道南紀行 ─ 寝台特急日本海に乗って

2009年5月

東京から普通列車で近畿へ

 

  雨模様の東京駅前に着いた。地下への階段下り口の脇に、老婆の乞食が雨を凌いでいる。路上生活で雨が降ることほど苦労することはないな。不憫に思いつつも、八重洲の地下コンコースに入った。朝まだ6時半ごろのため、構内はすいている。わざわざ東京駅まで来たのは、ここからもバスで帰るつもりをしていたため。しかし夜行バスの疲れをまったく感じなかったので、東海道を緩行で下ることにした。画面を触って切符を購入し、東海道本線ホームへ。湘南新宿ラインに乗ってもよかったが、自分の旅を思い通りにしようという気はもうなかった。それはそうと東京駅の内部は飾らないんだ。途中、東京エキッチンなる店を見つけ、先の文を象徴する存在だなと思う。

このあたりは天井がかなり低い。そしてひと気もなく。 この辺は団体の集合場所だそうだ。

平日は7:30から21時までの改札口。 土日は休み。

どこかの改札口。とりあえず千葉の人の多い場所。

 

  ホームに上がると小田原行きがある。階下のホームでは山手線の乗客で黒くなっている。 もうこれでいいや、と入って、ところどころあいている隙間に身を収め、縮こまる。立っている人はいない。床が濡れ、重苦しい。ほぼスーツ姿で溶け込みにくいが、それより自分が北国帰りの厚着であったので、おかしくないかかなり気にかけていた。いっぽう、朝の下り東海道はこんな少なさかと意表も突かれていた。それでも川崎に来るころには立ち客で混み合い、各駅では派手な到着メロディーが猛り狂っていた。横浜あたりでは、座っている客も息苦しくなるほどで、外は晴れたり曇ったり、関東平野の天気の一様でないのを改めて知る。大船の前ではまた雨で、目の前の女子高生が、「出る前は晴れてたよねぇ」「テレビでも晴れって云ってたのに」「私きょう持ってこようか迷ったんだけど、降る気がして持ってきたの、ほら」「すごーい」 本人はそのときの予感をやや詳細に話しはじめ、まんざらでもない雰囲気になったところ、友人が「じゃあ今度からはあさみに訊けばいいのね」「あっはは、そうだね」というように、爽やかに切り上がった。

  茅ヶ崎や平塚を出るころにはすっかりすいて、神奈川の有力都市を過ぎ切った感じがする。和やかな小田原を目前にしたころ、「乗り換えのご案内です。下り東海道線、熱海行きは、小田原駅ですと階段を使っての乗り換えになりますが、手前の鴨宮ですと同一ホームで乗り換えができます」と何回も車掌が放送してくれている。わあ、これは助かるなと、素直に従って、鴨宮で下車。ほかの人も倣ったようで、ホームでは乗り継ぎ客らしき人々が少し固まっている。箱根の山には雲がかかっていた。

鴨宮にて。

  次の小田原で乗り込む人々を余裕の気持ちで迎えられ、あと30分ほどで熱海に着くことになるが、車窓はすでに豊かな地方を映し出していた。熱海に着くと忙しい。ここはいつも4分乗り換え。あわただしく階段を下りて別のホームの静岡行きに乗り込む。9時6分の発車。東京は7時に出ているけど、熱海までは2時間かかるのが通説である。2005年のときのように、湘南新宿ラインのグリーン車には乗らなかったが、そうすれば快適に熱海まで移動できるにちがいない。(土休日は熱海まで走ってくれる。ふだんは小田原や平塚まで。)

  ここから東海のきびきびした車掌とともに長い長い駿河の旅路がはじまる。このなだらかさを救うのはひとえにこの管轄の車掌の性質だけと思える。長大なトンネルで箱根を抜け、文字通りの函南に着く。東田子の浦など、もし晴れていたら途中下車するのにと思う。 由比や興津の辺りでは日差しが見られたが、雲も多くて今日はやはり駄目だな、疲れているし乗ったままでいよう。

沼津。

そろそろ富士の見えるはずだがきょうはこんなぐあい。

  10時30分、静岡。そのまま2分後の島田行きという中途半端なのに乗る。興津で乗り換えておけばそのまま浜松まで行けたが、別にどう乗り換えても浜松に着く時間は変わらない。どの列車も座れる。午前のいい時間になり、車内もすいているので、ときどきワインの小壜を傾けた。客観的に見て、かなりいい加減な人だなと思いつつ。

