道東紀行

2010年9月

網走を発つ。
特急オホーツクにて。
 
網走湖。ここは狭い部分。
そんなに高くはない。
美幌にて。

網走から旭川へ

 すでに降りた駅にはいっさい興味がない、といったふうに汽車の車窓を冷たく眺めた。再び網走に向かっている。1718網走発、札幌行のオホーツク8号に乗るのために。網走に着くともう空はうすぼんやり明るいだけで、旅行者も地の人も仕舞支度の趣きだった。二日前の、池田から花咲はまとまった移動だったが、今から向かう旭川も着くのは21時だから、3時間40分でこれもまた長い。降りるばかりなので、こういう機会が楽しみでならない。ちなみに札幌まで行く人は着くのが22時40分ごろで5時間を優に超えてしまう。

 私も途中までは健気に起きていて、暗い北見で多くの人が待っているの見送ったが、その後、熟睡。旭川に着くのはまだまだ先であるし、ちょっと寝たくらいでは降り過ごしたりしない。むしろここで寝ておいた方がいいくらいだ。今日は雨天決行で疲れ、しかも寝て然るべき移動時間とくれば、甘美な睡眠だった。なのに突然、誰かから叩き起こされる。でかい声で、道民のバンカラな女人が、
 「いいですか!」
 「は?」
 すごい頭痛がしている。
 「座席転換してもいいですか」
 (どうせグループで座りたいだけやろ!勝手にしたらええやん。なんでそんなこといちいち聞くんや。)
 内心ぶちぎれながら座席を転換すると、目の前にはしらん若い男性が同様に眠りこけていた。
 (なんでこんなことなるんや、ほんまあの*したろか。おれの睡眠を返せ。)
 しかし発車すると、
 (あれ、進行方向が違う…。)
 そこではっと気づく。
 「遠軽だ!」
 遠軽か…。
 「くっそ、鉄道にちょっとは詳しいはずの自分が遠軽を見落とすとは。だれや紋別線廃止したんは!(いや、どっちにしろこの動きは変わらんやろ。) だからか。あのアマが転換とか抜かしたんは。」
 思わず苦り切った。しかしよく考えれば、転換したのは私と向かい合わせにならずそちら二人きりで座りたいからである。おかげで自分は指定席なのにしらん眠りこけた男性とこんなふうに向かい合う羽目に。私もなんぼ起こしたろかと思ったが、こういうとき起こされると腹立つのはこうして実感しているので、もうそのままに。
 「紋別線を廃止したのが悪い。」
 と、私は駄々をこね続けた。だって、それがあるなら遠軽のことは忘れないもの。

 彼は一度目が覚めたが、そのまままた寝た。おれが寝てるんやから、席転換せんでもええやろ、と彼は思わなかったらしい。つまり地元の人で、彼もまた遠軽のことを忘れていたようだ。
 そのうち彼は途中駅でばつが悪そうに降り、その直後に私は座席を転換した。まぁ、特急指定席ではめいめいがめいめいの時間を互いに過ごしたいと思っているものさ。次乗って来る人の手間を省いてやっただけだ。

 旧白滝などを安全に通過するのを味わうことはできた。よく考えると、駅に停まるというのは、精神的な意味でリスクだろう。その土地の空気やあるいは人が、同一の空間に入ってくるかもしれないのだから。いったい何時代からつづいている駅とも知らぬところは物見遊山の気分で通過する常識ある人々が乗り合わせるのが特急といったところだろうか。