千金駅
(三江線・ちがね) 2011年7月
石見川越から乗った三江線リ列車は川本でまとまった学生客を積み、車内は満載になった。僕は立ったままだ。朝もいよいよ脂がのって来たという夏の8時、座った高齢の人々は光を浴びて千金駅へと向かう。列車の速度は快調だ。やはり列車の贅沢感には、バスはかなわない。国民が大事にされている感じも強い。
掘割のようなところをダダダーッと走り飛ばす。標高が低くなっていって昨日よりもさらに海に近ついている感じがして、やはりそこはかとなく哀しくなった。やがて谷がひらけて、千金駅。
降りたのはやはり自分だけだった。

浜原方


千金という名にふさわしくか、来た方向の山の緑も、行く先の水田も夏の光を受け燃えるようで、あたりはすっかり暑気に包まれている。駅寝を5晩も続けていて、もうなんかは吐きそうだ… 側壁だけがレンガ積みになってる変わった?待合室が日陰になかったら地獄だったに違いない。中はめっちゃ古錆びていてどこもザラザラしているが、そんなことはどうでもよい、と。ここでは持ち時間が1時間20分くらいで、さっさとその辺を歩いて確認したら、ここでゆっくり座って休む、なんとなれば仮眠する、そんな計画を一瞬で立てた。






踏切にも名前がついてました

にしても上、隙間あけてあるんやな

駅寝はちょっとキツそうだけどできなくはない



列車が去った遠くには採石で無残に切り拓かれた山が…そう、千金駅といえばこの風景。はじめはその傷ましい姿を残念がったが、見慣れると不思議なものでわが故郷みたいに思えてくる。石を取るために山一つなくなることはある。山は姿を変え、都市の建築となる。






戦後のホームのみの駅になります

路盤の状態は三江線はどこもよく維持されました














ええ仕事されてます








ここ金田町千金は谷いっぱいに水田耕作が盛んだった。何分平地の少ない江の川沿いにあっては、水田耕作できる平地というのは貴重だ。あたりにほとんど家はなく、あっても数戸山にへばりつく感じだった。廃墟もあって、人なんかいない感じだが、こうして収穫を待つ青田ありということは、ここに来て仕事してた人がいるんだな~と。なんとなし稲一つ一つが都会を兵馬俑のように歩く人々の姿のようにも見えた。


ここは時間もたっぷりあるけど、江の川沿いの道路まで出たり、川を見に行ったりしなかった。もうなんか朝っぱらからの暑さに疲れてしまって…それにだいたい察しがついてしまう。採石山が対岸で、その左右に江の川は流れている。そして多分集落があり、ゴミステーションがあり、畑があり…
うん、これでいい。と、駅に戻って、待合室に鞄を投げ込む。











駅に戻ったらあと40分くらいある。そう…夏の駅旅って、持ち時間のほとんどを休憩に使ってしまうのだ。あと、あんまりおもろいものがないと食傷気味になったり、退屈したり…まぁ、いっか、と思いつつ、座ってぼんやりする。中も暑いけど、ホームも待合室も日陰だからほんと助かったなと。ここに座っているだけで疲労による気分の悪さも収まるだろう。なんで気分が悪いか? その第一の原因は…何も食べてないから、というかここ駅近自販機ないんだよな。
しばらくセミの鳴き音を聞きながらぼーっとして眠くなる。しかし暑い中そんなことしてるから、気持ちが悪くなってくる。とにかく、次の駅で飲み物だ。どんなことがあっても。
でも次は江津本町だぞと。あんなところには自販機はない。そこから江津駅まで歩く予定だ。その途中になら絶対にあるだろう。そう、もうこの三江線の駅旅もいったん終わりだ。
ときどき外に出て、ホームをのんびり歩いて自分で風を起こす。蝉の鳴き声は、谷が向うに向かって開けているからか、どこか遠い彼方に消えて行ってしまう感じがする。それはなんだか海の方にまで飛んで行って、大洋に掻き消されていくような気がした。

