山陰海岸小旅行

2008年10月

夕暮れの但馬を帰途に


  薄暮に色褪せた風景を汽車は往く。東西に走る街道にも関わらず、往きしな驚かされた鳥取市街への意外な峠越えでの到達もこうなっては山がちな但馬の暗示だった。多くの高校生が岩美で降りた。そういえばこのさきしばらくで県境を迎える。
  浜坂のしょんぼりしたホームで豊岡行きの来るのを待つ。夕冷えてそして閑としていた。乗って来た列車もまた、しょぼんと背後で待っているそのわけは、噴煙逞しく再びこれから鳥取に折り返し、そして豊岡から来る汽車の乗り継ぎを取り持つため。ふと、そういえばここで鳥取の空気はいったん絶たれるんだと。けれどもすぐ近畿に入るのではなく、餘部や鎧の独孤たる但馬、それから豊岡や城崎の北近畿でしだいに旅の感情を鎮めつつ、都市部へのとりなしをしてくれる。

浜坂駅にて。

 

米田茶店はもうホームでは売っていないようだ。

 

虚しき漁火


  餘部鉄橋では数人の客しか見下ろさない。しりしりと冷える、じんわりとした夕闇のころに、香住に着く。男子高校生らがワンマンの二両目に乗ってきて、雑談しながらすぐ床に円陣を組みはじめる。車窓に漁をするだけの海が黒っぽく影がちにときおり映る。いつもここはこんなふうに通学してるんか。これではやりたい放題だな。でもあくまでここだけでの話でしかないよ。少し先まで行けばもうできないし。限界ある手法としての放埓と隔絶されし孤島の得意な気分よ。そうむなしさを感じていると、あたりにほとんど客のいないことをしきりに見回して確認してから、急にひそひそ話をしはじめ、よし、賭けをやろう、と言い出した。やろうやろう、と、荷物をどけ、あぐらを組み直し、一人がエナメルバッグからカードを出した。そこで彼らのうちの渉外格らしい一人が、やけにおどおどしながらこう誘う。「賭け、やらへんか、100万やで100万、やらへんか、やらんか、どうや」 ほかの二人ほどもこちらを見るともなく見ているものの、恐る恐るにやけてあまり肝が据わっていなかった。さて、その円陣の背後に、きれいに席に着いて、ほとんど口を開かない細身なのがおり、それがいっさいの表情を浮かべず、据わった目をこちらに向けている。これが突き当たりで、飄々とした感じの奴は、とっつきやすく油断させる係りとして、前に出しているだけなのかと警戒する。しかしまた自分の年齢が低く見られたと思い、とりあえず公の場の侮辱への蔑視を隠して、円陣を傷つけないよう朗らかに何度も誘いを押し返した。結構、しつこい。通牒されると思ってグルにしてしまおうというのだろう。はたして向こうが脅してまで引き入れるつもりなのか、駄目元でのことなのか測りかねたが、執拗でありつつも、結局かってに博打をやりはじめたのを考え合わせると、半分くらいは、本気だったらしい。その博打をさあはじめようというころ、誘ってたやつが例の細身に、おまえ見張りな、と命じており、使い走りでしかなかったのを見誤ったらしく肩透かしになる。しかしその細身が博打中、あのいかにも良心を持ち合わせていなさげな涼しい目で、ずっとこっちや、一両目へのドアを見張っているのだ。いやらしく、あからさまだった。どうせ賭博が好きというより、ただ非合法の行為をしたくてしかたないだけだろう? こんなのでも家ではあんがい、漁師の跡を継ぐと宣し、ときどきは孝行息子らしくふるまっていそうで、そうなると、たまったものではないな。ここにはやはりこんな楽しみしかないのだろうか。もうここは通りしなに一瞥をくれるだけで十分の、悲哀の地方と看なせた。私は、これまで蒼海や巌崖を讃えていたきたことを、やや恥じました。けれどもそういう見方が旅の者や みやこ人からのものでしかないとしても、これまでの風景が丸刈り頭の高校生の博打込みだとは信じぬ。
  にやけた顔やら冷たい顔なんかつくり、こんなところでやらかすことからして誰かに雷を落としてほしいという心中は丸見えで、意識家としての太い神経なんか早くに潰してほしいと潜在的に本人じきじきに願っているものさ。それでも高みの物見するのは、悪よ、もっとはびこれ! と念じているからだ、というのは言い過ぎにしても、もっと迷え! ついでに路頭に、と思っていなくは、なかった。なんだ。もしか、自分が迷わされて行き詰っていることの仕返しか。それに、私の架空の感情より、なんか彼らの方が生活を実地で楽しむ術を持っているようでもあった。


  車内は、自分と円陣のほかには、遠く離れたところに老夫婦が座っているらしいだけだ。その爺さん立ちあがり円陣を過ぎ、一両目のドアに近づいたとき、一陣と私に緊張が走った。しかし爺さんはその扉の近くにある、二両目にあるトイレに入っただけだった。そのときの見張りの顔を見ていると、そわそわしていて、どうも、通報されそうになると円陣に伝えて撤収させるだけのつもりのよう。まあそんなものだわな。


