備前福河駅
(赤穂線・びぜんふくかわ) 2011年5月
朝4時半ごろ、体を起こした。実はほとんど眠られなかった。この駅舎、どうもなんかいそうな気がして… 真冬に紀伊半島に行ったとき、南国なはずなのに脱いでおいた靴は氷のように冷たくなっていたが、五月の今は、もうそんなことはなかった。ほんのりと靴下や靴が冷たいぐらいだ。
隊員のような速さで身支度を整えると、駅や町を探検した。しだいに明るくなって、街の全貌が明らかになっていくさまは、不安がみるみる溶けて、驚きや発見をもたらしてくれるものだ。
あたりにはいかにも岡山という感じの石灰岩ぼっいというか、岩ばったところに緑が平坦に張り付いたようなまじめっぽい剛々たる山ばかりで、この山々を見ると僕はいつもいつも、備国岡山に来たなと思うのだった。
備前福河は不思議なところで、かつては岡山で現在は兵庫という歴史を持つ。確かに隣の寒河なんかは、これは岡山だなと思うのだが、ここはどちらかわからない感じだ。山々に隔絶された平地で、少しく内海に接しており、塩田の歴史がある。民家は山裾に蝟集し、その他の田地は氾濫原か洪水地らしかった。
駅舎は大味で、古ぼけていた。明るくなってみてみれば、あたりはなんでもないとある村らしく、郵便局にJA,そして農地と集落だった。これからこんな感じでしばらくは山陽の街の旅がつづくんだろうなと思った。
近くの国道まで行きつくと、いったん駅旅はいつも終わりである。これは無意識に、今の時代の奔流が自動車道であることを認めているのかもしれない。もはや何か国道を見る旅になっているようなこともある。
途中、荒れた空き地にプレハブを置いたお好み焼き屋があった。この辺はカキオコが有名なので、それかもしれない。本場は隣りの寒河である。あんなふうな自由な仕事もいいなとも思う。もっとも、あえて赤字を出す副業かもしれないけど…それはともかく、僕もどちらかというと外構などまったく気にしない方だ。自分の部屋をきれいに直し、物をそろえて暮らしていくので精一杯である。日本の中であっても生き方なんてなんぼでもある、旅を通して見てきたいろんな風景が、僕の心の教科書でもある。それにこうして、ほら、僕がこうして休憩して座っている椅子のある駅舎も、どこもかしこも虫などで薄汚れて、ボロボロである。けれど箒があって、誰かが掃き清めているようだ。やれるようにやるしかない。それは家のない者が、今着ている服を一生懸命整えているようなものかもしれない。たぶんみんなそうして生きている。一部の目の飛び出すような富裕層を除いては…
始発には学生はやってこなかった。車掌のいる列車で、僕は隣の寒河で降りた。