茶内駅
(根室本線・ちゃない) 2010年9月
またすぐ降りたが、こうして降りるている時間の方が長いと充足を感じた。長く乗っていたときは寝ていたくらいだった。
茶内は結構主要地らしい感じだが、道内では内地の単なる交換駅がそれに値するのかとちょっと慨嘆する。しかし意味は違って、厚岸の内陸部に拓かれた大原野の中心に位置し、駅から出るとあたりはその簡素な街区だった。そういう意味では厚岸らしくないかもしれない。きっとこれが茶内というところなのだろう。
「でも、コンビニはないか…とにかくもういいかげん飲み物を買っておこう」
ファンタグレープをためらいなく押す。
歩いていると陽射しは強く暑かった。それに隣の糸魚沢ではまだお昼だったのに、もうここでは夕方の光だ。旧駅務室は集いの場に変えられていたが入れない。待合部もすっきりして、古めかしさはなかった。
もうそろそろだから、と、駅舎から出ると、風が強くつとに肌寒く感じる。その風と夕光に目を細める。こんなふうにどこともよくわからないまま駅を立ち去りつづけて、いったい何なのだろうかとふと思う。しかしどれだけいても、わかるということもなさそうな気がした。根室本線はいつでもそんな風に心にぽっかりと穴が開いているのを映し出してくれる。
ホームに出ていると、姐さんがにょきっと駅舎から顔を出した。私が驚くと、向こうもそんなふりをしておどけた。大きな荷物で旅仕立てだった。茶内に帰ってきていたのかもしれない。
言葉こそ交わさなかったが、互いに旅の途中であるのを理解した。汽車の五分前になって、私が向かいのなんもないホームで本格的に待つような姿勢で立ちはじめると、その人も駅舎の戸を引いてしずしずと構内へ出て来た。風がその人を吹き殴る。駅員がいなくなって久しい駅だった。
我々は妙な位置関係でそれぞれ何もないホームでただ待つ。駅舎の向うは町の人の世界だ。こちらは妙にこれから攫われていく感じがし、またどんな辺境よりも最も観念的な辺境に思われた。
何か言葉を探すが、見当たらない。しかしその必要もないことをわかりはじめると、お互い言葉で関わるのを諦めた。そのまま汽車に乗る。それは何か素直でない冷たい別れだった。