北陸5 ― 第3回北陸海岸紀行 ―
2008年8月
1日目夕方、松任で休憩して、親不知駅へ
夕方18時ごろ、松任に戻り多くの人とともに降りる。まだまだ外は明るい。これから遥か遠く親不知まで出ないといけないから、ここで暑さと疲れをしっかり癒し、食糧を買ったりして準備しないといけない。
ホームも駅舎も混まなかった。ただ冷房の入っているらしい待合室は盛況だ。
扉の向こうが待合室。
出改札口。
広い駅前に出ると昨年来たときと違い工事が終わり、すっきりしていた。駅を壊すのかと思ったら、駅前広場だけの工事だった。
一人三十くらいの女性が一眼レフカメラを取り出し、紙屑を勢いよく丸めたときのような快音を響かせて一枚駅を撮ると、背後に停まっていたタクシーに乗り込み、ズッバーンとドアを閉めて離れ去っていった。松任で宿泊って珍しいなとも思う。
きれいに直してある。が、この古い敷石の部分は改築の工事範囲に入るのだろう。
完成した駅前広場。
花壇は変わらぬままだった。
これは駅裏にて。
肩を潰すような荷物の重さとアスファルトやコンクリートの夕刻の放熱に苦しみつつ駅周囲を歩いたが店がなく、仕方なく駅舎内のコンビニで買い物することになった。
コンビニの入っている待合室に入ると、冷気に驚く。座って待っている人は多かったが、買い物している人はほとんどなかった。小さな店で種類も多くないが、そこで今晩の分と、明日の朝の分の食糧、そして今食べる氷菓を購入。それらを抱えてレジに行くと、大口の客は珍しいようだった。店の人が氷菓を袋に入れようとしたとき、今食べられます? と訊いてくれた。もちろん、この室内で食べて、体を冷却するつもりだ。
買ったものを受け取り、椅子に着く。氷を食べはじめると、ありきたりにも微かに快感の頭痛を引き起こした。食べ終わるころには、両腕抱えるくらいに冷えて、寒いのにたいそう満足だ。私が食している最中、その姿を見て、氷菓を買い求めた爺さんもいた。とにかくこの日はほんと暑かった。お盆前後はというのはそんなことが多い。
待合室から出ると、あれだけ冷やしてちょうどいいくらいだった。18時56分の金沢行きでここを去る。さすがにもう夕闇になっていて、プラットホームの蛍光灯が明るく感じた。
こんな列車もあるんだ…。
北陸の人々を乗せた朱モケットの列車は金沢駅の暗い大屋根の下に、従順に入り込んでいく。いつも入り込むとき暗い、と感じるのだが、しだいにプラットホーム上の店や人々の姿が映しだされ、賑やかな気持ちになる。人や灯りがなくなってしまえば、廃墟も同然だろう。
わずか2分の乗り換え。向かいに富山行きが停まってくれていたから、ただ無言で、少し屈みながら、階段を降りる人たちの列を截って、移動する。富山行きは少しだけすいていた。列車は19時09分に出る。
津幡を過ぎるといつも人は減って、いよいよ峠越えになるが、極端に人が減ることはなく、人々は何ごともなく移動しているようで、ほっとした。無事に山を下りて、石動着。もう外は真っ暗だ。
高岡を抜けると、山側にたしかに富山平野が感じられた。エンジンの唸りも一定で、もう安定走行だ。この音が、昼には、稲田の広がりとよく似合う。
富山
終点富山に20時14分に着く。金沢からは1時間ちょっと。金沢以外の北陸では、20時を回ればもう夜も遅いということになるだろう。そういうわけで富山駅はお通夜のようだった。ホームの店はみな閉まっていて、自動販売機だけ。大都市近郊区間の、眩しいくらいに明るいホームに人が鈴なりになり、構内放送がやかましく肉声で響き渡る駅がある一方、早くも夜に自分の時間を過ごしている都市もあった。
ここで20時27分の黒部行きに乗り換える。親不知に行くのだから、その次に50分ほど経って出る直江津行に乗るものだが、こんな乗り継ぎもしたかったのだ。当然、黒部でその直江津行に乗り換えることになる。
1番線ホームにて。
あれがこれから乗る黒部行きの列車。
改札口。
開けて入ろうとしたら鍵がかかっていた。改札内から利用できるのは
23時30分から4時までらしい。
黒部行きは1コンパートメントに一人くらいの割合で埋まっていたが、それでもまだ空(あ)いているコンパートメントはあった。東に向かって乗り換えるたびに車内は陰惨さを極めるようだった。
列車は滑川や魚津などに人々を送り届け、車内からどんどん人を減らした。そしてほとんど空っぽにして終点黒部に着く。この時刻は日本海沿岸の寂しい駅だ。黒部で改札を通った人は少なく、また、ホームに残って乗り継ぐ人は自分と、1組の若い男女だった。
夕方の野々市が嘘のように、はっきりと肌寒さを感じた。樅の木が陰険だった。もう21時だ。
黒部駅。
客車的。
改札口を窺って。
次のページ : 夜中の親不知駅