安芸幸崎駅
(呉線・あきさいざき) 2011年5月
僕が大学を辞めてあてもないまま鉄道旅をしていたときのことだった。呉線は海沿いを走っていてぜひその爽快なるを体感すべき、みたいなことが掲示板に書かれていて、僕は朝から車窓にかじりつきながら降りたい駅を決めようとしてた。はじめのうちは、ここがいい、と思っても、惟うように体が動かなかった。いかにも旅人みたいないでたちで、風光の駅に降りるのは気恥ずかしかったのだ。
そんなことにはもう慣れたどころか、むしろ逆にできるだけ旅人っぽい恰好をしようと努めていたこのころ僕にとっては、呉線のすぐ海に迫る車窓を、思念の抱卵せる二つの眼輪でいだきながら、安芸幸崎で降りるのは造作もないことだった。
始発だから人も少なく、列車が遠くのほんとに短いトンネルをくぐって去っていくころ、僕は初夏のさわやかな海辺の空気を凛と感じつつ、灰白質なコンクリート舗装に白線が美しくまっすぐに引かれたホームを眺めやった。おあつらえ向きにも裏手には造船上のドックが控えている。それは広島の瀬戸内といった感じで、どこか素直だった。
今は緑ばかりになった桜の樹勢はみごとて、黒の詰襟の地元の学生らが、毎年愛でながらここを発ったのを想った。故郷の思い出としての表象は、帰郷への出戻りを許さぬ閻魔のようにも見えた。ふるさとが捨ておかれるべきものと規程されたのはいつごろなのだろうか? いや―みんな因習と土地とに縛られるのに、ウンザリしてしまったのだ。軽やかで適切なつながりの中での農業が定着するのには、あと何十年かはかかるだろう。
呉線でも西側と東側ではだいぶ様相が異なる
駅はいにしえのままの端正美をたたえ、たぶんこの国にも誇りというものがあったのであろうことがうかがい知れた。それは今はなくなってしまったものだ。そう ― この国は1945年にいったん滅びた。別の国になったのだ。僕が街歩きでよく戦前、戦後と言うのは、それほど先の大戦は、この国を文字通り「焼け野原」にしたのである。むろん街のことだけを言っているのはないのはご想像の通りだ。だから ― 僕はかつてあった国を、別の国の人として、その遺構を探し求め、旅しているわけだ。
ことわっておくけど、僕は別に大日本帝国を復活をもくろむやからなんかじゃない。というより、それは別の国なので、僕には判断ができないのである。ただできることといえば、こうした遺構巡りだけなのだ。
白線のホームを歩いていると、かすかに海の匂いがした。そして避病院の白い少女が抜け出して、この駅にたたずんでいるのが見えた。山の絵尾にある、瀬戸内を眺められるサナトリウムだ。その少女は戦争を知らなかった。ただ何かひどく恐ろしいことが行われているということだけか知らされていた。
僕はその少女が広島に行くというのを止めた。そこに行けば市が開かれて、食べ物にありつけると思っていたようだ。
「こういうときは都会はよくないよ。たいてい食い詰めるし。まだ野草か木の実でも食っていた方がましかもしれない」
そんなことをしても餓死するのは明白だった。
必ず停車する駅だったのかもしれません
白い駅前広場は、カイヅカイカブの植え込みが丸くふつくしく刈り込まれていて、橙は石州瓦の駅舎が端麗であった。スタバもコンビニもないが、ただできるなりに整っている、そんな感じだ。ここは造船所の街で、どんな民家の軒先にも、海辺のドックのクレーンが覗かれた。船や海とかかわらなかった人はここにいなかったかもしれない。
The Japanese station.
時代によって意匠が変わるものだなと
ここが三原都市圏なのが分かります
駅前町を一回りし、駅に戻って中で一休みしていると、
「どっから来たの?」
「北海道からです」
「北海道から? 何しに? 旅行?」
「はい」
「大学生?」
「まぁ、そんなところです…」
「そっかぁ、いいなぁ、おれさぁ、そこの造船所あるでしょ、あそこから逃げ出してきたんだよ」
「今朝ですか?」
「そう。もうイヤになって。」少し間をおいて、苦りきったように、「ケンカしたんだよ」
僕は聞いていて気が重くなった。僕もそのうち、引きこもりなんとかNPO法人とかに拉致されて、そういうところに放り込まれるかもしれない。
「毎日この駅まで来てさ、自転車で向かうの。中が広いから自転車で移動するんだよ。そしたら、ダメだって。」
「え、そんなことでですか?」
髭だらけの帽子をかぶったその人は黙ってうなずいた
「そんな、ほかの連中は乗ってんのに、なんで俺はだめなんだよ」
それから沈黙が続いた。列車が近いのか、黒の詰襟の高校生らが一言もしゃべらず、外から黙って駅舎に入ってきて、そのまま通過して、ホームまで出ていく。
「こうやってひとつずつ駅降りてんの?」
僕は何でわかるんだと思った。
「ここまでの車窓で、海がきれいに見えたので…(ここで降りてみました)」
少し考えるふうにしてから、彼は、そうだね、と、つぶやいた。
彼にとって当たり前のものをありがたがっているのようで、僕は少々恥じた。
「ここって、さいざきっていうんですね。こうざきかと思ってました。」
つづけて、
「幸いある、岬かぁ」というと、
「なんか外国人みたいなこと言うね」と彼は笑うと、
「漢字を勉強したてみたいな」と僕は応じたが、
彼はそんなにおもしろそうな顔をしなかった。
「どこまでいくの?」
「山口の方まで。」
「そう。山口かぁ、あそこでも仕事したなぁ」
僕は立ち上がって、ホームまで出た。痩せたメガネの駅員はしかつめらしい表情で駅務をこなしていた。
僕はただ直感でしか行動ができない。そしてそれは必ずしも積極的なものとは限らない。僕はとりあえず、山口の方まで"土台探し"に行くことになるだろう。そしてもっと後になって、なぜ僕がこんな旅をしたか、それがわかる、もしわからなかったら、この道は行き止まりだったということだ。