道南紀行 ─ 寝台特急日本海に乗って
2009年5月
夜の函館駅で乗り継ぎ、砂原周りへ
特急に乗っている。客車的に音が床の下で籠っている。同じ列車には乗ったがもうあの一家とは顔も合わせることはなかろうと思った。自分の奇特な予定を辿る人はいまい。昨日おとなった函館までの小駅なぞまるで沿線の小屋であるかのようにきっかり等速に走り抜けていく。無理やりにどの人をも旅人に仕立て上げるような車内の内装、背凭れのふくよかさ。机上で想像した通り、やはり車内で宵を迎えた。五稜郭では電気店の広告塔が照らされ、生活的で、次に降りねばならぬ函館が近づきもして、どっと疲れが増した。新しいものに出会うときの緊張感の生起は、夜の終着駅に着くにあたっては、相応しくないものだった。
函館は飾りすぎない程度に輝いていて、それが却って灯の一つ一つが印象を植え付けていくかのようだった。日没は遅くなる季節だが、夜は外套のいるまで降温し、港かららしい夜風が忍び込むにもかかわらず、すべての線がゆきづまりに裁ち切られた構内では、到着した汽車の赤灯火の指向性は微動だにしていなかった。
通路も広くて明るく、改札のその先にはキャリーを引いたさまざまな旅行者が佇んで歓談している。コンコースもいかにも余所向きといった仕立て。
初めての函館が夜というの避けたかったが、思い切って外に出ると、華美は潜め、しとやかな感じでネオン管が中空に数個の屋号を象り、駅前も広く歩きやすかった。
「ここまでくれば何でも揃う感じだな」。そう思えると逆に買い焦らなくなった。
コンコースにて。
改札口。
MVでもないのに急行はまなすの切符まで買える券売機。
少しでも窓口の混雑をなくしたいのかもしれない。
寝そべれないように細工がしてある。
駅前夜景。
ロワジールホテルのネオンサイン。
あれは何かと問われればずばり函館山。
駅舎軒下にて。
ロータリー。
順当な旅行者なら今晩は函館に投宿となり、買いだしをして、ホテルにてくつろぐ、となるんだけど、今からおよそ1時間後の20時半ころの最終 普通 森行き乗って、私はとある駅に行くつもりだ。それまでの間、コンコースの椅子に座って休憩した。
はじめのうちはこの吹き抜けのコンコースに似合うキャリーの客も多かったが、あっという間にみな特急に乗ってしまって、地元の人だけになり不思議な光景が作り出された。ここはおれたちの街の駅といいたそうに、十代くらいの子が椅子で寝たり、色褪せたシャツを着た爺さんがトイレを行ったり来たりし、またごみ箱は漁られたりした。そんな中 壮々と「只今から、特別急行スーパー北斗の改札を行います。」などという案内が水銀灯の元、反響していくのだから滑稽で仕方ない。しかもここは自動改札。しかしこうして人の動きを見ていると、観光地を取り戻す平衡役が躍動する時間のようだった。
函館駅の一風景。
居づらくなったコンコースのガラス張りに透ける、幾棟かのホテル名のネオン管は夜更けでもう消されるのではないか、と思えるほど静かな広場を見下ろしつつ、儚く灯っていた。
改札開始の放送なんて意味がない、と言っていたのに、自分をごく自然な旅行者に見せたいからか、最終森ゆきの改札開始の放送が入ってはじめて、立ち上がり、重たい鞄を提げ直して、改札を目指した。しかし特急とは違う普通列車の、何の荘重さも込められなかった放送こそが、地(じ)の人たちを引き上げさせ、そのときばかりはまだ小さかった函館駅の様相が、駅の内装や構造で以ってではなく、人そのもので以って、造り上げられていくのを目の当たりにさせられたようだった。しかしこうして土着の人に紛れるより、函館は、いっぱしの旅行をするのがよかった。背後からはすらりと伸びるホテルにしきりに誘われていた。
一つの乗り場に森行きと、まったく逆の上磯行きが並んでいて、間違ったら大変だ。二度確認して乗り込む。まだ時間があるったから、葉のまだ少ない木々も寒がっていそうな吹き通る風を身に染ませつつ、道内限定というリボン・ナポリンという飲み物をホームで買った。車内の席に就いてさっそく飲むとただ甘い。オレンジ色で、成分表を見るとコチニール色素とあり苦笑した。
あちらは上磯行き。あれに乗ってはだめ。
最終列車の砂原周りで
一コンパートメントに一人くらいで座っている列車が、扉をごろごろごろと引いて閉じると、闇の窓に映し出された白々と蛍光管の灯る車内は、自分の独壇場になった。夜の旅人を安心させるがごとく、函館からすぐ次の駅に着くが、さっき通ったときには人の動きがあったその五稜郭駅は、はや別人のように寝静まっていて、夜が深いことを知らされ、不安が昂じた。森行きはここからいよいよ、真剣に北を目指し、昨日、今日とうろうろして私の感情に汚された函館以南と、決別することになる。清らかな地を進んでいるんだ、と夢中になって、ずっと窓に頭を凭せ掛けて暗闇の外を覗いた。何もないだだっ広い裾野のずっと遠くに、揺らめく光の列が見えていて、海岸だと思っていた。しかしそうでもない怪しい感じもする。すると今度は、函館とは全く違う方角に街の光芒が見えた。もうどこをどう走っているのか、わからない。でも草原であってもそれは海なのだと断じた。大中山駅に着く。橙色灯が無人駅にされた駅舎の影をじっとりと描き出すばかりで、あたりは駅名だけで奔放に想像されるのを押しとどめられず、「きっとひどい山の中なのだろう。今ここで降りたら、何かに喰い殺されてしまうかもしれない」などと、いだすらに外の恐怖を高めることで、やわらかい座席のある、窓の内側の安全さを増幅させていた。
仁山を経、渡島大野に着く。夜ながらも、かなり山裾を上って来ているのがわかった。確かに坂を上り、例の光の列も低く、小さくなっている。列車が唸りを止めて、慣行に入ると、自分の苦しさも少し和らいだ。
人々はどの駅でも少しずつ降りていき、最終列車らしい様相だった。ところで仁山と渡島大野を通らない線があり、その経由の列車に乗ってしまうと、この二(ふた)駅いずれかに降りる人は、家に帰り着けなくなってしまう。のんびりした道民ならありそうなことだった。そしてそうなったらそのことを駅舎の壁に書き付けるのかもしれない。
かなり山中(さんちゅう)を走っているので、もう函館からは夜景の光のような玉の緒という縁が切られたようだった。山岳と池沼で名高い、道別れともなる大沼ではやはり十数人が降りて、闇と冷気に喰われていった。しかし幸か、駅舎の向こうでは迎えの車のエンジンを掛けて待っている感じだった。きっと暖房を入れているのだろう。
降りる人はみな乱暴に客室のドアを開けて、デッキで運転士の改札を受け、車体のドアから降りていったが、閉め切られなかった客室のドアを通じて、恐ろしいほどの冷気が忍び込んできていた。
改札を終え運転台に戻るとき、運転士はちらと客室を覗く。確かにこんなところをこんな時間、一人きりで運転しつつ、車内の感触は、デッキに挟まれてつかめないのだから、こうして駅に停車したときに、ちらっとでも確認したくなる。そんなふうに思うのも、慣れた運転士ですら何かしらの特別さを感じなくもないことにして、自分の緊張感を高め、それを味わいたかったのかもしれなかった。むろん彼が室内を瞥見したのは、もう降りる客が居ないかを見定めるためのはずだったから。確かに、そのはずだが…。
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