初夏の七尾線
2008年4月
九州旅行から帰って、気が付くともうひと月半が経っており、4月の下旬だった。よほど先の旅行が充実していたのだろう、まだしばらくはどこへも行く気が起きない。でも4月の終わりから5月の初めにかけては、やはり出掛けておきたい。仕方いないときに行くのにぴったりだと思っていた七尾線を考えはじめた。たいへん失礼ではあるが、そう考えていたのは、長大な廃線が心に引っかかっていたということもあったし、半島や離島が苦手ということもあった。それに残っている津幡から穴水は、まだまだ能登らしさの出現がないということもあった。昨年夏に少しだけ七尾線を下車したが、そのときの雰囲気からもとくに欲が起きなかった。
しかし行き残しておいても仕方ない。それに行き切らずに断じても物足りなかった。この際だから、順番に降りてみようか穴水まで。
予定は2泊3日にし、初めの2日は穴水まで、3日目を城端線にした。しかしわけあって3日目の予定はすべて取り消しにして、2日で帰ることになってしまった。宿泊に関しては私とてしては初めての試みとなる方法を取り入れることにしていた。だいたいこんなぐらいにぼやかして書いておくことにしよう。
金沢まで
肌寒い初夏の早朝、最寄駅まで行きつき、駅員に穴水までを頼む。やっぱり穴水で戸惑っていて、いらだたしげに路線図を見て、発券になった。べつに穴水でなくても、もとからここはこんな感じだ。しかしそれから数か月経ったころ、不思議なことに応対はよいように変わっていた。今思い返すとあのころのこの駅の応対は変だった。
いつも北陸に行くときにするように、同じ始発の列車に乗り、米原で乗り換えた。米原から乗る2両はいつものように既にすべて座席が埋まっているし、しだいにひどく混むのも変わらなかった。長浜で客は入れ替わり、木ノ本までは高校生でぎゅっと混んで、木ノ本を出るとからっぽになる。しかし休日になると、木ノ本を出ても客は減らないのだった。
敦賀では小走りして乗り換えなければならないのも変わらない。旧式の3両で、朝なのでほぼ席は埋まっているが、休平日関係なくいつも座ることはできる。
福井での乗り継ぎ列車は、平日は時刻がら、列車にはほとんど人がいないが、今日はやや多めだ。やはり連休に入りつつあるんだなと思う。この先さらに各主要駅で人を順調に積み、普通列車乗車を金沢まで耐え忍ぶ。
さて10時10分金沢終着のこの普通列車は、高岡・富山方面への普通列車の発車まで48分あり、私にとってはよくない接続で有名だった。しかし、七尾線はというと10分後で、とても接続がいい。つまり、自分の最寄りの駅から普通列車を滑らかに乗り継いで到達できる北陸本線東端は津幡ということになりそうだ。
ともかく能登へは滑らかに行けるのである。私は七尾線乗り場までたんたんと歩いた。
七尾線ホームは津幡方の端にあり、やや遠い。しかし歩いている間に、七尾へ行くんだ、という気持ちになって来る。「七尾線はつまらないと思っていたのに、案外よかった」なんていえる旅になったりして、などと期待も膨らませた。 車掌が外に出たり中に入ったりして、放送をしているのが見えてくる。たぶん乗車客がどれだけあとに続くか確認しているのだろう。ここから見るとごくふつうの車掌だが、実は、前回七尾線に乗ったことからしても、七尾鉄道部の車掌、駅員はちょっと独特のものがある。慣れないうちは、まったく合わないだろう。私が仕方ないとき行くとしていた理由はこの辺にもあった。車体は水色と桃、鼠色で塗り、七尾と表示されたヘッドは黄色の透明板がかぶせてあるので、色つきメガネを掛けてアロハを着たどこかのちんぴらみたいな車両なのだった。
さあ、車内に入ろうか。待ち時間を感じることもなく発車し、東金沢、森本、津幡と金沢近郊をざっと走る。津幡では「七尾行き、発車します」と言って、発車した。この列車は富山ではなく七尾に行くのだ。津幡を出ると、左の方にそれていく単線に載りはじめる。
ああ、本流から外れていくんだね。支線というのは、始まった瞬間に、もう終わっているんだ。
直流へ移行するため、一時車内の明かりが消える旨の放送が流れた。そういえば、七尾線は北陸本線と違い、直流電化だった。明かりは消えたが、午前10時とあって、なんともなかった。車掌が徘徊しはじめる。
車内にはグループでの旅行客が目に付いた。ボストンバッグを座席に置いた老夫婦、また、数日の出張用の、ぱんぱんに膨らんだ鞄を持った、スーツ姿の男性もいた。接待かしら。
列車はしばらく高架道と並走するという、単線のくせに緊張感のある風景を見せた。宇野気までに検札があり、車掌が押した。声、仕草、顔から、この人は去年乗った時も検札していたことをすぐ思いだした。高架道と別れ、鉄道らしさを取り戻したころ、宇野気の街だった。七尾線はじまって最初の主要駅、宇野気で降りる。
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