荒島駅
(山陰本線・あらしま) 2012年7月
薄雲まじりの空がじんわり青くなって、どこかに立派な道路があるんだろうか、疾走するトラックの音がはっきりと聞こえるようになってきて、いやだなぁと。たいして疲れが取れないうちに朝になってしまった。けれど朝といっても、ふだんの生活でいうと明朝だ。しかし駅旅人にとってはそれがすなわち起床すべき朝であった。
もっとも、始発の晩い駅では明るくなっても寝ていることはあるが、住人にはやはり活動時刻になるので、なんやかんや人の動きはある。
「まぁ、金縛りに遭ったら仕方ないよ。諦めるしかない。」
5時ごろ、化繊の封筒型シュラフをはだけて、半ズボンをはき、靴下をはき、靴を履く。もうズボンの方はぼろぼろである。ホームレスがなんであんな格好になるのかが納得いってしまった。
朝方の夏の空気はひんやりして、半袖の自分には不安を催させた。まぁけれど昼には嫌になるくらい暑くなるわけで。
夜に着いたときからなんとなしにわかっていたが、裏手は大規模なセメント施設のようで、ホッパーやらミキサーが眠っていた。そして道は見えないが、悲しげな走行音。荒島、との駅名標が、その哀愁を倍加する。
少し親不知のことを思い出していた。あそこも夜や明け方には悲痛なトラックの走行音が響き渡るんだ。そして海も近い。
朝まだきのため、うっすらと潮香が漂っており海があるのはわかるが、それがあるはずの裏手は小山が見えているので海岸は少し遠い感じだった。きっとあの山もかつては島だったのだろう。海や湖がいまそこになくても島とよばれるものがあるのはおもしろい。準平原の残丘はそう呼ばれていることが多い。
さてこの荒島駅はやはり全体としてちょっと不思議だ。駐輪施設がウッドベースで高屋根のおしゃれだが、瓦を積んで景観にも気を配っていて、隣の駅舎と並んでも違和感が全くない。少々感動。やはり佇まいを大事にする地方は一目置かれてしかるべきだと思う。それから三法面の小川を渡るとこの駅ということで、なにか情緒があった。コイも泳いでいる。きっと何か物語やいきさつかあるのだろう。荒島駅を基軸とする町はどんななのだろうか。
ホームにいるときから、何か声がするなぁと思っていたが、駅の間口で婦人二人がしゃべっていたのだった。などでかくもはやうに、と思うが、どうも当番制の掃除があるようで、ときどき掃いては会話を楽しむといったふうだ。その人はその齢の婦人にはありがちな、ちょっと情けなさそうな表情をしながら「おはようございます」と、何の疑いもなし私にいう。二人は少しも私に気を留めていないようで。
たぶんバレバレなのだろう。旅行でここに来て、ここで寝たというのが。仮に思い当たっていなくても、寝たといってもたいして驚かなさそうだった。「こんなところがあるんだねぇ」と思いつつ、あたりを歩く。
さて、いろんな駅を渡り歩いている者にとっては、なにかこう判断を下したくなる癖がついているわけで、んーここは…一見すぐそうは見えない住宅街の駅、と断罪する。安来市の西外れである。しかし荒島はわりと独立性のある地域らしいのが、標語からも窺えた。
婦人らは駅舎の中に入っていった。それでふと、そういえばあの二人、自分がまだ寝ぼけまなこで横になってたとき、ホームに入ってきたとかも知れないなと。それで間口まで戻って、誰か寝てるわ、と、そんなことを言ってたかもしれない。「まぁどうでもいいわ。もう起きるわけだし、これからの予定も詰まってるし。」
もはや羞恥を感じる力を失っている。
それにしても…何か食べたい。鞄の中にはぬるくなりかけた500ミリのコーラが半分ほど残っているだけ。もうほとんと精神が体を動かしているようなものだった。気を紛らわそうと自販機でビタミンマッチを買う。栄養が付くかと思って。しかし空腹時にビタミン剤を飲んだせいなのか、その後ものすごいお腹を壊した。
ヘッドライト点した気動車が入って来るのを肌で感じながら、停まるのをだまって待つ。もうすっかり外は白っぽいから、この列車も遠くから長く走って来たかに思えた。そして、どこにでもある朝に思えた。もっと違うところに行ってみたい気がする。朝に誰も社会に向けて起きない町といったような…
「なんだ! 年金受給世帯ばかりのドイナカのことかい?」
どっ、という哄笑からすっと身を離しステップを昇ると、またこうして列車に乗るんだ、と思う。列車内の匂いも同じだ。
昨日訪れた揖屋や東松江などを過ぎ、はじめて松江駅に着く。時刻も7時前なので、車内も旅行という雰囲気はおよそなく、神経質な朝曇りだった。なんか松江はまじめだなと思いつつ、次の乃木に向かう。日の出は赤く激しく、いかにもこれら忙しくなりそうだった。仮にも県都松江の近郊である。