播州平野と三木鉄道

2007年5月

陰鬱の福知山線

  さて帰るに当たっては、谷川回りで帰ることにした。実は加古川線に乗るのはこれが初めてだ。かなり楽しみで、期待した。
  入線してきた緑色に塗りたくられた列車は一見正体がわからないが、乗って動き出すとえっと驚く。103系なのかと思いつつ、車内を確認すると、やっぱり。この音空間は最近では、奈良線で長時間味わったからわかったのだった。こんなきれいに改造されているが、根元は車体をがたぴしいわせるおんぼろ。
  夕刻ゆえ車内は相変わらず混んでいて、総ロングシートながら立ち客ばかりだった。

  乗り換え駅の粟生に着くと、やはり結構な人が降りたが、まだ減らない。その有人駅の粟生ではなぜか一番前の扉から下りるようにとの自動放送があったが、20代の派手な若い女性らはしゃべりながら別のドアの横のボタンを押してそこから降りて行った。ボタンを押せばどのドアからも降りられるのを見て、がくんと腑抜けな気持ちになった。青野ヶ原、河合西、と新築の小駅に停まっていくが、車内の人数はあまり変わらず、ついに終点の西脇市にまで来てしまった。
  いったんホームに出る。夕日はなかなか落ちなかった。人々が跨線橋を渡り階段を下りて次々と改札口に吸いこまれるのが見て取れた。
  停まっている谷川行きの接続列車に乗ってくるのはやはりわずかな人だけだった。
  いよいよここから加古川線の旅か、と思いつつクロス席に座って、ガラス越しに駅の風景を見つめた。ここから先、列車本数は極端に減ぜられ、お昼などはほとんど列車のない区間になる。

  発車する前、車内に一人、気になる人がいた。30代くらいで背広を着て、革の鞄を持っている。そのような人は、その方だけだった。それで私は、これはあえて迂回乗車している人かもしれない、と思った。そうか、ほかにもいたか、と想い耽りながら、動き出した車窓を見つめ続け、暗にその人とこの車窓を共有して、共感しようとしていた。

  列車は停車が貴重となる駅に停まっていく。停まるたんびにじっくり窓から見入った。 それから列車は森の中を走った。深山に進んでいくのがわかり、やはり期待した通りだ、と固唾をのんだ。
  西脇市から約30分、終点の谷川が案内される。半時間にもかかわらず充実して長く感じた。しかし小野町からではもう1時間も経っていたのだった。
  運転士は運転しながら、左横の表を見つつ、接続列車の案内をしはじめる。器用ではなく、途中少し迷って途切れたりしたが、そうしてもわざわざやってくれるのがありがたかった。― 普通、篠山口行き、18時34分の発車で、階段上られまして2番のりば、快速、福知山行きは、18時41分の発車、降りたホーム進みまして1番のりばです。まもなく終点、谷川です。

  山に挟まれながらも広くなったところが谷川駅構内らしく、久々に気分が開放された気がした。列車はそこにとぼとぼと入り込み、停車する。立ち上がるのが、物憂かった。もう少し乗っていたい。

 

  谷川に着いたのは18時7分で、上りまで30分近くもあった。ホームには先の30代の人と、私だけが残った。やはりあの人もそうなんだ、とさらに確信を深め、ときどき姿を見たりした。列車が来るまで仕方なく、1番のりばの椅子に腰掛けて、ぼんやり待っていると、改札口の委託風の駅の人が、こっちを睨んでくるのである。なんだこの人は、と驚き、目を合わさないように、向かいのホームばかりを見つめた。
  しかしじっとしているとほんとうに窮屈で、改札爺に目に付かない程度に立ち、ホームから駅前などを窺った。駅前では女子高生らが座り込み、菓子を食っていた。

  さてだいぶ時間がたったが、やつはどんな顔してるんだろ、改札口をそっと覗くと、なんと、誰もいないではないか! ものの見事に無人だ。
  それで彼がなぜ睨んでいたかわかった。ホームにいる私たちが乗り継ぎではなく、自分が引っ込んだら改札を抜けだすつもりなのではないかと疑っていたのだ。改札には、カメラ監視中というシールまで貼ってある。まあなんと陰険な…。そんな危ういこと誰もしないだろうに。そして彼の変な疑いをばかにした。

