駅家駅
(福塩線・えきや) 2011年7月
朝5時前に起床。顔にそよ風も当たるし、新聞配達のバイクの音も聞いたし、ほとんど寝られず頭がじんわりと熱いが今日一日は、府中より山向こうの希少区間を攻めないといけないから、疲れたとか言っている場合ではないという思いだった。涼やかな夜風に当てられながら、外の厠の水場で身支度をした。駅のトイレでろくに手を洗わずに出る奴多数だが、それはやめたほうがよい。駅旅を続けていると、吊り革やドア横のバーを持つことが多いから手が汚れやすいのだ。だから手は割としっかり洗ってる。
こんな野ざらしのささやかな洗面台で手を洗うなんて自分だけなんじゃないか? なんて思いながら蛇口ひねる。にしても、公共物というのはどうしてこうもまともに扱われないのだろう? 托鉢の僧じゃないけど、あるだけでもありがたいという思いだ。
手洗いなどはここで済ませました
駅前は狭くて、昔の個人店が密集していた。大通りからら入ってくる道も細いという中国地方にはよくあるパターンだが、それだけに誰もいないのに賑わいを感じる。そんな幽霊観にとらわれながら、僕はこの不思議な町をあとで彷徨い歩くことになる。
駅舎も昨晩見たとおり、石州瓦を積んだ枯れた木造者で、腰板壁のペンキ塗りが罅割れまくっているのもよかった。そんな建物に「駅家駅」なんて硬派な看板がかかっているのだから、ほかに何を言うことがあろうか? こんな旅をしてみたかった、そのもののはっきりとした具現化である。しかもこの日、この朝から、一週間近くも中国山地の鉄道の夏の思い出を追求することになるのだ。ほかに何を求める必要があろうか?
答えは"No"だ(使ってみたかった…)。
僕は僕の思い出として、旅の駅舎に囲まれながら、一歩一歩攻めていき、日本海を見果てるのだ。
そんなにうまくいくかどうかわからないし、どんな結末になるのかも知らないが、とにかくそういう予定になっている。
ホームの前に校舎があるって、ほかでも見たことがあるような…
ちなみにこれは駅家駅小学校
福塩線の駅のホームはどれも狭く小さく、根本から規格が違う感じだ。しかしそれがまたかわいらしくてよい。おっとっと、とよろめきそうになりながら、僕はホ―ムの探検をした。階段を上がるとドンと校舎が控えていて、何もかもが異様である。端の方では家の軒端がホームの床面にかからんとしていて、それは私鉄との些末なとある小駅のようなものだった。それでも国鉄に買収され、今ではJRの名を冠し、中国地方のネットワークの一部に組み入れられている。陰陽連絡線の一端だ。
それに福塩線は意外にいいルートを通っている。近畿からだと、三次にアクセスするにはちょうどいいポジションだ。まさか新見から芸備線ともいくまい。恐ろしいほどに本数が少ない。福塩線も府中から先は、その先にいったい何があるんだと思わせるくらい激減するが、まだましな方だ。しかしこの場合、府中までが多いだけに、府中から先が異様に思えるのである。
駅舎内にようやく電気が灯った。しかしこの駅では消灯しても全く怖くなかった。それくらい見えない賑やかさと温かみを感じる駅なのだ。
ここは窓だったんでしょうか
にしてもこのエル時の凸部は珍しいです
街に出歩いた。何を取っても味があり個性があった。個々の意匠から全体の醸す雰囲気まで、地の人には当たり前に見えても、数々の街歩きをした僕からすると、それは確かにあった。ことに個人店の個性が強く、それは福山らしいところだった。
旧石州街道はそんな感じで町並みがあって、そこもまた狭い昔の歩道のない国道で、この福塩線沿いの道は探求する価値があるなと。意外とおもしろい、そんなところだ。
ローカル線の小駅レベルである
福塩線を跨ぐためのものです
かつてはこんな道が多くあり、車がブンブン走ってました
コモドは気楽にの意
倉光交差点
ちょっとおもしろい
JRだけど
広島県だけど
久しく見ていない
駅前旅館かなと思った
色褪せもなくてすばらしい
ようやく日が昇ってきて、始発列車がやってきた。落っこちそうな高台の狭いホームにちょこんと建てられた木の上屋に電車が滑り込んできた。なんだか軽そうである。赤と青の細いラインのカラーリングで、ふだんは乗らない外観だ。隣りの万能倉駅に行く予定だけど、正直先ほどの旧石州街道を福山方に歩いてわずか1.3キロなのですぐについてしまうんだけど…福塩線の府中から福山まではわりとそんなことがよくある。もともとは両備軽便鉄道で、府中までのすべての駅は1914年にできたものだ。しかし大半の駅は木造駅舎が取り壊しに遭っていて、ホームのみになっている。駅間距離が身近いのにそれぞれに駅舎があって税がかかることが恨まれたのか、福山市郊外として恰好の位置を占めるこの内陸平野の人口増加に伴って、駅前の駐車場などの用地が必要だったかのかもしれない。