粟屋駅
(三江線・あわや) 2011年7月
19時半、粟屋着。もう暗くなりつつある。急がねば。運転士はふだん通り降ろしてくれる。何せかなぜにこんなところで降りるのかと思われてもおかしくないところなので…
早いこと写真を撮ってしまう。暗くなったらどこがどこともわからなくなってしまう。この辺の道路は外灯も期待できない。
宵闇の中、ホームの明かりは灯り、虫の鳴き音がものすごう響き渡り、僕の体をくるむ。あたかもサラウンド・スピーカーかのようだ。けれど、音だけではない、ここでは自分という肉体付きだ。これがこの世に生まれるという意味だ。
暗い空は雲が詰まり、そよ風が吹いている。周辺に民家が集まっていて、そのうちのどれかが駅舎なのではないかと思うが、そんなわけはなく、全部人んちである。ホームと待合所だけの些末な駅だ。眼前は棚田だ。先祖が死ぬ思いで造り上げたものだろう。食っていくのがものすごく大変だったのだ。宵闇の中、いまも青々と茂っているのが見て取れた。
ISO感度ブン上げて…
急いで手近くの本堂まで出る。あたりは…なんもなかった。自販機も外灯も…かすかに見下ろせた江の川は大蛇のようで、太古の人々はきっと洪水から逃れて山からその暴れ狂う姿を見たのだろう。そしてそれは本当に蛇に見えたに相違ない。
これからは真剣な旅になる。そんなことを慮う。
江の川の対岸が国道375なのでこちらは裏道になります
裏道の方がおもしろいです
地図を見ると、確かにこの辺は集落だ。しかし田地を中心とするかなり小規模なもので、対岸、三次寄りにはもっと大きな集落があり、なぜにここに駅をとも思わないではないが、作るとしたら候補としてここが挙がったのだろう。ちなみに江の川左岸のこちらは裏道にあたり、国道375号は対岸を走っている。代行バスやコミュニティバスはこういう裏道を走るので、乗っていてもなかなかスリリングなところもある。
三江線も度々水害に遭い、しかし沿線の自治体の理解もあってそのたびにしっかりと復旧してきた。通しで列車に乗れるというのは、なかなか幸せなことかもしれない。
駅に戻るとゆっくりした。もうすることはない。ただ何度もホームを行きつ戻りつして考えたり、明かりの灯った椅子のある待合所の掲示物を読んだりした。その掲示板は周囲の状況もあって本当に賑やかに思えるもので、そこだけが大都会かのような錯覚を何度も覚えた。
まだまだ広島だけど…
ちなみに隣駅は遠すぎます
暗闇に包まれ、一人列車を待つ。ただ、待つだけだ。何もしない。することもない。する気も、起きない。いまここにいるという感覚、明日もまたこんな旅が始まるという感覚、ただそれだけを感じ取っていた。暇だが、暇ではない。不思議だ。退屈だとも、無聊だとは思わない。いま目の前にないものを思い浮かべたり、そうかと思えば話を創り出したり、ここの暮らしを想像したり、一人で対話したり、そうして確信を深めたり、それぞれが現れては消え、現れては消えていく。僕は僕の未来に終わりはないと感じ取っていた。無窮なのだから、いかようにも時間は使いうる。ここで待ったりすることを無駄だとも思わない。僕はここで待つように、設計さえされている。山の夜気、雲の香り、叢とその匂いとそのどこかで鳴く虫と、街灯に群がり体当たりする虫と…周囲には民家が蝟集せるのに、物音一つ聞こえない。灯りさえ灯っていない。もうしばらく帰ってきていないのかもしれない。けれど、ふるさとの帰る家があるというのはいいものだ。そこで、なんなとばゆっくりするのだ。都市生活が奪われたり、そこで営む力を失っても、なんとなればここがある、そういうところだ。家 ― は本来そういうところだ。地方がー都会がーなんていう論はまことに唾棄すべきものだ。なぜなら、ここはそれだけで唯一無二だからだ。ここは、ここなんだ。ここでしかないんだ。そしてそれは自分が自分でしかないのと同様に ―
先祖は幾度も災害に遭って立ち直ってきたのだ。そうして土地があり、知恵があり、力があり、涙があり… その力を、感じ取るんだ。ここで。 ― いま。