道成寺駅
(紀勢本線・どうじょうじ) 2010年2月
朝というのは不思議なものだな。終列車で降り立ったときとは駅の印象がまるで違ったものとなった。個人のお店や人の息づく住宅が顕わになることで、すっかり例の廃墟の印象はなりを潜め、あたりと調和し、あくまで例外的なものだと町は表現せんとしているかのようだった。あの夜は本当に不気味だったが、こうして実際は小さな町ながらも店を展き、頑張っている人々の姿がはっきり見えてくる、道成寺前のささやかな門前町たったのだった。
風は冷たいが寒さは夜間に比してだいぶ緩んでいる。見上げると、ねずみ色のもったりした雲がどっと押し寄せてきていて、天気が不安で仕方なくなった。このおかげで降温が抑えられたんだろうけど。日の出して空気や海面が温まったらよくなるだろうか、空模様をしばらく眺めつづけながら、ひたすら考える。
雲はいかにも冷たそうだ。春の雲じゃなく、日本海側から流れ着いた厚い雲である。じっと眺めていると、その冬雲も向うでちぎれちぎれになり、しだいに海の方角へと流されていた。その隙間からは真空に高止まりした冷たい空の青紫や金色の光が漏れている。その光とて地上では温度を伴っていない。そこに命運を賭けることにした。それに―理論上は晴れてくるはずだ。
木造舎は白に塗りこめられて佇んでいる。細いもののしっかり根付いた駅庭の樹木に押し倒されそうだ。囲いの石に菊の家紋があったので見ると、やはり天皇の絡みで、来県記念だった。常陸宮御成婚記念なるものもあり、私には謎に思えた。雰囲気からして戦前のものかと思ったが、彫刻によれば1960年代ということになる。 「このころはまだこういう植樹をしたんだ。」
しかしふとそんな思いを離れて、木造舎の白い板壁を仰ぎ眺めつつ、
「これから紀南はこんな駅ばかりが続くんだな。」
風はとっても冷たく、首は硬く縮こまっている。
そういえば、宮廷文学と熊野、牟婁はよく結びついていた。また近年では生物学的な探求に於いてそうかもしれない。
私は輝かしい海を想像して、穏やかな表情を催さざるをえなかった。
駅舎の中はつぶさに見ると襤褸めいているが、現役であり、一夜を明かしたところでもあって、大切なものだった。とくに壁や柱の荒れ、雑然としたくずかごにはほっとするものがあったのは、ここを活かしたという気もあるからだろう。使い続けることほど難しいことはないものね。けれど私はただ昨日という夜をここで通過しただけだ。しかしそれこそがと惟う。
乗り場もきれいに直されていて、あたりは里山に囲まれた耕地の広がる集落だった。鋼鉄の塊たる屋根無し陸橋からは、たまに駐車場や地主による新手のアパートが見て取れる。
「まあ雪は積もらんということさ」
風が冷たいので早々に鉄舞台を切り上げる。
あの山を越えたらすぐだと思っていたが、海は結構遠くて、ここはすっかり内陸であった。それにしてもなんで海辺でなく御坊から印南までこんな山中を通したんだろう。おまけに複線にする際、違うルートでトンネルを掘っている始末である。
歩みを止めるだけで寒さで手と体がぶるぶる震えた。待合室で待っても、むろん少しも暖かくない。
「これが西日本の冬季? ははっ」
体を硬くしながら笑わんとするが、笑えない。
体が冷え切っているため動き回りながら始発列車を待った。乗っても次で降りるのだが、車内はよく暖房が効いていて、座席下のヒーターは熱いくらいだった。