  真っ暗で奥城崎のホテルの広告がぼんやり灯る竹野に着くと、人相の悪い先輩の一人がホームで待っており、円陣の一人が、すぐドアまで近づいて、言葉を交わした。やはり侮りきるほどでもないかな。本気で竹野浜に拉致でもしそうな感じである。もしや、あの男の前で博打をうっているのですが大丈夫そうでしょうか、なんて談判を乞うているんじゃないだろうな。幸い、例の先輩はちらちらこちらを見ていたが、そんな品定めまではなかったようだ。この地方は大丈夫と二両目に乗っていたのに、ガラが悪すぎてまったくだめだった。紀勢線の栃原から乗ったときのことも考えると、監視のない二両目は夜に乗るときそういうつもりをある程度していた方がよさそうだ。まあでもこの傍観はとどのつまりは、他の國の風習については、巻きこまれずに済みさえすれば、旅人ゆえ、素通りですませられるし、まただからこそ、素通りしたいという気持からきただけだった。あの群れも、いまごろ無事卒業しているかしら。


  無事 城崎温泉につくと、中年の男性客や仕事帰りの女性らが乗って来て車内は堅い空気に替わる潮目となり、円陣は大慌てで撤収。乗ってきてくれた大人な客は、ここであったことなど何も知らず、ただ疲れた表情で席に着いている。悪童どもが敵う相手ではなさそうだ。旅客らは堅気となり、豊岡までいきついた。乗り換えているとき、何事もなくてよかったなと思う。

場違い


  豊岡から闇の窓を見ていると、昨日霧の晴れた夜久野あたりのことを思い出した。乗りも疲れて額が熱くなり、そろそろ休みたくなった。どれ、この辺で一泊してやろうか、と誘惑を受ける。でも帰りは、和田山から播但線に乗るつもりをしていたから、それで帳消しにしようよ。
  和田山で降りようとすると、気動車とホームの床がすごい段差で、がっくんとよろめいた。しんしんと冷える給水塔のある山の中の乗り換えで、また旅心募った。

 

 

 

 


  この日はこの辺の都市で会議が開かれたのか、ふだんこんな汽車には乗らないよという話をしながらも、楽しそうにしている背広姿の人たちと乗り合わせた。そのうちの二人は 、私と近くの、通路を挟んだ席に 向かい合わせで座り、背広をフックに掛け、「姫路までどれくらいかかんの」「2時間だ」「2時間っていったら、大阪からだと東京まで行けるぞ」と、おどけて笑ってる。「2時間かぁ」「新幹線だったらとっくに」、何度もそういって、苛立たしいげに、けれども少しは楽しいような、最後は肩落として仕方ないような、そんな様態だった。はまかぜはもともと都合がつかなかっただろうけど、特急の話は一切出なかったところからして、知らない感じだった。早く帰りたいだけかと思いきや、そういうわけではないようで、すべてを同じ尺度で測って動いている人というのを、改めて目の当たりにする。でもそういう価値の時間の中に存していない道が、いかに騒ごうと身揺るぎもせず存しているだけなのも見せつけられた。そういうさまざまな道を、認められることがまた、仕事観にも繋がっていくのだろう。このような捉え方にあっては、当節のそういう時間の認識の中で生きていないことというのは、それがどんなものであっても道 というものが吸収してゆくようだった。

寺前着。


  寺前で乗り換えるとき、一人、列車を撮ってはすぐ手元を隠し知らんふりしてタバコを吸うのを繰り返す、ジャンパーを羽織った四十前くらいの人がいた。そんな、思春期であるまいし。あと、フラッシュ焚かないようにすれば少しはましになるのではと心の中で提案。いろんな人が乗っていたんだな。夜も深いこんな本線の外れの駅ながら、乗り換え客はけっこう居て、寒風入る改札口では列車到着に合わせ、出るものは居らぬかと、神戸支社の駅員がありがとうございましたと声を出しながらきっちり立っていた。
  乗り換え後、背広組の別の二人は、駅に着いても沈黙したドアを見て、「どうやって降りるの」「ボタンでも押すんじゃないの」 片方は投げやりだった。呆れているのだろう。ちなみに、ここは二両目だから、ボタン押して出るならいちばん前まで行くのだが、そんなことを改めて知ることになったとしても、くだらぬ無人駅なぞに用はないと、憤慨しそうだ。ロングシートだった。足を組み、電話の画面を見せながら、「どうこれ。」「どうしたんですかこれ」「うちの子が描いたんだよ」「え、これを」 宙に浮いた、組んだ足が、ばかに大きかった。このような大きさでは、玄関の框をたやすく乗りあげるのでないかと思われた。また、相手は、ばかに驚いていた。付き合いだけのことではない感じであった。車窓は黒く塗られている。帰らねばならぬ人のために、窓は夜、黒くなるのかな。なんぼう覗いても、私になんも見せず、車内ばかりを見せている。


  京口で人で犇めく車両と交換した。最後まで残っていた播但線の地平ホームに降りついて、あまりに改札口が多いため、一部はすでに閉鎖された姫路のコンコースを歩き、高架のホームに行き着いた。どこも大勢の人で、そして明るかった。大河に流れ着いたのだ。丸刈りも、例の背広組も、フラッシュの御仁も、私も、みんな、これまでの同舟に、飽き飽きしたように、互いに、あばよ!と心の中で平手打ちを食らわし、新しい人を大量に間に混ぜ込んで、けれどもめいめい一人掛けのモケットに包まり、そうして眠りながら運ばれていったのでした。

 

山陰海岸小旅行 : おわり