道東紀行
2010年9月
帰本・青森駅
青森駅では人が分散して、急に自由な空気になった。もともとそういう都市でもある。ただ曇天にバケツをひっくり返したような大雨。しかしそこまで降ってくれると鮮やかでもあり、人々の集まった駅舎内には、なにかへんな明るさが漂っていた。家族旅行などばかりであった。
なんでも、青森から八戸が分社化されるとのことでやってきたグループや単行も多いようだ。しかし目に映るのはほとんどがキャリー引くような一般的な旅行者。
みんなの諦めが朗らかなのは、午後3時ごろのため、後は帰るだけな人も多いというのもあるし、青森駅は屋内の飲食店や商業施設が充実しているので、退屈しないというのもある。「とりあえず外に出てみるか」と、傘さすと、激しい驟雨のせいで路面からの水煙にひざ下をすっかり濡らされる。東南アジアではスコールとでもいいそうなものだ。おかげで人はまったくといっていいほど歩いていない。
さてこれから東京行の20時の高速バスまでの約5時間をどうやって時間を潰すか…。食事くらいでは到底潰れないぞ。
「よし! こういうときこそアスパムに行こう!」「あれを考えた人はえらいね。雨のときのことを考えてある。」などとたまには箱物をほめる。アスパムの玄関で傘を畳んでいると、出て来た白髪めがねの男性に見つめられる。あんたも雨宿りかということか、私から西日本を感じ取ったか…
「別に入ってええやろ」と、中に入ると、なんや、みんなここにいたんかいな、という盛況ぶり。物産イベントが開催されていたのだが、もう撤収しはじめていて残念だった。もう少し遅くまでやってほしい。
歩けば人にぶつかるほどで、みな買い食いなどしているのだが、ある小さな女の子が、アイスを買いたい、と母にせがんでいた。すると母は体をかがめて目はそのままに口元だけを笑しながら、「自分で買うんだったらいいよ、お金あるでしょ、母さんも自分で買うから。お母さんが全部出すのはだめ、どうする、どっちにする」というと、女の子はめんどくさそうに、そして怒ったように「じゃあ、じゃあもういい、私が二人分出すから!」というと、母はあっけにとられていた。私もだ。仲良しでありつつ、そうばかりでもない、そういう絶妙なバランス関係が、もうこんな時期からあるんだ、と。そして通説通り、口達者である。
私は気楽な身だった。お金を使わないと決めて、必要な支出しかしない、そんなこともできる。しかし誰かと一緒となれば、そういうわけにもいかなかろう。
私は広大な土産物売り場を物色しはじめた。とにかくりんご尽くしだ。
ある片隅では四十くらいの夫妻がおり、妻の方がカートに山盛りの平積みの箱菓子を数えながら、
「これは岩木部長さんの分でしょ、それから片原さんの分でしょ、それから…これ、足りてないんじゃない? あと何個いる?」
「とりあえずそんなだけ積んどけば足りるだろ。」
「そうか。そうね。」
みんなそうして、土産を買いあさっていた。おかげで発送コーナーではヤマト便が待機して、大雨の中大忙しだった。
これもみんな東京の都人士が休日に旅行に青森に来たのである。連休となれば、とりあえずどこか行っておかなければかっこもつかないということもありそうだった。
西国の観光地では、こういう現象が見られないので意外な心境。あちらでは旅行者は集中せず分散し、土産も落ち着いて選んで、ほどほど。しかしここでは、なにか消費パワーなるものが溢れ出ていた。
―東京。それで私はいま東京にいるのではないかと錯覚したくらいだった。
「こりゃ旅行にならんなぁ」とぼやきながら、アスパム内の探検で時間つぶす。織物を実演しているところもあり、まさに都会人のふるさとへの渇望に応えていた。こういうあからさまな演出も、関西や中国ではほとんどなく、それはどちらかというと対等だという考えがあるからのようだった。地酒や郷土品の華々しい展示もそう…。
上階には静かな催事場がいくつもあり、就職の説明会や研修に使用されるところのようで、立札があちこちにある。今は無人だ。ふと窓を覗くと、津軽海峡が見渡せる。旅行したいなぁと。
上に行くほど狭くなるこの建物、最上階のレストランは庶民で混雑する最下階の喧騒を逃れたい人々の憩いの場であるようだった。
いろんなことにちょっとため息つきつつ、一回りを終えると濡れた足を少しでも乾かすため、靴を脱いで1階でゆったりと休憩する。何か食べてもよかったけど、周りの消費パワーに対してはもうすっかり天邪鬼になっていて。傘があれば雨は除けられても、ほんと濡れた靴ばかりはどうしようもなく、私なら何か対応サービスを考えるのに…と熱く念う。
18時にもなると周りの人が減って、冷房の効きがよくわかった。夏の旅行だった。でも9月で、もう夏も終わりである。みんなたぶん特急はつかりに乗って八戸へ向かったんだろう。怪しまれるかなと思いつつも、休憩を続けていたが、後2時間で外で食事しようと、重い腰を上げる。仕方なくここに来たにせよ、何時間も居座って後にするとなると、なんかとても名残惜しかった。
