中国1―石見川本から木路原まで歩いて
2011年7月
石見川本から木路原まで歩いて
石見川本のようなしっかりした町は浜原・粕淵エリア以来だ。しかし山と川のせいで、川本は街自体が、二万五千分の一の地形図で小指の腹で覆えるほ小規模なのに、しっかりと伝統的な駅前町を形成していて、商店街も長い。銀行、寝具店、写真館、喫茶店、サッシ屋、などなど、たぶん街として必要な店はそれぞれ一つずつは揃っているようだった。これは歩いていて楽しいなと思いつつ、街道を歩いて山を越えてはこんな風な感じの街がいくつもあったらいいのになとも思った。
にしても路面からの照り返しが極めて烈しい。それだけで顔が灼けそうだ。こんな暑さの中をガシガシ隣駅まで歩かないかんのかと思うと、たとえ二キロ程度でも自信がなくなり、必然的に早足になった。







そういえば、かつては商店街にガソスタがあったよなぁと。ちょうどあれくらいの面積で縮こまって。僕の街にも"Mobil"があった。ほかにもあるのに、カルタスを運転する父がそこばかり使っているのを不思議に思ったものだった。ポイント制とかプリカとかわからなかったのだろう。そういう制度の効果は強力で、スーパーもガソスタも、そこと決めたらたいていの人はそこばかりを使う。それはなんだか強粘着力のテープ並みである。



一本杉が見えると、もう川本の街も終わりなのかなぁと。小回りを利かせていた軽自動車も見かけないし、かつては商店を営んでいたような伝統的な家屋が並ぶ景観に代わり、あたかも戦前の街に来たかのようでもある。そうして、あたりはなんとなし寂しい雰囲気になっていった。






しかし見惚れてる時間はない。観察はほどほどにしてアクセル入れて歩く。木路原についてすぐ列車が出るようではダメなのだ。そしてまたここに来ることはかなりに難しい。今しかないんだ、今しか。次はない。


川本ではバスは大活躍です


やがて道祖神を迎えて、街は終わった。眼前には江の川は中国太郎という名の通りうねっていて、嫋やかだが山深い中国山地を穿っている。県道40号だ。
旅人はこうして街を離れる度にさみしい気持ちになったのだろう。またこんな山の中を進むのかと。
遠くに集落らしきが見えるが、あれが木路原なのかどうかはわからない。
踏切を渡って川に沿って歩く。背後からはセダンふうの車やダンプが僕を追い越していく。
途中、路肩が直したばかりだった。洗堀されて崩落したのだろう。ガードレールを超えて覗き込むと転落する恐れがあります、との触れ書きで、なんじゃそりゃ、と…

何か謂れがあるでしょうか









踏切を渡ったので、線路は右側、山手にある。なんか物音がするなと思うと、二人乗りの保線用点検軽車両が通過していった。黄ヘルの二人は嬉々としている。それにしても…踏切からは時短のためもう線路を歩こうかと思っていたのだが、やめといてよかったなと。妙に厄介なことになっても気分悪いし…まぁ、なめてんのかというくらいの本数しか列車は走らないので…






鉄道では左側が広島方ですが

規格はほぼ十分








集落が近づいてきたけど、木路原なのだろうか。こういう駅間を歩くでいちばんイヤなのが…駅に気が付かずに通過してしまうこと。実は何度かある。何せローカル線のホームのみの駅というのは道路に案内板すらないので…なので、粘り強く観察しつつ歩いた。




しかしここの県道40号は開放的だった。大河があるし、道も二車線できれいに舗装されている。途中、巨木ムクノキの案内なんかあって、村ではこういうものでも名所になるんだと思うと、お昼の集落の静けさがより感得されるようだった。けれど立ち止まった瞬間、時の流れていく音が胸の中で響きはじめる。汗も伝う。
あまりに苦しく、蝉の声が耳に入らない。水を飲むように江の川の流れてくる方向を眺める。こんなんで瀬戸内まで歩くとしたら、気がおかしくなる。
しだいに集落の心央に近づいている気がする。車の走行も一時凪いでいる。コテージ風にの建物に、青い看板。カフェかと思いきや、鮎おとり、の文字。




さて、歩いてきた距離的にこの辺のはずだが…と、鉄道路線の方を目で追っていると、駅の待合所らしきを遠方に発見! 通り過ぎずに済んだようで安堵するが、歩みは緩めない。腕時計を見ると、駅に着くころには残り40分ぐらいになっていそうだった。これならなんとかなる。






集落の中に入った。街道というより、住宅地の感じだった。石見川本からここまで徒歩で約38分かかっている。少々脇見しすぎたか…
早く駅に行きたくて、窒息しそうだ。


植林は多いが山は豊かだった