四国紀行 ─ 冬編
2008年1月
灯浮かぶ瀬戸大橋を経て岡山へ、大阪近郊区間へ
・琴平での仕打ち
ついに夕闇の讃岐への山越えも終わり、まもなく終点琴平ですとの案内が出た。運転士の肉声により乗り換え案内が行われる。ワンマンの運転士が運転しながらするこの乗り換え案内がとても好きだ。乗り継ぎの列車はあるのだろうけれど念のためと聞いておこうと耳を傾けていると、特急の接続案内をしただけでぷっつり終わってしまい、普通列車の案内がない。ふっと影が差したように不安になった、そのとき、本日休日のため、琴平・多度津間の普通列車は運休です、ご注意ください、と、霹靂の一太刀。絶句した。しまった…時刻表を読み損ねていた、いや、この2日目が休日になることを、忘れていたのだ。どうしようと錯乱しながらもどうにか手立てを考えはじめていた。そういえば琴平にはネットカフェがある、そこで、いやそれでは何の解決にもならない、となるともう特急に乗るしかないか…。いや、とりあえず次の普通が何時かを確認しよう、でも、予定を立てたときのことを振り返ると、一本でも列車を遅らせると、今日中に帰宅できなかったはずだ。絶望で青ざめたようになっていると列車は無情にも琴平駅へと入り、運転士も何事もないかのように、終点琴平です、ありがうございました、などと言いはじめ、見放されたかのようだった。
明かりともるぼうっとホームを歩く。改札の姉さんがこっちを見ている。どうして見ているのだろうと思いながら、改札前を横切り終えると、さっとその人はマイクを持って構内放送を始めた。つまり私が出ずに乗り継ぎなのを確認していたのだった。その放送はやはり特急の案内で、例の運休のことも伝えていた。優しい声だったが、この場に直面した者にとっては、どうしてもその抑揚では、信じられないものを伝えているようだった。
ホームには十数人の人が立ちんぼうで待っている。みな特急だ。私も自然と列をつないだ。それしかない。もう面倒だからそのままこの列車で岡山まで行ってやろうか、と考えたりした。
振り返ればそれほどの額ではないから別に運休区間ぐらい特急に乗ってもいいと思えるのだが、あらかじめ普通列車用のフリー切符だけで済ますことを考えていたり、そのためになんとか工夫して計画を立てていたりすると、こういうさらに払わざるを得ない事態がとてもつまらなく、こたえるのだった。一本遅らすと帰れないという綱渡りのような乗り継ぎもわざと仕組んであり、賭博に仕組んだところもあった。しかし実際は、特急や新幹線を使うと帰ることができるようにならざるをえないのだった。
特急列車に乗った。なんて乗り心地のいいんだろう。車体の足回りも、シートも、ここまで心地よいと感じるのは久しぶりだった。近くにはそこに絶対お土産が入っていると断言できる紙袋を足元に置いた30代の落ち着いた男女が座っていたりして、ああ、いいなと思わされた。なにせ普通列車やそれしか停まらない駅ばかり使っていると、ほんとうに地元の人しか見かけない。そのために、行っているというのもあるのだが。それに土産があるということは、待つ人が居るのだな。職場のためというのもあるだろうけど、それならこれでいいやと適当に選ぶ。でもいろいろ話を聞かせたいような人には、あれこれ考えて選ぶ。ほどなくして車掌が回ってきたが、呼び止めないとすぐどこか行きそうな雰囲気だった。後で回ってくるつもりだったのだろうか。いっそ岡山までとかいっていたが、大事をとって、多度津までにしておいた。何が大事をとってだ。おかしい。
特急列車のシートのすばらしさを背中いっぱいに実感しながら、真っ暗な車窓を見た。車内は静かで、旅人らしい人らのささやき程度の話し声が漏れ聞こえてくるぐらい。ああ、やっぱり特急を乗り回して、ホテルに泊まって、土産を買って…。特急料金が安く思えはじめる。
絹のように滑らかに各駅に滑り込んでいく。ある途中駅では、白い木柱が並び、改札では駅員が姿勢よくびしっとこちらを見つめていた。特急を迎えるため、そして特急券を徴発するため。
