旭川駅

(函館本線・あさひかわ) 2010年9月

2・3番線ホーム

2・3番線ホームにて。滝川、深川、岩見沢、札幌方。
大駅の特徴、荷物用昇降機がある。
 
右手4番線には乗ってきた旭川どまりの列車。
メインの降り口。
 
 
白線がまだ残っていた。
キヨスク。
 
こちらはまた違う会社の売店。旭川駅立売株式会社。
こういうところで熱いそばを頂いて汽車に乗るのがよい!
駅小路。
 
位置関係。この2・3番線ホームは1番線に次いで賑わうホーム。 このときは4・5は宗谷本線の普通列車に主に充てられていた。。
 
 
小さいタイル貼り。
黒地が国鉄っぽい。
 
 
こちらはエスカレーターなし。
朝夕や当駅止まりなどの補助的な扱いらしい4・5.
手形かなと思ったが、そうでなかった。
右手回送。
滝川方。待合室。
 
 
滝川方端にて。
栄誉ある1番線を俯瞰して。
石北本線、宗谷本線方。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一瞬是がキヨスクとのことかと(そういうタイプもある)。 網走方端、昇降機まで戻ってきて。
これは荷物用。
 
さび止めペンキ。
 
切り欠き。
4・5. 工事着々。
1番線改札付近を望んで。
 
荷物用昇降機の跨線橋。
 
 
 
 
栄誉ある1番線!
 
1番線に列車がないのは珍しく思える。
端はいつも業務関係のエリア。
 
 
 
 
 
 
2・3番ホームを去ろう。
地下道にて。2・3番線ホーム階段前。
 
こうも外配管だらけになるともう構造物は寿命。
 
至4・5,6・7.
4・5番線ホームへ。
人気の富良野線乗り場へは丁寧に案内が。
 
 
 
駅名標のエコー。
 
左から向こうには広大な操車場が広がっていた。
 
 
 
滝川方。
 
大都市の駅にしては椅子が…。
 
 
 
相変わらず配管がすごい。
 

4・5番線ホーム

替わって、4・5の上川、稚内方。
今年度の高架化だという。
 
だいぶのんびりしてる。
 
 
 
 
 
 
 
だいぶ細い。
全体的に、規格がかなり貧相だったみたい。建て替えもやむなしか。
 
 
 
地下道4・5番線ホーム付近にて。
6・7番線へ。

6・7番線ホーム

遠い乗り場なので間を持たせてある。
「富良野線、楽しみやなー」。
途中からなくなる。
そしていよいよ…
 
「ノロッコ号だ!」
ほかのホームとは違い、小さく開放的。
待合所。
昔はこのホームが構内の端にあったことになる。
よいのりばだ。
 
 
 
富良野方。
 
本線のキハ40系ではないところが新鮮。
 
 
 
本線方。富良野線列車は旭川どまりなので、営業列車はこの先走らなさそう。
 
高架が立つ前はほんとに端っこにポツンとある感じだったのだろう。 しかし視界が効いて、遠いとは感じなかったかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
もうここかこの風景を見ることもないだろうな。
 
 
 
 
 
 
富良野線通路を振り返って。
かなり昭和な広告。
至1番線。
 
 
なんともいえない古い都市駅。
 
旭川駅がこんなだとはあまり思っていなかった。
 
1番線地下道付近。茶色の部分はかつての駅デパートの入口。
 
 
 
エスカレータではなく階段の方から行こうか。
 
 

1番線ホーム

メインのエリアから外れたところ。
本当に露出配管が多い。
 
石北本線、宗谷本線方。
 
 
 
 
改札前にて。
 
キヨスクも国鉄時代の名残といえばそうかもしれない。
上の広告、新潟にもあったな。
神居古潭石。枯山水風。
釧路駅同様、かつての荷捌き場が駐車場に。
市街にあって広い構内。
清掃関係だろうか。
古レールを用いた上屋。
 
広大なヤード広がる旭川駅をイメージしてみる。
旭川車掌所。昔は大勢の人が勤務したのだろう。
 
 
 
 
さきほどの荷物用昇降機。
 
サッシに囲まれた改札広場。
 
旭山動物園号が到着。
さきほど入って来た改札前エリアへの出入口。 なんとなし特殊な感じ。
神居古潭石の枯山水は1番線に2つもある。
そしてこれが旭川駅構内郵便局。 郵便車のあったころを彷彿とさせる。 かつては車内で仕分け作業がなされていた。 今はメールを越えてSNSの時代である。
中の人用の建物。運転区か検車区か…。
1番線ホーム端にて。車内で改札できればべつに そのまま出られようにしてもいい。
広いことは広い。しかし上屋にしてもこざっぱりしてそんなに古めかしいものはなかった。
 
