道東紀行

2010年9月

小樽駅にて。
ニセコ駅。
昆布駅。昆布盛とはだいぶ離れている。
蘭越駅。
黒松内駅。

函館本線・最終長万部行き

 客は多くいたが、十分に座れた。緊張感をもって私は出発を見守る。だって私はこの列車に3時間近く乗って、真夜中の森を目指すのだから。
 車内は私服の学生が多いせいか、とても賑やか。ひどく揺れる気動車もそれに寄与していた。
 しかしその賑やかさが、この先の私の下向地のさびしさを引き立てるようで、つらくもあった。初めからもっとしんみりしていたらいいのに、と。彼らも二股まで乗ってくれて、一緒に降りてくれたらどんなに心強いか。

 


 学生らは包み隠さずすべてをしゃべっていて、友達同士の何人かの男女グループが、
 「こないだのセンターの模試、どうやった?」
 「もう最悪! 私、英語50点しかなくて…」
 「あー、わかるわかる。おれもそれくらい。」
 「国語とかわけわからんな。半分も取れん!て!」
 「古文とかどう思う?」
 「あれはわからんわ。 あーっ!」
 「もう、私どうなるんやろ…」
 「大丈夫やって。そんなもんやって。なんとかなる。」
 「あいつかなりきるらしいで。100点超えたって言ってた」
 「へーん。」
 「はぁ。」

 

 その向かいにごくたまにしか話さず座ってた男子学生が、ある駅でふらりと降りようとすると、一人女子が、座席から体を乗り出し、あっ、お疲れ!と大きな声をかけた。その瞬間、通路を進んでいたまったく別の中年男性の脚が彼女の顔をドシッと殴りつけた。
 こうして無事列車は出発する。
 内心、換算点なのか素点なのかと考えていた。しかし彼らには彼らのドラマがあるようだった。

 

 彼らは余市で降りていった。ほかの客もみんなそうで、汽車はあっという間にがらすきになった。ここから先はしだいに客を減らしていくか、最後まで乗るかだが、終着でも乗り継ぎはない。もしまともな人でこの状況に置かれたとするなら、倶知安で降りて旅館のドアを叩いてみるしかなかろう。

 

 余市以降、しだいに汽車は各駅に停車してもものさびしいものだった。
 昔は銀でも採れたのか、高地の銀山駅では、おうちの人がホームまで来ていて、降りた人を出迎えていた。私の頭にはポトシという言葉がぽとりと落ちてくる。

 

 そうしていよいよ精神的な休息地ともなる、倶知安に近づく。さすがにお前もこの街で降りるだろう、と言わんばかりの構内放送で、「くっちゃん、くっちゃんです! ご乗車お疲れさまでした、くっちゃんです!」と誰もいないホームに若い男性の野太い声がガラス窓の向こうに響き渡っていた。これより先は乗ってはいけないのかとさえ思える。
 そんなだからここですっかり降りるのかと思いきや、そうでもなかった。遠くからこちらを窺っている改札員や、同乗の者らに
 「おまえはいったいどこまで乗るんだ?」
 そんな風に思われている気さえするほどだった。
 そんな倶知安をついに出る。もう都市にまみえることはない、いや、率直にいって小樽と倶知安はどの程度行き来があるのかわからなかった。小樽までは1時間程度で、朝6時台の2本の汽車のどれかに乗れば始業時刻には着く。しかしこの後、倶知安どまりの列車もあるのに、今の列車は人なんかほとんど乗ってやしなかった。やはり学生くらいなのだろうか。

 

 倶知安以降は、汽車は深刻に各駅を営業終了の駅へと塗り替えていく。
 ニセコも有名なところだが、もうとうに寝静まっていた。
 それにしても、車内の自動放送がいつもご丁寧にきっちりした英語付きなのだ。訪日客が多いからなのだろうけど、こんな時間の人知れない無人駅も舌を回すように案内されると、なにか異様だった。

 

 私はボックスシートに座っている。珍しくある途中の無人駅から、フードを目深にかぶったスウェット姿の男が乗り込んできて、私のはす向かいのボックスに、進行方向逆に腰かけた。景色など見えないが、窓の外を見守ることしかできぬ私は、しっかり映った彼の姿を見る羽目になる。窓越しに目が合うのを避けるため、窓から視線をずらす、すると、今度は生身の彼の視線の上面とかち合う。彼は携帯をいじくり倒している。北海道ではなぜか逆方向に腰かける人がわりといて、それは人の自由なのだが、背もたれが低いせいか、キハ40ではたいてい視線が妙に合いやすくなるため、避けた方が望ましいと前から考えていた。いや、昔はその方が良かったのだ。そうしてコミュニケーションがとられたこともあった。しかし時代はとうに変わっている。そして私はたいてい逆さを忌み嫌っていた。数理的には良いことが多いが、もし逆打ちするなら、それ相当の理由がないと美しくない。夜も深い、駅間距離も異様に長い無人区間を疾走する気動車。運転士は区切られた別室にいる。― 二重の逆さの恐ろしさ。窓に映った人の姿と、進行方向の逆という、互いに打ち消し合わない逆は、私を魔境に誘い、憎悪を搔きたてた。しかしやがて私は茶人的に淡泊になり、無機的に、視線を鏡より向こうに透過させつづけ、彼の存在を消していた。

 しかしついに、彼は気づいた。しばらくして、忌々しげにどさっと順手方に座った。
 窓に映った姿というのは、たいていおぞましいものだ。透過性のあるそれは鏡より何かその人の心そのものが映じているようで、おそろしいのだった。
 私はしれっとしていた。別に彼を見ていた憶えはない。見てもどうなろう。スウェットの怪しい男ではないか。無論、私も十分に怪しかった。こんな夜更けに、よそ者が、この汽車に乗って、何をしに行こうというのか。節約のためフェリーで小樽まで来て、それで実家の二股や蕨岱に帰るのか。
 体格も、顔も、道内の人とは異なる。私はシティな格好をしている。つまり―目的不明の、ようわからん人だった。
 「落ち着けよ! 自分はまともだ。しっかりしている。意識も清明だ。しかし、それ以上、なぜを問うな。問うてもわからん。問い続けたら、」
 死んでしまうだろう。ある程度のところで止めておくことにした。
 「簡単に考えようぜ、私は、ほら! 駅に寝に来たんだよ! 駅が、好きなんだよ! 無人駅が、ね? 味わいがあるじゃない? え? あんな貨車駅に? ええ、ええ、まあねぇ。そいで、朝な朝な、別の駅に行くんだよ!」
 そう! 効率がいいからなんだ。すべてはそこからはじまったことだったのであった。それ以外に何の理由があろう? 駅を味わい尽くしたいというのもあった、しかし、それだけでは寝泊りする理由にはならない。効率是即理性也。
 「けど、まもとな人なら、長万部に泊まって、考えるだろ。異常だよ。」
 汽車は漆黒の森をいつまでも突き進み、ちっとも駅に着かない。駅など本当にあるのかと思うくらいだ。
 彼は黒松内で降りていった。
 しかし、なぜ彼はあんな無人駅から乗ってきたのだろう。友達の家にでも遊んだ帰りだろうか。土木的な仕事だろうか。
 蘭越と黒松内は、準主要駅かと思う。いちおう、まちがあるらしいのだった。それ以外は集落かもしくは無人地である。しかしその2駅も無人駅だ。