多度津に着き、待機していた列車に急かされて乗換える。ああ、あ、とたんに普段の車内の風景に戻ってしまった。乗っている人も、その辺をうろうろするような格好だ。やはり特急に乗って旅に出るときには、たいていきれいなお洋服を着るんだな。あの特急乗車は幻だったのではないかと思った。
しかし坂出に着いて、私は目を見開かされた。こんな穏やかな楽しげな駅だったとはと。ホームの床が色とりどりで、思い思いににこやかに列車を待って立っている人がいるように見える。そして流れてくるメロディーがときほぐすような優しいもので、私は、ここの駅風景にうっとりとした。休日のためか、若い男女もしばしば見られた。後でその旋律は瀬戸の花嫁という曲だと知った。
貨物列車の通過案内があり、タンカーが過ぎて行った。貨物も活躍しているんだ。工業地域が思い浮かんだ。そうして坂出で気持ち穏やかに待っていたが、ところで次の列車はいつだったっけと意識して改めて発車案内を確認すると、まだだいぶ先で20分以上先だった。思わずホームの時刻表まで足が向かい、じっくり目でなぞってみたが、ほかに列車はなかった。岡山行きに接続していなかったようだ。
快速マリンライナーがやっとこさやって来たと思ったが、いたって平然とホームに入って来る。高松から来ているからすでに変に座席が埋まっていて、車窓を見たいことを理由に、立った。
運転台の貫通扉の近くにいいスペースがあり、そこから車窓を見ている。つなぎ目だからか鉄橋の音や下方の海が感じられた。瀬戸内海はときおり弱い灯が浮かぶ程度で暗い。そんな感覚の中を列車はとてもゆっくり曳航されてゆき、鉄骨が散らばるような音は立てなかった。しかしこんな転換クロスシートの車両を何両も繋げ、快速として毎日何本も運行しているのだから贅沢だった。瀬戸内もなかなか力があるんだな。先頭のグリーン車を車掌が歩いているのが車窓から見えたことがあった。グリーンはがらすきだ。だいぶ経ってからこの車両にもやってきた。
足がだるくなりながらも、不惑で眺めていたが、児島の案内を聞くと、もう終わってしまったことを認めざるを得なかった。茶屋町に着くと開いたドアからの風が冷たく感じた。気温が違うようだった。
20時を過ぎたころ、岡山着。ホームはどこもかしこも新しくなっていて、乗り換えのためにコンコースに上がるとぴかぴか、おまけに突出部のないフラットな自動改札がびしっと並んでいて、果てにはICOCAまで導入されていた。もう姫路と一続きの大阪近郊区間じゃないのか…。
20分弱ほど、その新しいコンクリートのホームで待った。人は多くて、見通せる向こうのホームにも人が立ち並んでいる。ただ、できたばかりものばかりで、長く待っていると体が疲れた。突如として、線路は続くよどこまでも、が金管楽器の編成で響き渡る。腹腔にどしどし響く音を出す、その上機嫌なところが気恥ずかしかった。いやがおうでも小学生のころを思い出す。もう旅も終わろうというのに、闇夜のこんな新ホームで旅の気分を容赦なく高揚させられて、ため息が出た。今から旅が始まる人もいるかしら。あまりそういう雰囲気はなかった。
灰汁の色に青い線の入った姫路行きが来た。ホームで待っている人は待望といった感じで、全員乗り込んでゆく。クロスシートとロングシートを混ぜていて、あからさまに普段の列車だった。乗り心地もどこかつまらない。私は座れず、立っていた。客が多かった。岡山を出てしばらく続く駅では降車客も多く、岡山の都市余波を思わせたが、どこからだったか、急に市街灯も減って、車内がいやに寂しくなる。あ、これは都市圏を抜けたな。空席はさっきから順調に増え始めていたが、今はついにどこもかしこもあいており、私は着席できた。三石の案内が出て、車掌が入ってきて、先頭に立ち、かわいげな声をなんとか大きく出して、ただ今から乗車券を拝見させていただきます、ご協力お願いします、という。彼女はそういいながら、遠くに座るいろんな人の顔を見ていた。声が届いているか、確認しているのだった。車内改札は静かに始まる。はす向かいの女性は980円くらい支払っていた。また寝ている人の場合、肩をとんとんと叩いている。私のときに、私はその人の顔を見た。やさしくかわいらしかったが、声がかなり効いたようだった。
