中国1―江津本町駅から江津駅まで歩いて
2011年7月
ドキドキしながら緑の掘割を抜ける。けれどそのドキドキ感は、これまでの疲労と猛暑の中での歩行で打ち消される。江津駅まで歩きさえすれば、いったん三江線下車の旅は、精神的に終わりとなる。自分の心はそうなっていた。掘割を抜けると、非文化的な商業施設が展開、なんて裏切りはなかった、そこは、ふるさと石州の民家が群れて、山辺の蝉の声がバーナーで瓦斯を燃やされた夏空の半穹窿に乱反射し、その臙脂の甍の隙間一枚一枚に沁みいっていた。僕はその甍一枚一枚の隙間を心の目で見た。そしてそのうちのどれか一軒は、自分の実家だと想った。山辺と黴臭い廃墟の通りに差し掛かる。本当に江津市街にたどり着くのかと思った。
やがて広道に出たが、そこでハタと気づいた。そうか、と。ここが本町なんだ、と。本町というのは旧城下町のことで、こは伝統的な民家やかつての街道の趣き、寺院などがあるところだった。そういや近江國の膳所本町ってのも、そんな感じだ。これでもう市街にもいつかは着くんだ、やっぱり自分の旅は終わるんだ、なんだかんだいって迷って、なかなか着かなくて、旅は終わらないねなんてことはなかったのだ。あの廃墟な江津本町駅から、異界に向かうなんてことはなかった。でももしかしたらそんなことが起きて、目的が達せられないかもとなぜかわずかに期待し、けれど大半は、無事達せられて欲しいという想いの方が当然強くはあった。しかしまぁ、これで旅は、予定調和的に終わるわけだ。それで僕は、なんとなく、この本町のどんな人にも心の中でにこやかに挨拶し、この偉大なスイス的文化的統一感と文化感を今もなお保持し続ける石州の人々に敬意もこめて、人を見かける度に、実際に会釈し、こんにちはと言ったが、僕が有頂天なだけで、ある人は気づかず、ある人に至ってはこちらを見るなり家に入るなりピシャリと戸を閉め立てた。
そうか~、そりゃ不審者だよな~と、まぁ深くも気に留めず、いやだって、まだ江津駅まで歩くというじせゅうようなミッションがあるのだから、そう、無為に歩いているわけではない! 目的が、ある。まずはコーラでも買うか、と、雲一片すらない青炎に焼け出された中、ボタンを押す。これから歩かにゃならんしな~ 街道は当時としては本当に主要なものだったと思うが、今はどこでもそうであるように虫食いになっていて、多少新旧混在の路村となっていた。それでも雰囲気としては十分なものだった。
さて、江津駅には直接行かず、その前にモスバーガーに寄る予定をあらかじめ立てていた。なぜだかわからないが、三江線で何夜も駅旅した後、海を見ながらモスバーガーを食う、という夢想から離れられなくなっていた。そんなく分からない夢想のため、ほんの少し回り道で歩いているが、坂道が始まると「もうやっぱやめん?」。あっついし、もう体力ないし… まったく想定外だったが、江津市は海浜による丘陵地帯で、その上に旧街道が縫い、市の一部は展開しているのだった。
地図は適当に見ながら、感覚で歩いているところもある。歩いているともっといい道を見つけることもあるし。途中で右に折れて海方向へ向かう。ほんとに丘陵地帯がひどくて、丘をそのまま利用した90年代風図書館があった。松がなんとも海らしいが、海は見えない、けれど海風や遠灘で波に揺られた光の粒子が飛んできている。なんとなし、小学生のころを思い出した。こういうところで夏に通って、調べ物してまとめたり、新聞書いたり、ふるーい本を気が進まないながらひっぱってきて… まぁまともな本はなかったように思う。日焼けした何十年も前の本ばかりで、予算が出ていなかったのだろう。けれど、そうして自分が生まれる前の本があったおかげで、手短な過去を知ることもできた。今だったらネットかな。けれど、両方が必要なんだ。体を使って調べる、手の感覚や匂い、本の揺籃するその時代の匂い、それらはネットでは求められない。
そんな感じでいったいいつ着くねん、と思っていると、先の方に小さく海が…
やっと来たか、ついに日本海まで抜けたぞ~と思っていると、もうそこはスーパーもある、コンビニもある、ファストフード店もある! 五日間中山間地域をさまよった身としてはなんか夢のような…ものすごい都会に来たような、とにかくすべてが開放的で、輝いていた。