静岡にて。

島田行きの車内。

  何も考えず東海道を乗り継いでいくと島田で降ろされることになることが多そうだ。最近駅前を一から造り直したのをホームで眺めて退屈しながら、興津発、浜松行きを待った。ここでたまらず飲み物を一本購入。やはり内地は生暖かい。そういう気流が入って雨が降っていたのだろう。しかし北海道での同じ恰好でも暑くはなく、やはり同じ北半球なんだな。

島田駅にて。

 

 

  島田から浜松はほぼ席が埋まっている上、向こうの戸口あたりでは男女が南米の言語をまくしたてている。車内でしゃべっているのはその二人だけで、声量も傍若無人のため、絶望的なやかましさだが、長い間聞かされているうちに、男が女を必死に口説いているらしいとわかるから不思議。男はときどき話題をずらしたり、笑いを取ったりするが、本題に戻ろうとするとすぐ女が豹変し、男を激しい口調で突き放す、そんな繰り返しだった。この男もしつこくてかなわんな。女が言い募って止まらなくなると、男は接吻で口をふさぎ、甘い言葉をかける一面も。同棲しようと誘い、これほどいいことはないと執拗に迫って、金の話になっているのでないかと想像した。終点まで乗るんだろうなと誰もが覚悟していたところ、唐突に女が下車してしまった。すると男も追い縋るように降りた。しかし元からそこで降りるつもりの感じだった。車内にほっとした空気が流れる。静岡も外国人が増えているのだろう。

浜松。

 

  11時52分、浜松着。乗りはじめてから5時間。このへんで普通列車の限界というものがわかってくる。ただまだお昼の魔法で緩和されている。しかしいつかこの浜松の街も歩いてみたいな。構内は人が多すぎず、けれども賑やかな感じが伝わってきていた。
  浜松は静岡地区での最後の乗り継ぎ。ここから1時間かけて閑散区間を通過し豊橋に向かう。やはり浜名湖が境になっているのだろう。弁天島のあたりはいつ見ても気持ちよさを感じる。いつもコンコースに露店が出ている豊橋からは新快速大垣行き。これに座れないとかなりしんどいだろうけど、今のところ座れなかったことはない。そしてこれでほぼ東海道の旅は終わったことになった。やわらかいクロスシートに身を包まれると、お疲れさまと言われるのを感じる。体を癒し、岐阜まで抜けよう。車掌が何度も巡回していた。蒲郡が風光明美なところなのをはっきり知った。蒼海にところどころ茶色が混じっていて、チョコミントアイスのようだ。蒲郡も国定公園になっているだけはあるなあ。

豊橋駅。

 

蒲郡付近にて。竹島のあたりではないけど…。

岡崎の手前あたり。ここは水田だが、

しだいに小麦畑が目立つようになってきた。

西岡崎付近にて。

ご存じ名古屋。

岐阜の街並みを見下ろして。

  名古屋を降りずに済ませ、14時16分、どんよりした頭で大垣に倒れ込む。関西心央に入りこむのは夕刻になりそうだ。ということは一日仕事か。米原行きは40分発でかなり待つが、東海道で繋がりの悪いのはここだけであり、もう関西は目の前であるし、列車は早めに入って来てくれるので、手持ちぶさたはあまり感じない。けれど玉に傷ではあるなあ。結局出るとき、車内は2席に1人しか座らなかった。あれが伊吹山だろうなと眺めながら、関ヶ原の道を分けてゆく。4年前のように普通列車東海道の移動に喘ぐこともない。道南旅行もきちんと終えたし、なんか辛苦が足りない。

 

 

関ヶ原を越える。

柏原駅から見た伊吹山。

  琵琶湖線の列車がその地方で画一的な駅をとびとびに停車していく。管轄が変わっても、地域が変わっても、読み継がれる駅名を十時間聞き続けた結果、ふいに駅名標が視界から消失するようになった。そして停車はしていくけれども、駅名というのは存在しないように思われはじめ、無名で形としてだけの駅と、何の規定もない透明な道すじが、永遠に続いていくような思いに捉われた。

寝台特急日本海に乗って ― 道南紀行 : おわり