  退屈だったがようやっと列車が入った。しかしそれは福知山行きで、発車時刻は、まだ入っていない篠山口行きより遅いから、先にこうして入って退避するらしかった。行き先表示を見て、福知山に思いを馳せる。さすがに都市近郊という感じはしなかった。どんな街なのだろうか。
  そう物思いにしばしの間耽っていると、その列車に先の30代の人が乗って行くではないか。え…。そしてその人は乗って窓側の座席に着いて、おまけにこっちの方を厭そうな顔で見た。つまり迂回乗車などではさらさらなかった。結局遊びに来たのは私だけなのね。

  そうか谷川回りで福知山に行くというのは、路線図をじっくり見れば自然な考えでもあるんだ。しかしよく見知った経路だけを頼る場合、やはりつい尼崎まで出てしまうだろう。

静まり返った車内

  篠山口行きは、へたな改造を繰り返したぼろぼろの列車だった。先頭車の顔が真ったいらで、中もごちゃっとしていた。立ち客は少なく、ほぼ全席埋められている。なのにみんな静かに、おとなしく座っていた。車窓は、陰鬱な渓谷を映しつづけた。安っぽい建物の無人駅ばかりだった。

  下滝を出たころ、女性車掌がつかつかと入って来て、車内の先頭に立ち突然大声で何か言いはじめた。本人は大きな声を出しているが、一番後ろの私のところでは小さく硬く響いて、何となくだがわかるぐらいだったが、補いつつ、「只今から乗車券を拝見させていただきます。ご協力お願いいたします」と言っているのがわかった。屹っとした表情だった。
  彼女は声を出しながら私の方をちらっちらっと見ている。声が届いているか確認しているのだろう。

  寝ていたり、イヤホンしていたりで気づいていな客もいて、そういう客には肩を叩いて間近で声をかけて起こした。起こされた人はたいていびっくりしていた。精算者もいれば定期の人もいた。
  私のところはすんなり終わり、彼女は隣の車両へと移った。

  あの事故以来、反感を抱く人もいるに違いない。検札時 客が物憂そうなのは、それによるものだとつい捉えてしまう。福知山支社としては、我が支社は関係ない、と言いたいところなのだろうが。しかし実際、一定期間、優等列車含め検札を正式に休止したことはあったのだった。今はあれから2年経ち、とうに復活している。

  終点の篠山口では慌ただしく乗り換えた。篠山口も新しくし通されていて、もうここら一帯には何も感じるものがない気がした。ここからはJR宝塚線で、例の事故以来初めて乗る。
  お客は、車両数の増えたゆえ分散されたか、篠山口で降りたかで、少なく見えた。また時刻がら上りゆえすいているということは考えられた。新三田からは本数が著しく増えるので、客も増えるだろうと思ったのに、新しい車内はそれに似合わず寂然としている。宝塚線も朝は上り、夕は下りが激しく混むという郊外路線なのだろうか、と思えるほどだった。
  宝塚に着くまでに日は落ちて真っ暗になる。私の車内には数人しかいない。暗くなったせいで、速度がわかりにくく、ただ意外と速いとしか感じなかった。実際、そんなにゆっくり走る路線ではないのだろう。そろそろ現場に差し掛かると思うと、緊張して体が完全に固まった。私は車内ばかり見ていた。みんながみんな、顔を伏せ、じっと座っている。携帯電話を触っている人すらいないし、話し声すらしない。ただ疲れて寝ているだけなのか…。もし過去に何もなかったのなら、近郊路線でもこんなに空く場合があるという、頻発路線の衣を纏った福知山線の本性だということでしかなかったが、この沈黙の空間の中に突き出された頭からは、何があっても仕方ない、どうしようもない、というような諦めたつぶやきが、ほうぼう放出されているようで、公共交通には乗らざるをえない人がいると、思えるものだった。

  終点、大阪。無事、大阪に着いたわけだ。しかし着くや否や、頭(こうべ)を垂れうなだれていた人たちは、さっと立ち、颯爽と列車を降りたので、私は思わず出遅れそうになった。

播州平野と三木鉄道 : おわり