国道9号に降り立つと、まるで山陰本線に戻ってきたような感じだ。二車線に狭い歩道という昔懐かしい国道ではあるが、やはり線形はきれいで、砂丘地帯を縫う美しさがあった。しかし歩くのはしんどくて暑くて、もう耐えられん。たった100メーターの距離でも、荷物も重く、長く感じる。
とにかく予定立案の時点で決めていたモスへ。すさまじい冷房の効きに感動する。カウンターでセットを注文して座席へ。なんか椅子やテーブルがいやに小さく感じる。尻も筋肉質になったせいか、座面が硬く感じる。窓を見る。海は見えないのに、見えている気がした。山陰道9号の雰囲気、夏空、さっき見てきた江津本町の集落、そして五日間思い描いていた映像とがオーヴァーラップして、海を心象射影していたのかもしれない。
コーヒーや灼ける肉の匂いが漂う。ふだんなら気づかない程度の匂いだ。緑のライト、ソファ、木目シートを貼った家具…どれも都会的で、何もかもが信じられない奇跡のようなもののように見えた。
やがてセットが運ばれてきた。すべてが驚きだった。ひき肉が固められ焼かれ、小麦粉を挽いて整形してパン種を入れてバンズを焼いて…いったいこれを作るのにどれほどのネットワークと技術と文化が必要だったのだろうかと。しかもこんな店が全国に展開していて、いつでも食べることができる。メロンソーダはどうだろう? この緑色はどうやって出したのか。ここには化学が含まれている。とにかく、田舎では考えられないことだった。夢想だにしないこの世界観。何もかもがincredibleだった。 そう、都会的なものとは、田舎にあるものを高度に純化抽出し、組み合わせ、そして世界とをつないだものなのだった。 だから木目シートと生の木材とでは、どちらが優れたるかという問題ではない。ただの合板でもどの面も均一な木目に見せることができ、またなかなかとれない貴重木の木目をイミテイトすることもできる、そういうところが先進先鋭で、高度技術自らそれを見せる場なのだった。そしてどこにでもある味というのも、それは広く全体でそうなっていることに意味があるのであって、香料や化学を用いたイミテイトが多少含まれていても、それは或る世界観を実現するための構成物でしかなく、重篤な害の発生しない限りは、そのことは主眼となる問題とはならないのだ、ということを矢のように理解した。 それぞれの地域のや家庭の味や流儀を重視するのと、ファストフードの思想というのも、これは平置存立するもので、本来は食い合うものではない。コーラとて、あの高価ですばらしいスパイスの甘いシロップをいつでもどこでも誰でも飲める、そんな夢を実現したものなのだった。だからそこには犠牲にされているものはある。それはときに安い労働力であり、摂取者の健康かもしれない。 僕はこうして都会と世界を理解した。しかしそれは伝統保守の観念が平置存立してはじめてだろう。これまで見てきた文化的風景は、滅ぼされてはならない。それがなければ、これは作ることも、心から喜んで受け入れることもできない。
再び灼熱の外に出て、江津駅を目指す。距離としては近いはずだが、砂丘上に国道が這っているため、アップダウンが地味に辛い。ひと山ごとに、まだあるんかい、と独り言ちていた。モスバーガー店ではほんのおやつ程度の量だったが、まぁそこは我慢だ。このあと予定がないなら、もうちょっと考えたが… 海を見にいきたいところだが、次の三江線の列車の時間からするとやはり無理だった。明日はほとんどフリーになるから、そのときに見ようと。さっきちらっと見えたし、そのときや江津本町に降りたときの潮風で十分でもあった。
クーラーの効いてそうなセダンが優美な下り坂カーブを登り下りを見るとなんかうらめしかった。快適なドライブ、旅って感じだ。しかも一日でいろんな都市を回れる。こんなクソ重い荷物もって駅巡りとかまはや修行でしかない。市街に来ると、その修行のおかしさというのが浮き彫りになるようで、なんとなしバツが悪かった。 そうして長い緩やかな坂を下り終わると、国道の旧市街ぽくなり、なんとなし駅前なのすなと思った。道路わきにある主要駅である。