外はすでに薄暗く、すっかり忘れていたが、路面を雨脚が激しく叩いている。またこんなところに放り出されるのかと思うと気が滅入った。「そうか。観光地は悪天時を考えた箱物が必要なのか。冬のブリザードを思えば、その辺はお手の物か。」
なんにせよ、この本土の最北から関西まで帰らないといけない! もう旅行はとうに終わっているというのに! 金に糸目をつけないなら、地方空港から大手の飛行機だろう。けれど、ものを知った壮年でもない私は、時間をかける方が落ち着いたし、そっちを好んでいた。
まずは食事処としてラビナを選択。中は実に申し分ない充実度だったが、やはり雨でも外に出たくなって、商店街を歩き、去年、青森を去る前に入ったカレー屋に入った。なぜか去年と同じことをしたくなった。たぶん同じ場所で思い出を積み重ねたかったのだろう。
すいていて、テーブルでもカウンターでもどちらでもいいですよ、といわれ、客層を見てテーブルを選択した。食べてみると毎回実に何でもないカレー…。匂いとイメージに誘われているだけなんだろうな。
しだいに混んできて、私はすぐ後にする。
高速バスに
結局いるとこないなー、と思いつつ、雨の中一人とぼとぼと、あの吊り橋陸橋を跨ぎ、バス集合場所の駅裏西口に向かった。西口の小さな駅舎のベンチにでも居座ろうと。それにしても19時を回り込むとこんなにも人がいなくなるとは。
来てみると西口はまだ少数のバスが停まっているだけで、人も少なかった。あの水色屋根の小さな家のような駅舎の中には、やはりバス待ちと思われるやんちゃ系の人なども待っていた。
特急や飛行機といった名門から外れた、無名の交通を待つ、無名の我々のような者らもいる。バスの時刻表などどこにも掲示されていないし、チケットも駅では売っていない。
「なんか自分のバスが来るか心配やな。駐まってるバスも自分の乗るのとぜんぜん違うし。」
やがて、さまざまな大型バスがハンドル切って駅前に入りこんできた。私は一台一台目を丸くして確認するが、自分の乗るバスはない…。
バスは整然と集結し、それに対峙するように、自分と同じくらいの若い年代の人々がどこからともなく蝟集しはじめる。どうしてこんな丁度いい時間に来られるのかは毎回不思議だ。
たいていはペアやグループだが、私はちょっと仲間意識を感じた。こんな貧乏旅行が楽しいのは、自分の自由を、自分の賄える範囲でコントロールしているからだろう。
西口は静かなところで、また、集まった人々も騒がなかった。
さてプリントしてきた予約票によると、私の乗るのはさくら観光バスという平凡な名前のバス。バスは入って来はしたが、ちょっと時間が早い。自分の方が時間を感知がしているのではないかと焦る。
バスの添乗員も名簿から名前を読み上げはじめ、大勢の若い人々の間に緊張が走る。私は出兵式や特攻隊のことを思い出していた。
名前を呼ばれて、ほっとしたように駆けだす20代の女性。それとは対照的に、落ち着き払った様子でゆっくりバスに向かう若い男性。名前を呼ばれなかった人々だけが後に残る。
私は、時間こそ早いが、目の前にさくら観光バスが停まっているので、集団の中から抜け出して添乗員に聞きに行った。けたたましいエンジン音の狭間に入りこみながら、添乗員のいた後尾まで行くと、なんと、彼は立ちしょんしていた。うわぁと思いつつも聞くと、「名前は呼ばれましたか?」と。「名前を呼ばれていないなら違います。」と、小泣き爺のような容姿の彼はにべもない。まぁあんなとこを見られたわけだからな。
元の集団に戻るが、別に恥ずかしくないはなかった。そんなことより逃した方が大損害である。
結局そのバスは出て行って、自分のはやはりそれから30分後のものだったようだ。ちゃんと入ってきてくれて安心する。
名前を呼んでくれたのはあんな人ではなく、サングラス掛けた紳士な若手の運転手だった。ちゃんとした感じの人でほっとしつつ、バスに乗り込む。前回、弘前観光バスのフットレストで殺されそうになったから、今回は違うバス会社を選んだ。アイマスクやまくらなども付いていて、サービスが良い。
私は窓の外からまだバスを待っているもう少数になった人々を見やる。
「もうバスなんてないよ…。どうするんだろう。」そんな意地悪な慰めを心の中でかけて遊ぶ。しかし実際、日付を跨ぐ乗り物ゆえ、日付を間違える人も一定数いるだろう。
バスはあまり人を乗せず発車。途中弘前に停まるという。
わざわざ高速に乗り、新しくなった夜のネオンで輝かしい弘前駅に着くと、バスは席が満たされはじめた。弘前は津軽の昔からの都で、気温も青森より冬は低いともっぱらである。
その後、どこかのSAに無言で止まったことぐらいしか覚えていない。周りの人のほとんどがトイレに立ったことにぼんやり優越を感じていた。たぶんこの人たちは往路なのだろう。私は疲れ果ててバスの中でも平気で寝てられる。
やがて小雨の北関東を過ぎ、晴れぎみの東京駅前にインする。なんというか常磐道は密度が薄い気がする。たぶん目的地にしたことがまだないのだろう。しかし東京の旅行者も、鉄道好きはだいたい青森まで抜けてしまうのではなかろうか。青森は西回りの文化もぶつかって来るところで、肌合いは悪くないように思われた。