北陸の異空間 ― 小浜線へ

2007年6月

  この年の6月はかなりの高温の出現が多く、いったい今夏はどれだけ暑い夏になるんだろう、と、多くの人々に嘆息させていた。しかし誰もが予想していたように、梅雨が訪れる、と、さして経たないうちに伝えられた。やがて、「**日が、最後の猛暑晴天になるでしょう」と伝えられたが、その女性予報士は、忍従の時期へ入る宣告する役目を、ずっと以前から担いたがっていたかのようだった。

  6月のめいっぱいの日の長さというのを、旅先で体験してみたいな、と思っていた私は、その最後の数日の晴天のうちどれかの日に、どこかへ行ってみることに決めた。ふだん天気の気難しい日本海側も晴れるから、ぜひそちら側に向かいたい。しかし日帰りでたっぷり楽しめる北陸本線上の駅は、もう訪れていた。すると小浜線くらいしかない。電化の際に一新されたので、一昔前の出会いすら期待できないものの、消去法で定まったいい機会だから、と、小浜線に正式に決定した。予定を揃える。本数はまだましな方で、上下見境をつけなければ1時間に一本あった。しかし片方だと日中は2時間弱、列車がやってこない。JR東海なんかになって来ると、3時間くらい走らせてくれなかったりする(多気〜紀伊長島や高山〜下呂など)。まだいい方だ、と思いつつ予定を巡らせると、やはり小浜市の手前で斬り捨てることになった。そこからまた今度にしよう。

  当日、録音された女声の「おはようございます、おはようございます」の連呼によって、4時半に目を覚めさせられた。厭なことにもうすでに外は薄明るい。旅に出るときは、いつもこの時刻に起きていたから、日の出の早さをさっそく床の上にて厭というほど思い知らされた。寝る時刻は数時間早めたが、普段のリズムに逆らえるわけもなく、入眠したのは結局いつものように深夜だった。睡眠不足で、ともかく頭痛がする。もう行きたくない、面倒くさい、このまま寝たろか、と思うが、とりあえず、起きてから考えよう、と、どうにか起きる。
  体内にエネルギーを充填していると、しだいに目が自然と覚めてきた。外はもうすっかり明るい。

  水色の朝を切って、ときに曙光に片目をやられつつ駅に向かい、滑降してきた始発に乗った。米原行き。琵琶湖側は、単子葉類のいくつもの四角な巨群落と、人工的な蒼穹で、農耕史以後のように原始的に輝いていた。
  篠原や安土、稲枝など、各駅停車でなければ放送で聞くこともない駅に、ひとつひとつ停まっていく。

米原乗り換え

  彦根を出て米作地に放り出されると、やがて列車は新幹線の下に鋭角に切り込んでいく。里山と田んぼのほっとするけど寂しい湖北の新幹線駅米原に、そうやって近づいていくのだった。
  下を抜けて有刺鉄線とコンクリート・ボードの新幹線に丁寧に寄り沿うころ、「ご乗車ありがとうございました、終点米原です。列車左右に揺れます、お気をつけください。乗り換えの御案内をいたします。東海道新幹線、ひかり、400号、東京行き、跨線橋渡られまして新幹線ホーム、12番線にお越しください。 6時50分の発車です。 在来線、東海道線の大垣方面、快速、金山行き、は、橋を渡られまして8番線、6時30分の発車。北陸線、敦賀行き。橋を渡られまして7番線6時49分の発車です。まもなく米原です。」

