい休日だからか川遊びしている人たちがいる。
「何の川?」
 渡り終えるころ、堤防に目を凝らすと「雲出川」とあった。 紀勢本線が緑色の鉄橋で跨いでいる、あの川だ。 その後は両側に平野がさっきより広がるようになり、 大型店舗が現れ郊外らしい風景へと切り変わった。 そして伊勢中川。 伊勢中川駅の北側は大阪線、名古屋線、山田線が滑らかにつながっていて、 車窓からも線路が三角形を描いているのがよくわかる。 周りが青々とした田んぼに囲まれていて、視界が広かったのだ。 ここは乗り換えによく使われる駅で、 このときもさして大きくないホームに多くの人が列車を待っていた。 しかしもうここまで来ると津も松阪も手中にあるといった感じ。 伊勢中川から松阪は6分、津は10分だという。 この先、宇治山田までは山田線と呼ばれるが、 名古屋線とつながっていて、列車は名古屋線の時間に入っていく気がする。 そして列車は松阪へ。松阪では乗客の入れ替わりが思いのほかなかった。 やはり鳥羽や伊勢までいくのだろうか。 伊勢地方も快晴で、左手にはときどき緑の小麦畑が広がった。来て良かったと思った。