JRの運転区や寮てぼろぼろのことが多々ある。
 
鉄警隊。のどかなとこやし、やることあんのかな。
 
風鈴のよう。
 
 
今は廃車に。
スーパーくろしおとかにもある。
待合室からは構内がよく見えるようになっている。
 
なんやかんやと障害物が多いのも懐かしい感じ。
でも整頓されていた。
なんか旅情に欠ける。
 
 
分電盤、配管、室外機など…。
 
 
 
 
旭川といえば、旭山動物園。そういう時代。
 
精算所もあるのが大駅の証。
郷土の広告がなくて寂しい。
改札口。
 
 
 
 
童心を思い出して。
 
 
特急が停車するとすごい人。
 
 
少し東京を思い出したり。
 
友人改札もいつもてんやわんやだった。
 

 納内で乗った私は、あとは旭川で降りるだけだ。乗っている人もみんな降りるんだろう。
 例の峡谷カムイコタンを過ぎる。旭川に入る前にこんな障壁があるのは不思議だった。ここからは文化圏も変わり、本格的な道北となる感じがした。そこは山々に囲まれた内陸で、厳しい寒さで有名な都市なんだ。

 少し雲の多い夏。けたたましい放送と気動車の煤煙とともに、私の旭川の印象ははじまった。なにやら高架工事もかまびすしい。錆び止めの赤のままの上屋の支柱は、いかにもこれから変わる、とでも言いたげだが、これは常設ホーム。しかしそんこと知ったこっちゃないと、そば屋は湯気を吐き、特急から客が降りていく。
 函館のような優雅さはなく、民衆的で、なんやかやと忙しくて、バンカラらしさも垣間見えた。
 主要駅なのになぜか草生した路盤がおもしろかった。はて、昔列車から漏れたこやしのせいかしら。

 旭川駅の名物といえば富良野ホーム。広大な旧構内の端っこだ。ラベンダー畑の地下道を長々と歩いて階段をのぼりつめると、そこからは陽光溢れる忠別川の広大な河川敷が見渡せ、旭川ののんびりした一面が窺え、私も幸せになった。そんなところに富良野行きが停まっているのだから、旅が楽しみとなることは請け合いだろう。

 栄誉ある1番線には威厳がなく、ただ広く、そして影っているだけだった。かろうじて旭川駅構内郵便局がステンレスの窓口を差し出すことで官営・官鉄の栄華を表し、カムイタコンの岩石を配した枯山水が、お堅い役人の常識的な好みを呈示する。それらも今はほとんど顧みられないかもしれない。替わりに…改札前の一角のペンギンが、旭山動物園が今空前のフィーバーを迎えていることを物語っていた。

 そのホームを長々と端の方に歩くと、線路内の草生した草の緑がまぶしく、牧場を思い出す。そのへんで二十代の女人二人組が何かを待ち構えていた。その傍には助役らしきが立っている。
 「もうすぐ来ますから。」
 「私たち初めて見るからほんと楽しみで」
 「ねえ」
 旭川の夏。暑いことは暑いけど、北海道にしては、というくらいのものだった。
 「あっ、来ましたよ。」
 なんだろう? とぼけた顔がゆっくり入ってきて、正体がわからぬ。
 それは…旭山動物園号だ!
 したら、とたん、二人はきゃー、わー、と、騒ぎだして、すごいすごい、と曲げた両腕を縦に振って、旧国の特急のうなりや降り立つ乗客の雑踏も相まって、狂乱状態となり、あまりの二人の興奮に、助役は引きつって笑い、ふと何かカモフラージュかとさえ考えることもあるようだった。二人はそれをひっくり返さんと、すごいです、はじめて見るんですよ、と何度も畳みかけ、再び助役の苦笑を誘い出すことに成功した。
 たぶん彼もなんであんな列車がそんなにうれしいかわからないのだろう。私もわからぬ。正直、余剰の旧国の特急に、ペンキ絵を書き殴ったとしか見なかった。彼女らは、旅道中でこれを見るのを楽しみにしていたのだろうか。ただ私はドラえもん海底列車のことを思い出して、そういう着想自体が懐かしいなと思うくらいだった。

 深川あたりとは近いから、日常的に往来はあるのだろうが、旭川に来るとほんと空知平野とは違うものを感じる。なにか独特な文化だ。