無事検札も終わりほっとしていると、事件がおきた。列車が急に停まったのだ。すぐに放送がある。男の運転士の放送で、ただいま、鹿と衝突いたしました。ただいま、鹿と、衝突いたしました。安全確認のため、しばらくお待ちください、と。ええっと顔が青ざめる、姫路接続が消失するんじゃないのか。最後の最後まで試練が付きまとうこの列車旅。窓の外を見ると、車内の明かりが畑地を照らしていた。そして白い鹿がふっと目を閉じて横たわっているを見た。でもあまりにもちょうど良すぎるから、見間違いかと思い、なんども凝らしたが、結局わからなかった。
初めの数分はすぐ出るだろうと括っていたが、時刻が進むにつれて、焦り始める。これはまずい、どうしよう! 早く出してほしいがそうも言えない。急に車掌がつかつか入ってきて、先頭にあっという間に立ち、怒ったような目をし、さっきとは違う精一杯張り上げるような声で、上郡からスーパーはくと13号に乗り継ぐお客様はいらっしゃいますか、といいながら、車内を見回した。怒っているのは、私が車掌としてふさわしくない見方をしていたからかと思ったが、違うに決まっていて、緊急の事態に直面した責務感から来たものだった。でもこんな気の強い一面があるとは知らず、気持ちがすぼんだ。恐る恐る2人ほどの客が手を上げた。ある手を上げていないように見えた客に向かって、お客様も乗り継ぎで、と言ったのを見て、さっきの検札で着駅を記憶しているのかと思ったが、客が早く手を下ろしたかわかりにくかったのかもしれない。車掌は乗り継ぐ人を確認し終わると、スーパーはくとは乗り継ぎできるよう取り計らわれるのでご安心ください、と車内に向かって優しい声音で言った。お、おい、姫路での新快速接続は…? 到底訊ける雰囲気ではなかった。もし訊いたら、そっけなく、接続しますけど、と言われそうだ。車掌は次の車両に移った。私は耳を澄ます。やはり車掌の精一杯な声が聞こえてきた。私はひどい。
車掌が乗務員室に戻ったころになっても、とくに動きはない。そんな中、急にある30前くらいの男が立ち上がって、女性乗客につかつかと近寄り、「本当に鹿とぶつかったとわかりましたか」、とメモを持ちながら不審な表情を作ってやや強い口調で訊きはじめた。いったい何が始まるんだ。すると客は拍子抜けするほどまともに応対して、「はい…、ぶつかった音がして、あ、死んだな、と」。車内はしんとしていて、蛍光灯のもと、返答がよく響く。ちょっとなんでそんな仕込んであったかのような台詞がでてくるんだ。だいたい奇妙だよ。もう一人の女性乗客にもまた同じことを訊いた。今度は、はい、と小さい声が響いた。「みんな嘘を言っている。自分はぶつかった音も感覚も知らない。そんな器用にわかるものなのだろうか。放送があったからではないのか…。」 みんなあの記者風情の見方をしているようで、そして自分が感覚鈍磨として陥れられているようで、この空間の中で、私は気が遠くなった。こんなの芝居だ、そうもはや遊び心で叫ぶ。記者なのかとも考えたが、どうもそのようではない。人に訊き方を知らない。そして私や、男の客には訊ねなかった。可能性としては、衝突が最もわかりやすいと彼が考えたところに座っていた客に、訊いたのかもしれない。しかし防護無線の音も聞こえていて、すいた列車の密室に得意になった探偵に、うんざりしかけた。いい加減はやく列車が出てほしい。もし自分が彼に、あなた一体誰なんですか、と詰め寄ったりしたら、彼は少しもひるまず、「私の指示に従ってもらわなければ、命を落とすかもしれませんよ。」なんて真剣に言い出す展開もあるかもしれないと考えた。停車が長引いて、退屈だった。
・普通野洲行きに間違って乗る
前方で乗務員室の内開きの扉がばたばた鳴っていた。車掌も外を歩いて移動しているようでバラストの踏む音が聞こえる。それが落ち着いて、後尾の乗務員室から車掌が、まもなく発車いたしますと、と恭しげに述べた。例の探偵気取りも尻すぼみで活躍はなかったから、もう忘れかけていた。結局、姫路接続はわからずじまい。その不安を抱えたまま、列車は久しぶりに動き出す。
