初夏の伊勢・伊賀地方への旅

暗闇の中、柘植駅へ

  広小路から明るく灯る列車に乗った。次が終点の上野市だった。 上野市に着くと、終点らしく大方人が降りて、点々と改札口に向かい、 外に出ている駅員に改札してもらって、ほうぼう暗い街へと消えていった。 もう18時半を回っていた。 浅いバケツ帽子を被った駅員は、ちらとホームに3人ほどいるのを見ると、 乗り継ぎだろうと思った感じで、さっと中に戻っていった。 私も乗り継ぎまで割と時間があるから、外へ出ようかと思ったが、 もうかなり暗かったし、駅員が引っ込んだ後で改札を出て、 それからすぐに入ることになるのも煩わしかった。 ところで、今乗ってきた列車はドアを開けたまま停まっているのだが、 中には中高生たちが談笑しながらずらりと座ったままだ。 あれ、おかしいな、これは折り返して次伊賀神戸行きになるはずだけど… まさかこれ伊賀上野に行くのか、と思って調べても、やはりそうではなかった。 近鉄伊賀線は上野市駅でばっさり系統分割されるのだ。謎は解けぬまま、 私たちは賑やかな車両を背にしつつ、やや寒い思いをしながらホームに立ちんぼうとなった。 駅舎と反対側には道路が見えて、そして上野城が見えた。 城のある街だったんだ、と思い、この故郷が明快な気がした。 隣の二人の男女も寒そうに上野城を見ている。 ぼんやりしていると、ふっと列車が入ってきた。 やっと来たか、と思い、2両目のドアに足を踏み入れようとすると、 例の車内にいた人たちがざっと出てきて、1両目に乗っていった。 なるほど、待合所代わりにしていたのだ、と今更ながら気づいた。 その伊賀神戸行きは、この列車と接続しているから、 この伊賀上野行きが来るまでは勝手に走り出さないというわけだった。 理解できていれば、ホームで立ち尽くさなくてすんだようだ。 それで私と一緒に立っていた男女は上野城を見に来た帰りだったのだろうかと思った。

車内の様子。外がやや明るめに写っている。

  乗った列車はとても変わっていた。 車両の繋ぎ目のドアが2枚あって、両開きなのだ。どうしてこんな設計なのだろう。 その扉の向こうに、さきほどの学生たちが詰まっていて、 こっちの車輌は人が少なかった。途中の無人駅で降りる人が多いのだろうか。
  列車は出た。途中、西大手という駅舎のある駅で、学生たちが割と降りた。 列車からは、暗さに溶け込んだ駅舎の正面が横から見えて、 降りた人たちがそこから出て行くのが見えた。 川を渡ると、市街を出たことになり、もう伊賀上野駅も間近だ。
  それまでとは違って明るいホームに列車は入った。 ドアが開くと、ぞろぞろ人が出てきて、ほとんど地平の改札口へと向かっていった。 1両目のほうが改札口に近かった。自分がしたたかな生活から浮遊していた。 そういえば近鉄の切符もJRの駅員が対応するのだろうかと考えながら、 JR線に乗り継ぐため階段を上ろうとすると、ちらと運転士と目が合った。

