道東紀行
2010年9月
小樽の銭湯
夜の小樽駅
宵の口になったころ、重い荷物を抱え、印刷した地図を片手に柳川湯に向かう。しだいに街が終わっていくが、湯のある通りは、妙に広いのに人影が少なく、けれどなんとなしに店舗は並んでいる。かつての街なのだろう。小樽はやはり昔からの都市なんだなと思う。入るとき逆に入りそうになっただけで番頭に疑われ、こんな場末の港町の銭湯のことなんか知るかい、と。居たって、どうせサンババくらいしかいないじゃない。中はピンクを基調としたジェットバブルのある湯で、入ったら入ったで私は心ゆくまで疲れを取らしてもらった。やはり地元の老客が多いけど、小樽周辺にはほかに銭湯もあるので、旅行者は分散するかしら。いや…銭湯に入る旅行者も、もう少ないか。同じことをしている人に出遭うかと思っていたけど、まるでそんな気配はなかった。
以前、駅前銭湯という本があり、湯によっては載せる載せてくれるな、という話もあったようだけど、00年代以降、そんないざこざはすべてはネットの地図によって塵芥に帰した。そうして10年代以降はSNSの逆手をとって商売する、そんな時代になっている。
出るとき番頭は倅らしきに変わっていた。こっちから言っても出る直前に彼はやっとぼそっというだけなので、どっちが客かわからしない。そういや昔の北海道のサービスってこんな感じだったなと。外はもう秋寒で、真っ暗になって人影もない通りは、野犬が出そうな時代で、当時それしか買えなかったというような丸い水銀灯が、二列縦隊で灯っていた。
小樽駅前まで戻る。車の量こそ多いが、賑やかというのではなく、あたりは暗くて、レトロな駅舎がぼんやりライトアップされているだけだった。攫われても意外に足は付かぬかも知れぬ。
さて、食事は気分を切り替えて…とはいうものの、明るいチェーン店などは選ばず、気になって仕方なかったナガサキヤ百貨店に入店。案の定、中は古く、息も絶え絶えに衣料品を並べており、状況が推し量られた。レスカリエを登りつめた最上階の元レストラン街も明るいけど、極めて閑散としている。昔はもっと飲食店があり、どの店もいっぱいだっただろうに。そのうちであろう一つの、おあしすに入った。広いホールには二十代半ばくらいの女給さんが一人だけ、客はほかに一人だけだけで、私がふらりと入ると、にこやかになった。きっとひまで仕方なかったんだろう。
百貨店全盛期の昔懐かしい店内と小樽駅前の夜景を味わいながら、ラーメン定食をゆっくり食べた。道内でのまともな食事はこれで最後になるかな。一人いた背広姿の壮年の男性ももう店を出ていた。 最終長万部行きに乗るにいい頃合いまでまどろんで、レジに赴くと、例の係りはなぜか面倒というより機嫌がよかった。たぶん私のような旅人がめったに来ないのだろう。
小樽駅に戻ろうと、長い横断歩道を歩いていると、すっかり客層が変わっているのに気付く。札幌から帰って来たお父さんや女子学生など地元の人ばかりで、夕刻いやというほどいた観光客はまったくいない。そうか旅行者はもう宿で床を取ってるもんなと思うと、すこし寂しい。しかし私の旅とはまあいつもこんな具合さ。 それを振り切るように、最終長万部行きに大切に乗り込む。時間はまだ19時台だが、ご存知の通り、この山線は終着長万部まで3時間もかかるのだ。この区間の奥まった無人エリアで夜22時前後というと、結構な深い夜であることは容易に想像されるかと思う。