山陽1
2011年5月
呉線―須波から三原へ
安芸長浜という旧国駅名ながら、新設の駅にやってきた列車は、火力発電所のせいで現実に帰らされていた僕を颯爽と救ってくれた。車窓は再び逆回しになり、海水があふれんばかりの'plenty'な窓に僕は額を張りつける。
「いったいどうなってんだ…?」
路盤をふちどる低い堤防がすなわち、防波堤だったのだった。
行きと同様、車内に客はあまりいなかった。活動着の中高生らが乗りはじめていたくらいだ。そういえばたいていこういうとき、彼らはあまり海側には座らない。僕は数え切れぬくらい乗った湖国の路線でも、やはり湖(うみ)側に座ってしまうような人間だ。もちろん通信端末も触らない。今ではふだんの往来で、車窓を眺めて乗っている人なんてほとんどいない。
砂浜がなかったから整備したのでしょう。
わが国の近世において外国人が瀬戸内の多島美をほめちぎったのは肯ぜざるを得ないけど、ではなぜ現代ではそんな動きがないのかとも思う。やはりどうしても京都の民泊とか、東京、それから北海道の話になってしまう。けれど2020年に近づくにつれて、地方美が外国の人に注目されはじめ、風向きが変わってきたようだ。まぁ…ほとんどこれはわが国の宝のようなものだからね…もっとも、その注目が破壊に結びつかないことを希求しているし、なによりもそうして注目されていなかったからこそ、こうして自分は自由に感性をのばすことができるんだけどね…
三原駅にて
ずっとこのままで…と思っていたけど、車窓美とはそんなに長く続かないものだ。旅とは、立体を自ら選択する時間の速さと日時を通して認識し、自らが感応する、美を湛える曲面を探すものである、といえそうだ。
まぁ、こうして昨夜もウロウロした三原へと戻ってきたわけだけど、闇夜に隠された初めての都市は、いまや午前の自由な陽光があふれ、その魅力を赤子のように惜しみなくさらけ出していた。ところで、小学生のときに三原と三島がごっちゃになったせいで、いまだに三島はたこ焼きが有名だという感覚から抜け出せない。三島も峠手前の街だし、なんとなしポジションとしては似てる気もする。
初夏の午前はまだひんやりと涼やかで、その冷涼さが旅行者の緊張をなぜか誘う。ちりちりと頭が痛い気もする(chilly!)。けど、ほんと三原は接続がいまいち。かといって駅から出て少し歩くには短い。こうして列車を待ってるそんな時間がもったいなく思えるほど、天気は良かった。