  列車は速度をがくんと落としていた。幾度か転轍機を踏み渡っていった。ホームの端が刃のように車窓を刺した。
  けれども音を変えることなく、滑空していく。車内の人々はすでに立ちはじめていて、固唾をのみつつ、ドア付近で控えている。というのも、みなこれから乗り換え駅のという戦(いくさ)に繰り出すのだから。
  吐瀉物であるかのように列車から噴き出していった人々は、自ら勇ましく階段の方へと向かっていく。空気においては、もうさっそく熱気塊と緊張する朝の涼しさが拮抗している。再び軽い頭痛を催す。ホームで立ち止ると、後ろの人が蹴躓く。さっさと足を運ぶ。そば屋をよける、老人のキャリーをよける。階段に入る。胸腔に響く音が反射する。張り切っているのが見透かされないように、人々は少し倦怠感の香水を足首に付ける。幅薄の革鞄持ったスーツ姿の人々は、米原や駅弁屋や旅情は似合わない。よたよた歩く金髪の旅行者を黙殺し、何のためらいもなくそれにふさわしい人物としてあたかも床に赤い毛氈敷いてあるかのように新幹線改札に進んでゆく。JR東海の目の細い駅員は恭順に、ありがとうございます、と暗く唱え、切符を食べる金属の歯が一斉に噛み合わす。
  私はそこから逸れ、制服の高校生たちとともに、再び在来線ホームに降り立ち、停車中の敦賀行き2両に角20度で接近した。車内はすでにどこも満席で、数人の立ち客がいた。それを見て角25度に修正する。おそらくもっと前から停車しているのだろう。
  仕方なく立つ。発車までたいそう手持ちぶさただった。琵琶湖側は見えないから、反対側の空模様を見て、天気を占った。雲ひとつない晴れなのだが、どうも霞んでいる。南風がかすかに入っているのだろうか。しかしこの日の高気圧の強さと中心の位置からすれば、その侵入は許さないだろう。

  退屈で仕方なくなっているのを見越したかのように、或いは慣れぬ乗客がなかなか発車せぬことに不安を抱いてやしないかというふうに、唐突に、けれどもしずしずと中年男性の深い声で、
「 この列車、6時50分発、北陸線、敦賀行きです。発車まで………4分ほどお待ちください。」
  ドアが開いたまま冷房がかかっている。閉めるかどうか迷う。もう発車時刻が迫るばかりだ。誰かが飛び乗るかもしれない。結局乗って来た誰かがついでに閉めた。

  笛の音ともに、遠くで開いていたドアが閉じられた。列車は透きとおるみずうみ近くに擁するはずの水田地帯を快走する。 「この列車普通敦賀行きです。坂田、田村、長浜の順に、終点敦賀まで各駅に停車します。終点敦賀には、7時38分の到着の予定です。次は、坂田、坂田。」
  長浜で多くの人が降りたが、座席はほとんど空かない。長浜を出ると、
 「次は虎姫、虎姫です。ただいまから車掌が車内にお伺いします。乗車券をお持ちでない方、また乗り越しされる方は、車掌通りすぎました際に、お気軽に声をおかけください。」

敦賀乗り換え

  車掌は立ち客で混んだ車内をどうにか掻い潜って、一往復した。
  客は高月で降り、そして木ノ本で完全に降り切った。車内には容易に数えられるほどしかいない。いよいよ峠越えが近づく。しかし休みの日になると、ここを出ても空かない。夏休みなんかは、紙袋にうきわやゴーグルやビーチバレーボールを入れてる、軽薄を漂わせた男女たちが出現したりする。気比の松原や水島や、若狭か越前海岸に向かうと踏んで、まず間違いなかろう。しかしもう夏真っ盛りという気温にもかかわらず、まだ6月のため、車内は冷たく空いている。

  新疋田からは乗った客があったため、車掌が再び訪れていた。
  抛物線を描くように敦賀に着く。いつもはホームを真っ直ぐ歩いて、福井行きに乗り換えるのだが、今日は初めての小浜線だ。あそこに、翡翠の帯をしめ、青緑の窓ガラスの列車が停まっている。もう客も運転士もが乗っている。はやくいかないと発車するぞ。
  皆が小走りにボロボロ旧急行の福井行きにちゃっかり納まりつつあるときに、私は階段を降り、たった一人で小浜線ホームへの階段を上り直し、列車に滑り込んだ。44分の発車だから、乗り換え時間として用意されていたのは6分だった。米原方面からの普通列車で来ると、かなり遠回りになるから要注意だ。

  車内に入ったとたん、別の世界に来たと確信した。まったく知らない世界がはじまると首肯いた。小浜線って、どんな…。車も車内も、北陸はおろか京阪神ですら見られないものだった。これと同じ内装の列車を見るとすれば、遥か遠く230キロ先の加古川まで赴かないといけないことになりそうだ。
  冷房がとてもよく効いていて、清潔で、新しく、半袖の高校生らが参考書を読んでいた。どういうわけか、先生が乗っていたらしく、生徒らと談笑している。まじめな雰囲気だった。早くも若狭を占おうとした。

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