山陽1―夜の岩国駅
2011年5月
夜の岩国駅でラジウム温泉、ヤーさんに出会うの巻
岩国に戻るともうすぐ日の落ちそうという宵で、初夏の日の長さを実感した。19時前である。岩国は昼間によく歩いて回ったから別に惹かれるものはなく、すぐに目的にとりかかるその目的とは…入浴と食事、そしてコインランドリーでの洗濯!
速く行動しないと閉まってしまうので、急ぎ足だ。地図は各駅前のを印刷してきていて、ホチキス止めしてある。コインランドリーとか地図なしではたどり着けない。
ラジウム温泉の方はあっさり着いた。なんかビジネスホテルとシティホテルの中間のようなちょっとしゃれたビルだけど、日帰り入浴をやってくれているのだ。というか、まさにこういうホテル、一人旅にぴったりだよなぁと。けれど宿泊より駅寝に活路を見出してしまった後となっては、入浴場としていろんな施設を使い倒すばかりとなっている。
久しぶりに新しい施設で入湯できることになってかなり気分としてはかなりポジティブである。
受付の人は何か困ったとトラブルが起きたらピシャリと注意してくれそうな金ぶちのメガネをかけたマダム然とした人だ。はじめてです、というと、スタンプカードを作ってくれた。銭湯もだいぶ少なくなっているのでこういうところは助かるし、また来る可能性大。
入浴場の入口前の休憩スペースにはソファが並んでいて、15,6人の人が休憩していた。なかなか盛況のようである。宿泊者専用と書かれたカップヌードルの自販機のヌードルを食ってる御仁もいた。ほんまに宿泊者なんかな。
大きなカバンをロッカーに押し込み、服を全部脱いでさぁ、と、二重になった浴場の最後の扉を引くと…背中いっぱいの見事な昇竜のイレズミ男がめちゃくちやでかい声でしゃべっていた。こちらも受付を済ませ服も脱いでいるので後戻りはできない…
ウソやろ…と思いつつもかかり湯して浴槽へ…
その御仁の横には十一か十二歳くらいの男子がいて、その子としゃべってるのだが、
「そうか! 学校はどうや!」
「そんなん言うたったらええんや! なんぼでも言うたれ!」
その声の大きさたるや、ただそれだけで相手の鼓膜を倒してしまうくらいの声量で、その声でもし凄まれでもしたらと想像するだけで、誰もが何もできないくらい固まってしまうと確信できるものだった。
「そうか…声の大きさを凶器にまで高めたんだな…」
湯に浸かっていて聞いているだけで耳が痛くなるほどだ。周りの人も「もうどうしようもない」といった表情に見える。もし御仁のメンツをつぶすようなことが起きたら、たぶん彼は本当にただでは済まさないだろう。その声を聞いているだけで、流血がありありと思い浮かべられるほどなのだ。子供を連れているんだから…と思うが、大きくは出ないだろうという予想は当たらないに違いない。
では子供の方はというと、もう慣れているようで、何の惧れも気負いもなしに会話している、が、反響しすぎて何を言っているのかはつかめなかった。
いずれにせよこっちだってずっと湯に浸かってるわけにはいかない。湯あたりしてしまう。ほかの人ももう我慢できんと、浴槽を出て、洗い場へと向かっていった。
私ももう構うことなく洗い場へ…。随分と御仁に近づいてしまうが、どうしようもない。
一心不乱に髪を洗って何やかやしていると彼らはいつしか浴場を出ていた。彼らの声が脱衣場から少し聞こえてきている。
とにかく何も起きなくてよかったと思うが、「だからイレズミのある者は禁止や書いてあるやろ!」と内心怒り心頭。こういうことなのである。
にしても…米軍基地に支配され、ここでは米兵による傷害事件もしょっちゅうあるし、おまけにヤーさんまで幅を利かせているとは、いったい岩国はどういうところなんだ?
洗ったら出ようと思ってたけど、静かになったのでもういちど浴槽に浸かった。機能も岩国の銭湯に入ったし、二日連続で入れるとは贅沢だなぁと思う。それがあたりまえだって? 駅巡りは平地の山化だよ。
外はもう暗くなっていた。このあとは食事してコインランドリーに行って…最終の岩徳線までにやることがいっぱいである。
浴場を出ると、例の休憩室ではさっきの親子が並んでカップヌードルをほくほく食らっていた。ふと御仁と目が合った。なんだろう? 彼はという感じでこちらを見返した。
例の金縁メガネのマダムはちょっと怒ってるように見えた。去り際に挨拶して出ると、ビジネスライクな笑みで送り出してくれた。
昨日の岩国での食事といい、地方都市では実にディープな体験ができるもんだなぁと思いつつ、目を凝らして印刷してきた地図を読み取り、コインランドリーへと向かう。大きな公園のある樹木は葉の裏から街灯に照らされ、ウスバカゲロウのよなう色を湛えている。犬の遠吠えがする。道はやたら広く、けれど住宅と商店が混在する、たまに仕事帰りの人が歩くような感じの道で、車の通りはほとんどなかった。
コインランドリーは昭和の時代のまま時が止まっている。何か入るのも憚られるような蛍光灯と木造とリネン機器の狭い居室。洗濯してもいいかなと思ってたが、終電も心配になり、まだ着るものはあるので、今回は無しにした。
食事は兼ねてから検討をつけていたココ壱番館へ。あの時代は~館、と付けるのが流行っていたんだよなぁ…サラダ館とかトマト館とか、避暑地のお土産屋さんにもそういう名前がよくついているだろう。
店内はうっすらと人がいる感じだが、すぐ通された。カウンター席に着席。一人ならカウンターの方が落ち着くのだが、ここはちょっと落ち着かない感じである。
そういえば、子供のころはほんとにカウンター席が嫌だったなぁと。やはり外では親と対面して安心感を得て食べたいという気持ちがあった。
ココ壱は匂いは惹かれるけど、味はいつも期待とは違うという不思議なところである。ビーフカツはなんかよくわからない感じの肉になっていた…値段を見れば想像がつくというものだろう。でもまぁ、昨日のよりかはよっぽどかよかったかも…
すべてを岩国駅周辺で片づけて、駅へ。岩徳線の列車が早めに入っていたから、自分も早め車内に落ち着いた。すると振り返った運転士と目が合う。こんな時間にこの列車に乗るのは、地元の人か、仕事帰りの人か、部活の子か、そんなところだろう。何人かご同輩らしきも見かけた。就職した青年期の男性で、一人旅らしき人だ。たぶん大きなバッグには一眼レフが入っているに違いない。一般にこうした種族は互いを避け合うのだが、本来的には別に会話があっても悪くないはずだ。けれど我々は孤独を好む。いや、何さ、鉄道の時代なんてとっくに終わっている。孤独も何も、何もかも壊れてしまった鉄道に、孤独を託すだなんて、自殺行為も甚だしい限りではないか!
三か月前には東北大震災があったばかりだ。この先に何があるってんだ? 何もねーよ。ここに孤独を預けても、この先には何もねぇ! いや、わかっている! わかっているけど…未来を見ていたいんだ。自分たち頭の中ではまだまだ鉄道は盛んで、頭の中では寝台列車がいっぱい走っているんだ。僕らは、明らかにその真価に気づいたときにはもうそれが台無しになってしまっているという、いつだって"遅れてきた青年"なんだ。
だから連帯した方がいい。けれど鉄道の持つ圧倒的な時代性と説得力が、その連鎖を瞬く間に裁ち切る。