厳冬の南紀1
2010年2月
列車は遅れもなく平和に運行しているようで、このかつて逞しかったはずらしい漁村にも時刻通りにやってきた。この区間はまだ本数がある。ここはここで峠で閉ざされた一つの世界だった。
夕刻前になっているので、車内の客は少し増えている。次は尾鷲。案の定多くの人が降りていった。私はあまり尾鷲駅を見なかった。今度行きたくなってたまらなくなったら困るから。街だから何でもあるだろうと思ったが、この街のカップ麺の総数はいかほどかなんて思う。
ここから津まで出るのはほんと遠いなと思いつつ、尾鷲を出た。
紀伊長島でしばらく停車。三時間の接続待ちもありえることで有名である。私はなぜかこの駅名に強烈に惹かれている。伊勢から来れば、峠越えの海の町だからだろう。けれど駅はそっけなかった。もう空は薄明だ。
こうして駅に降りず列車に座ったまま過ごせるのはほんとに楽だった。
しかしこうしてこの駅にいるのは落ち着かなかった。なにせ長い峠を越えてしまわなことにはどうしようもないからだ。
川添、栃原などの山間区間を過ぎている間に、日は暮れていった。もう景色を見ることもない。帰途に就くと、景色はあまり見ない気持ちになるから、同じことではあった。惹かれる景色を見つつ向かう先は我が住まいなどいうことがどうしてあろうか。四日間ろくに寝ていないことを思い付き、景色もほったらかして睡眠をむさぼった。
松阪で目が覚める。ドアからの厳しい冷気に打たれたのだ。もう真っ暗なのだが、あたり一面、雪。もちろんホームにも積もっている。地元の人も珍しいらしく、足元がおぼつかなかった。放送も、足元お気を付けくださいと連呼している。
その後も私は亀山まで寝続けた。下庄あたりで雪はいかばかりかと窺うとやはり積もっていたので、これはだめだなと。柘植や草津線も雪に違いない。
亀山で降ろされるのはたまらなくいやだった。暖房でぬくとまっている中、雪の駅に放り出されると頭痛がした。紫の気動車に、出ていた運転士に急かされるように乗せらる。とにかくもう出すという。足が冷たく、床面は雪のせいでところどころ濡れている。車内は薄暗く、厚手のカーテンが寝台車のようだった。もうすっかり疲れてしまった。
加太越えはびっくりするほどの雪で、車内も異様な雰囲気だった。そもそもここは南国への入口の一つのはずではないか。
草津線の車窓から、大雪の各駅を見続けた。ほわっと流れていくどの駅も雪、雪だった。明るい車内で車掌も都市の人だった。
「たしか自分は、南紀に行ったよな。南国に行ったんだよな。あれは幻じゃないよな。」
自分が南国に行ったこと、そこで見たもの、それらが信じられなくなった。本当に今の今もそれが存在するのか? そういう問い方にすると、存在はしないだろう。しかし私はもっと単純なことを尋ねているのに、だ。
しだいに感謝の念がこみ上げてきて、雪の各駅はぼんやりとしか見えなくなった。
「あるんだよ。確かに南国はあるんだよ。それは今の今、同時にその場所に南国があるんじゃなく、私の記憶としてあるんじゃなく、よもや他者の観念などではない、今私の心の中に、そこにこそ。いや、むしろそこにしかないんだ。」
ありがとう、俯いてそう力なくつぶやいた。南国というのは、そういうものだったんだ。やっとわかったよ。でもそれは感動的ながら、誰とも共有できない。私の心の像の幻影をお見せすることしかできないんだ。けれども、きっと人々の心の中にある同一種の像というものをきっと思い出してくれて、共感はできるもののように想われた。
どんな冬の日が訪れても、私は必ずあのときの南国を思い出してすぐに立ち直ることになるのだろうな。私の心にしっかり擁立されたようなそういう像を元に日々を歩んでいくことこそが、きっと自由というものなんだ
いつもの駅に降りた。そのときにはもう、人からそれは記憶だといわれても平然としていられる気持ちだった。