駅家駅―夜の駅家駅
2011年7月 (福塩線・えきや)
駅家駅という駅があることをはじめて知ったときは瞠目してなんども読みなおした。調べてみると、ちゃんと駅舎もあり、おまけに古風な木造舎。ここには絶対行きたい、と、中国山地の鉄道旅の端緒に、宿泊地として選んだ。いわば"駅家駅ステーションホテル"である。
漢字では回文状態のこの駅家駅は、ある種哲学的だ。馬の乗り継ぎ場所だったのかもしれないが、近い例では三厩?とか。関係ないか…たぶん地の人にとってはなにも不思議ではないのだろうけど、駅巡りをして駅を家のように扱っている身としては何か言わずにはおられない。
駅家駅 かへりて家と なす人は まことの家に かへり来ぬるぞ
(駅家駅と回文で帰り読みするように、駅に帰ってきてそこを家のようにする旅人は、その名の通り、家に帰ってきたという気がるものだ、この駅は)
僕は何度も「駅」という文字が駅名に入っているのを注視した。不思議だ! 鏡の世界に来たみたいだ! そして、やはり馬をつなぐ場所という想念が、僕の頭からは消えなかった。我々は昔から乗り継いで乗り継いで、目的のある旅をしていたのだ。
僕は旅というのは、ちょうど古文の時代の人のように、人生において必要欠くべからざる遠出にしかないものだと考えていた。それ以外は享楽だ、と。だから一段落ちる、と、しかし、そんなこと言っていたらまったくどこにも出なくなってしまう時代だ。何もかもが便利だからだ。昨今において、生身の姿を遠くまで遣わさねばならない折というのは、だいぶ少なくなった気がする。そんなわけで僕も駅だけを巡る旅をするというのは、かなり抵抗があった。そんなものを旅に仕立て上げることができるのか、と。
けれど駅というのは、昔からあるものは本当におもしろかった。そこにはその郷土の考え方や文化感が、濃密に残されていたからだった。
ちなみにもう0時を過ぎている。このちょっと変わった最終便に乗るのも、目的の一つだった。福塩線は府中までは本数も多い。しかしそこより先は、希少区間となる。明日はそこを攻めるつもりだ。
気温はだいぶ下がり、福塩線に乗り継いだときの嫌な蒸し暑さはもうなかった。けれどそれほど山に入ったわけでもない。とにかく府中までは内陸部の平野、市街地として考えていいのだ。
ホームはこの路線に多いけど、けっこう細めだ。規格が違うのだろう。
駅舎内は量産型の木造舎だったが、そんなんでもありがたい。だってこのような建物はもう二度と作られることがないのだから。ただ一つきりの長椅子を見つけて、安堵する。今日はそこで寝るつもりだ。
深夜0時を回っているけど、一応どんなところか知っておきたく、夜な夜な町に這い出す。駅前は狭く、目の前のタバコ屋から滑りよけるようにして、商店街に出た。
昭和30年代ころふうの商店街は、湿度を伴った熱気とともに凝然とし、アスファルトだけが日中の思い出を唄っていた。
駅の消灯時間が気になるので、偵察もほどほどに、駅へと戻る。
そういえば、涼むという行為は、消失した気がする
長椅子の上に夏用シュラフを敷いた。でもここは消灯が怖くない気がする。狭い駅舎の中に自販機もあるし(これははじめから灯りが消えていたけど)、ホームも階段で近くて、なんか安心するのだ。ただ…駅の出入口は開放型で、椅子がそこに近いからその点はほんと落ち着かない。入ってきた人もびっくりするだろうし…
でも、まぁ、ここで、と。体をシュラフの中に入れた。まだホームも明かりが煌々と灯っているのが見える。と、そのときだった!
狭い駅前に、赤色灯が静かに反射しはじめる。これは来たかぁ? と思いつつも、へたに動くと疑われると思い、そのまま寝た状態で待機。そのまま通過してくれるそぶりをみせていたけど、例のツートンカラーのそれは、マニュアル車特有の静かな滑り出しで駅前に横付けになり、警官二人が降りてきて、中に入って来た。僕はそれでもやはり素知らぬ顔で、顔を横に向けて、寝た姿勢だ。
足音からもう警官の足が頭の前に来ているのがわかる。彼らは懐中電灯で僕の頭部を子細に照らす。
「どうした? 終電逃したのか?」
ふとっちょで先輩の方が、そう声をかける。どう説明しようかと思っているや否や、もう一人の若くて細い方が、
「あの防犯の方だけ、貴重品など、管理の方お願いします。ここは大丈夫だと思いますけど。」
と。それで終わった。
もう一人の方が求めたコミュニケーションが遮られたことに、申し訳なく思いつつも、僕もそれ以上は何もいいようがなかった。警邏側も同様の例をよく知っているのでもう慣れているのだろう。
身分証の確認もなかったので、この辺は治安がよさそうだった。けど、福塩線や福山って、そんなに安全というイメージもとくにはないような気はするけど…
まぁこんなに外から見通しがいいなら、ほかの人の警戒心を高めなくすむという点ではいいかもしれない。まずいのは、警邏側がもう誰もいないとな思っていたのに誰かがいた、というパターンだ。その時点で彼は疑いを深める。もっとも、これは自分が見落としていた怒りの裏返しだ。
まぁ僕はただひと駅ひと駅、降りていくだけだ。ほんとにのんびりした旅だか、こんな旅はほんと、今しかできない。それは将来忙しくなるから、ではなく、どんなに休暇があっても、休む気にならないくらい、人生の残り時間が少なくなるからだ。