旭川駅
(函館本線・あさひかわ) 2010年9月
駅前へ
90年代風の「シティ」な旭川ターミナルホテルの入口から父さんを先頭にした家族連れが出てくるのを横目に外に出ると、私は一瞬言葉を失う。「こ、これは…」 富山駅そっくりではないか! あのエスタ沿いの谷の階段と暖色系の煉瓦を詰めた感じ…。そこから見える街並みもなんとなし似ていて、正直、ぜんぜん旭川に来た感じがせず一人でずっと苦笑い。たぶん設計が同じなのだろう。しかしロータリーは昔の柵が立ち並び(昔そこにはタクシーの運ちゃんが腰かけて煙草を吸っていたような…)、舗装も古くて、やはり私はかつての民衆駅のことを思い出していた。こんなところは車やバスが危ないし、怖い人がいそうだと、幼心にろくに見もせず、足早に駅前を去ったものだ。そのときのそのまま、いま、そこにあった。
旭川駅のあの三角のオブジェは雪の表象で、夏であっても、それは北國の盆地の暑さであると規定する。ついでに、私は富山のこともそれを直視することで忘れる。富山とはけた違いに遠い、旭川。今自分はそんなとこにいるんや、と思うと、それたけでしんどくなった。旅行ははて何日目だろうか。
私は定められたように、西武などの建物の見える大通りに向かう、が、ここでも私は驚き呆れてしまった。なんと煉瓦を敷き詰め、すべてが歩行者天国として設計され、人々が行き交っている。私は歩きながら、誰がこんな英断を下せたのだろうか、と。この発想はなかった。あったとしてもそれを実現したというところに、感銘を受けた。動物園といい、旭川にはよほどの賢者でもいるかしら、と感心しつつ通りを歩く。陽が出るとものすごく暑くて、旭川は、ほんとうに真夏であった。
きわめて名残惜しいけど、今日夕刻までに小樽まで出る予定はどうしてもずらせないため、何度も腕時計を確認しては、振り切るようにして私は駅へと向かった。可能ならいくらでも伸ばしただろう。
特急に身を納めると少し安心した。世界諸都市との出逢いというものは、こんなものかもしれないと思えた。