  すぐに藍色の気動車に乗って、柘植へと向かった。 人は少なくない。2両編成で、後ろには一人、JRの制服の人が乗っていた。 佐那具では闇夜に山の辺りまで畑が広がっていて、 がーがー音を立てる気動車から、そんなとこにも何人か降りていった。 新堂に着くと駅舎が見えて、 また、ホームのフェンスに新堂駅という表示かかっていたせいで、 この駅のことは忘れにくくなった。 近くに道路があるらしく、わずかに走行音が聞こえてくる。 そのため降りる人も少なくなさそうだった。 やがて柘植の案内が出た。どことなく車内に緊張感が漲る。 「ここで降りる人は降りないと、 山深い加太を越えて異郷の伊勢平野までいってしまうぞ。」。 闇夜の中からやがて構内に入るのがわかり、 女声の自動放送とともに柘植に着いた。 列車が停まって、降りる人が少し列を作る。「さあここで降ろしておくれよ。」 みな緻密に足を詰める。私は最後のほうだったので、ちょっと車内を見渡した。 すると残って、座っている人がいるのである。幾人かの疲れた細い目が自分の目に入ってきた。 「わたくしたちはこうしていつも加太越えしているんだ。近郊区間を彷徨うのでなく、 当たり前のように鈴鹿峠を越えて、伊賀と安濃津を行き来しているんだ。」 当たり前のように、夜にあの大きな峠を下ろうとする人たちに瞠目しかけた。 もっとも、山賊が出るわけじゃないし、鉄道で行くのだから、 大層に考えることは何もないのだが、 暗くなってからもあの厳しい交通を必要としている人がいるのを目の当たりにして、 切実なものを見たのであった。 また問題が起こらない限りはダイヤ通りの輸送を確約する鉄道も、 ちょっと問題が起こると峠やトンネルでも立ち止まって確認ということがありえ、 そういう緊張感も想い起こされた。
  肌寒いホームに立って、折り戸の向こうを少し見た。 これからあの運転士と、乗客たちで、生活の一部が形作られるようだった。 同じホームの向かい側で接続を図っている草津線の列車から乗り継ぐ人は ごくわずかだった。 こちらからでは特権的とも見える峠越えをするべく、列車は折り戸を畳む。 がーがーという音をいっそう高めて、あっという間に列車は走り出した。 ホームが静まった。いつも自分が使っている、眺めすぎた峠も風景も、 新たに規定できる瞬間が訪れるかもしれないと思った。

  静かになった柘植駅のホームは、 明かりの灯っているだけの、山あいの乗り換え駅だった。 駅の南側はけっこう開けているのだが、 それでも伊賀盆地の端っこのことで、結局山に囲まれたところだ。 駅のホームからは、売店も自動販売機もなくなり、ちょっとつまらないかもしれない。 気温は過ごしやすいものだったが、昨冬も幾度か利用しただけに、暖かくなったんだと思った。
  接続を図っていた草津線の列車は117系で、ちょっとよろこんだ。 快適なのだ。しかも京都行きである。 中は大方クロスシートで、木目調の重厚さが車内を飾っている。 暗きホームにおいて、この列車の明かりの列だけが、確かにどこかへ向かうようだった。 車掌が肉声で、さらにこの光の列に息吹を送り込む。ホームにずっといる人は、 濃藍色にまみれながら、時間だけを信じて、列車を待つ。

2番線のりばにて

車内の様子。

旅客に必要のない点灯表示が見られる。

昔テーブルがあった跡だろうか。

  やがて列車は出た。ときおり車掌が歩いてきた。 この車輌に2,3人しか乗っておらず、また私が目を瞑っているためか、 車掌が私のそばを通るたびに、次の駅の名前を低い声でつぶやいていく。 疲れが出たのか揺られるうちに眠った。ふっと慌てて目を覚ますと、 焼肉の天壇の赤いネオンサインが目に入った。 「三雲だ。」。もうこんなとこまで来たのか。 ときどき夜に柘植から草津まで乗ったが、このサインを見ると、 三雲まで来たな、といつもわざわざ心に思う。 夜の車窓でも知っている指標ができると、うれしいものだ。
  貴生川で乗ってきたのか、客が増えていた。 そのまま、甲西、石部、手原。草津に着き、時刻は20時23分。 ホームにはまだ人が多かった。 それからは本線の時間の流れに乗った。闇夜の複々線をひた走る。 音を立てながら瀬田川橋梁を渡った。夜景が見える。 鳥羽や伊勢に行った人は、いまごろは宿で床を取って、 寝る前に窓の外を眺めてるのかなあ…。 その静かな光の群れと、 SANYOという赤い大きなネオンサインが湖面に揺らめいていて、美しかった。

初夏の伊勢・伊賀地方への旅 おわり


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