上郡着。ここで鳥取行き最終スーパーはくとに乗る人は、お乗り換え。あの人たちはどこまで行くのかなと想う。ある中年女性は紙袋をいくつか抱えていた。鳥取まで行くのかな。
上郡を出てからは各駅の停車時間を詰めるというので、発車さえも慌しかった。急ぎ足で相生に着く。そこで私は同じホームの向かい側に、普通野洲行きを見つけ、目を見開いた、どうする、姫路接続がわからないままこれに乗り続けるか、いま乗り継げることが確約されているあれに乗るか! ついに我慢できなくなり、私は急いで走って乗り換えた! 車窓から見える今まで乗っていた列車。その概観は岡山あたりに棲んでいると納得できる感じだった。これで都市圏の列車に乗り込んだぞ、と思っていると、構内に思いっきり次のような放送が響き渡った。姫路より先もこの列車の方が早く着きます、姫路より先もこの列車の方が早く着きます…うわ、自分に言ってるんだとわかり、恥ずかしくて恥ずかしくて、とにかく早く放送が終わってほしいと願った。当然、もう元には戻れなかった。乗ってきた姫路行きが出る。あのね、ちゃんと姫路接続を案内してね。この今乗った列車があるということは、新快速が岡山発の後続を必ず待って、接続するに決まってるというわけでもないと考えられるんだから。
でもほっとした。これでもう間違いなく、これ一本で帰宅できるんだ。車内はがらがら。でも221系のシートが背中に心地よく、安心できた。ほどなくして放送が入る。まるで車内に眠っている人がいるかのように、またこれが夜行列車でもあるかのように、静かに。21時42分発、普通野洲行きです。まもなく発車します。相生から普通で野洲まで行くとは、気の長い話だけど、のんびりすることがわかって、ちょっと楽しくなった。ちなみに野洲は0時49分着で、終着まではおよそ3時間。
列車は滑るように動き出す。さっきまで乗っていた列車は、乗っていてなんだかしんどかった。そろそろ姫路に着く。当然新快速はもう出ているだろう。放送が入った。本日の新快速列車、すでに営業を終了しています。本日の新快速列車、すでに、営業を、終了しています、姫路より先まで行かれる方、このままご乗車ください。そう、休日でなければあと2本新快速が走るのだが、この日はもうおしまい。あの列車は最後の新快速に接続していたというわけだった。後で調べると、普通野洲行きならあと2本出ていたから、そんなに慌てなくても帰れなくなるということはなかったようだ。
「まもなく御着、御着です。」。列車はするりするりと古い駅舎のあるホームに停車する。この御着という名前を聞き、明かりのともる駅名標を見たときだった。まるで近郊区間に無事入りましたよ、と言われているかのようだった。御着。すばらしい駅名だ。ひめじ別所という駅を見たときは、乗っているのが各駅停車のため、新駅のできたことをうらんだ。それ以後記憶がなく、気づいたら神戸あたりだった。三ノ宮でホームを見ると旅行者が群がり、寝台車がやってくるのが見えた気がした。車内はすべての座席が埋まっているらしく、こんな時間の普通列車でも人が多いのだと知った。またこのあたりの駅ではホームにまだ人が多かった。もう23時を回っている。
その後も私は1時間以上も眠り続けて、気がつくと降りる駅の数駅手前だった。毎度ながら器用だ。時刻は0時をとうに回っている。それでも下車すると駅の改札は活気があり、照明がまぶしかった。
その華やかさを逃れると、まだかろうじて人の動きがあるものの、暗い駅前で、それより先の風景は、いっそう暗く沈んでいた。たまにひとひら、ふたひらの雪片の落ちるのを見る。駅から歩き、どんどん細道に入る。真っ暗で、ひとしきり寒い。自転車のところまでやって来た。さてと、帰るか、と荷物を置いて、手袋をした手でハンドルを握る。そのときだった。さっきからちらついてはいた雪がどっと降り出して、手が白くなっていく。あかるい安和の海がさっと浮かんできた。それで、ああ確かに高知は南国だったんだ、とやっとわかり、なぜだか泣き出しそうになった。
四国紀行─冬編 : おわり