旭川駅
(函館本線・あさひかわ) 2010年9月
もはや用をなさぬ遠軽の転換の一種魔的たるを反芻しつつ、無事21時に旭川に着く。3時間と40分だが、濃度は薄かった。
身体としてはもうこのまま札幌まで乗っていたくて仕方ないが、今日の旅程はまだ終わらない。というより大旅行なのでそろそろ帰りたいのだが、今度ここに来ようと思っても、おいそれと行ける距離でもない。季節のことももちろんある。今自分の体は旭川にあるわけだ! 気分の持ちようをコント―ルできるようになるのも、これまでの旅行の成果のようだった。
乗り場を歩きながら、また明日も駅旅がはじまるのかと思うとどっと疲れを感じた。予定では旭川駅近くの銭湯に入る予定だったが、もともと時間も50分くらいしかなかったため、やめてしまう。
自動改札を出るともう地元の人はコンコースにはおらず、夏の若い旅行客数人が談笑しながらたむろしているくらいだった。そんな彼らもどうも高速バスに乗るようで。もう昔ほど若年者の国内旅行も盛んでないかもしれない。もし盛んだったら高額のクルージング・トレインなんて運行されないだろう。旅行というのは、いわばそれそれがそれぞれの専門の先生になるようなものさ。専門というのはよもや鉄道のことではなく、対象空間のそれぞれの受け取り方のことだろう。
そんな状況ゆえ私も少し無理をしているくらいだった。
彼らが半袖なので、そんなものかと外に出たら、やはりもう肌寒い季節ではないか。
人影もほとんどない夜10時の旭川駅は、その白い三角トラスに載った駅名表示と時計が、私の想い出の表象となった。「ほんまにあるんや」と。「あなたは旭川に来たのよ。本当に。」。
はじめここではネットカフェの予定をしていた。ちょうど疲れるころだろうと思って。けれど少しでも駅をと、明日は或る無人駅から出発することになっている。それですでに改札向こうに見えていた滝川ゆきの汽車へと向かった。