備後安田駅
(福塩線・びんごやすだ) 2011年7月
吉舎から備後安田へ。隣の駅だが、雰囲気は全然違う。車内からは、あんまり人の降りなさそうな、白い駅舎が寂しそうに佇立しているのが見える。気動車の中は賑やかだ。エンジン音もあるし、運転士もいるし、学生も乗っている。ビンゴヤスダ、ビンゴヤスダデス、オーリノカタハ…の女声の罅割れた放送も、なんかこの駅に僕を突き放した後はいっさい面倒を見ないといったような寂しさを覚える。
とりま、降りる。予定していたので。
折戸を抜けると多少蒸っとしていながらも、日が陰って涼しかった。吉舎ではピーカンだったのに、一駅移動しただけでこれである。にしても…ここは不思議なところだった。山あいにあってここだけ平地で開けていて、ぼんやりと側線が二三本、伸びて突き当りに二本の木。西洋の抽象風景 ― ジョルジュ・スーラの絵に出てきそうである。雲が立ち上がり、ミストで光が不思議に分散されていたこともあるかもしれない。はて、ここはどこだろう? どこかに迷い込んだみたいな、詩的な風景だった。
駅舎は病的に白く ― 白といっても蜘蛛の巣や剥げなどに塗れている ― 軒を手のように差し出し、僕を招き入れる。ホームには一文字の白線。人の気配は全くない。そうして歩いてると、急に曇って、絹のような細い雨がわっと降りだした。奥備後の驟雨が、旅を艶めかしくした。
「なんだってこんな急に降るんだろうな」と手傘で構内を回る。遺構を拾い集め、コレクションし、屡々ぼんやりと直線に伸びる側線を眺めやる。貨車の突放する音が聞こえる気がする。いったいいつの時代のことだろう。
新疋田にもあったっけ
いそいそと駅舎に逃げ込む。そこはニ三の標語を額で飾った、祖母の家だった。さすがに備後矢野のほほどではないが、ここは節度あるばあちゃんという感じか…駅務室の部分はのっぺらぼうみたいにプリント合板で覆われ、なかったことになっていた。内側は誇りまみれのまま、固く閉ざされている。なんだか改装したくなったが、そうしてそこにどうしようか? 商売でもする? いや、ただ、住もう。とくに町にも貢献せず、チッキや切符販売の仕事は自動化して、外に出る仕事としては掃除くらい。荷物の受付や受け取りはPUDOら任せる。操作がわからない人がいたら、シバく。いや、嘘だ、直接渡す。
時間もないので、再び手傘で駅前に出る。中国地方の駅旅の一刹那としてどこにでもありそうな石州瓦の鎮まった民家の群れを一瞬で目に焼き付ける。背後の茅舎に背中を喰われ、襲われる気がするる。そこには安田駅と大書きされた看板の掛けられた間口が、やはり僕の旅の思い出を喰わんと口を開けている。どうしてこんな寂しい駅に降り立ったの、と訊いているようだ。「いや、すまない、予定を立てて、その順番に降りているだけなんだ。僕は旅の思い出以上のものを探ろうとしている訳じゃない。だから…」 喰わないでくれ、そう心の中で唱えた気がする。
雨は変わらずに降っている。なんでよりによってこんなときに降るかと思うが、そんなことも言っていられない。一本逃したら終わりだ。
備後安田駅その3.
備後安田駅その4.
にしても、なんてこうも中国地方というのは臙脂色の瓦やこの駅舎みたいな赤のトタンが似合うのだろう。太古の昔から栄えて、みんなでわいわいやってきた、そんな感じがする。正統な歴史よりも古く、文物技術も早く伝わり…この山地でどんな営みが繰り広げられたのだろうか。中国地方は山間部と問わず広くまんべんなく人が定住していることで知られている。けれどいっぽうで因習深さの影もあろう。しかしぼくしてはそうしたものより、こうして定住地が散在していることに、均衡の美を見る。
時間のゆるす限り、駅前を歩いた。すると突然、日が射して大きく晴れた。ミストのような雨は消えて、再び夏の夕刻に戻った。陽はまだギラギラ明るく、空を青く仰がせ、雲はラムネを注ぐ。なんだ、よかった。にしても天候が安定しないな、まさに梅雨明け寸前て感じだな、と思う。
局舎はたいてい90年代に建て替わっています
雨に降られたり、突然晴れ渡ったりと、僕は夏に翻弄された。こうした変化に富むのもまた、夏の天気だ。
晴れ渡ると、いつもの駅旅変わらなくなって、あの寂しい感じは霧消した。廃墟化したモダニズム建築のJAがあるのも、石州瓦の民家があるのも、どれも典型的な駅旅の要素でしかない。明るくなってもただただ集落は鎮まっていて、物音ひとつしやしなかった。
駅前近くの商店も、そこに占める以上、それなりの義務をという気概だけを残し、ただ静かに、夏の夕べはキラキラした太陽にミストを残して、カラスがひと鳴きした。
昔の駅の近くにはよくあります
変わりやすい天気って何だろうなと思う。表情があってまるで人間のようだ。安田というのもなんか苗字のような気がしてくる。どこにでもありそうだがそうでもない、忘れ去られたような木造舎、旅の行き止まりと疑定される側線の先には、二本のとある木があるだけだった、というここには、自分以外誰もおらず、ただその木だけが、死とも生ともつかぬ唄を、無表情に唄っていた。