原生花園駅

(釧網本線・げんせいかえん) 2010年9月

知床斜里に停車中。
 
この辺からは旅行者羨望の地が続く。
トウフツ湖を望む。
夏も冬も楽しめるところ。夏と言っても花の最盛期は梅雨のない6月。
 
浜小清水、斜里方。
 
 
砂丘地がはじまっている。
 
駅舎へ。
 
待合室じゃなかったのね。
 
潮風にやられている。
 
原生花園駅駅舎その1。
その2.
 
 
 
 
 
 
 
 
道路側に出て。
こうしてレストハウスがある。
 
 
 
トウフツ湖。
陛下も来たという。
遊歩道にて。もう花は終わって久しい。
 
偉大なるオホーツクへ。
 
 
記念撮影場所。
 
多分対岸の浜もこんな土の色なんだろうな。
 
 
 
 
レストハウスへ。
あそこでなんか買おうか。
道路に出るとこんな感じ。
トイレ。
道の駅にはなってなかった。
休憩所。
こうして最盛期の様子が写真よって伝えられる。
 
お土産街へ。
 
鉄道やバス、花?のダイヤがあった。
じゃがバタ…。雨で寒かったしまあよかった。
こちらでお土産をまとめて購入。
列車さっさと来んかいな。
 

 知床斜里に停車したとき、汽車の中には深青色のモケットに小説を読みふけりながら旅行する長いブロンドの旅行人が目に留まり、慣れているんだなと思った。今日は雨だ。知床にヒグマでも見に行ったのだろうか。まさか。

 とりあえず予定通り原生花園で降りるが、かなり雨脚が強く、こんなときにこんなところに降りてえらい目に遭った。私と同時には、斜里から乗ったJRの職員がおり、その人と降りることになって、私はかなりに戸惑った。こんな駅で特別改札? その人は駅舎の中へと入っていった。
 とりあえず雨脚をさけようと私も入ろうとすると、鍵がかかっていてびっくりする。そしてびっくりしたように、中の人がこちらを見る。中ではラジオが割と大きな音声でかかっていた。中をのぞいてやっと気づく。これはオレカなどの販売所なのだ。「なんと、雨を除ける施設もないとは!」。駅名からわかるように、季節駅でホームしかないのだが、傍らにログハウス風の建物があったのだった。

 もうとにかく海岸まで出て、気を済ませよう。どうせ雨でなくとも花の季節じゃない。ほら、向うに何か道の駅か自治体がやってるみたいな土産売ってるところあるやろ、そこで飲み食いしてこの旅行の土産を地方発送しよう。

 遊歩道に客などいない。周りの草にひざ下や荷物をびちょびちょに濡らされて眺めたオホーツクの海はにび色だった。けれどそこまで歩かなくては帰れぬ。網走まで出て時間を潰すのも考えたが、イメージできなかった。
 途中赤い服を着た、車できた五十くらいの女性に「汽車で来たんですか」と聞かれ、そうです、というと、「あぁ…」と声を漏らして悲しそうな顔をした。車にはご主人がいるのだろう。
 私はたいしてめげなかった。なぜって次ここに来るのは、やはりいつか分からない。ほかに行きたいところも出てくるだろう。そもそも、自分にってこんな外国みたいに遠いところまで来て、天気にこだわるというのは考えづらかった。

 駅まで戻ると、例の"駅員さん"がやはりラジオ掛けながら窓口開けてオレカを売っている。いったい何の因果で、と思わなくもなく。かわいいものがありそうなので近づいたが、やはりそれだけだった。けれど、もし何か声をかけてくれたら別に損するものじゃないし買ったかもしれなかったのに。というのも、買っておかなかったことをいまたいそう後悔しているのだった。オレカが廃止になって久しい。こうして人と人がつながらないこともある。

 私は真っ直ぐレストハウスの土産屋に入る。ここで旅装を整え、やっと一息つけた。串やコーンなどの焼き物、炙りものが食べられる。中のやり手のねえさん(変な意味ではない)に、案の定、にいさんにいさんと声を掛けられまくるが、こっちは買い物ののつもりなのだから、いやな気がしない。そして私はあえてにいさんと呼ばれるにはまだ随分若かった。
 そう。だから天気なんか関係ないのだ。今のこの私が、この小清水にある。そして、遠方からここに来たいと願って、実際に行動を起こしてここに来た、そのことが何よりもかけがえのないものなのだ。

 とりあえずは何か食べたく、じゃがバターを注文。不意を突かれたように、今火入れるからね、ちょっとまってね、と。たぶん火が入っていて、客の多そうなときにこっちも注文するものかもしれない。そして私はこういう時にあえて多めに注文するほど、成熟もしていなかったが、それはそれでまたよかった。

 一息してから、地方発送できるか聞くと、ガラガラ声のやり手女性がおっきなこえで、できますよ、と。べつににこりともしない。それで五千円分くらい、熊ラーメンやご当地ビールを箱に詰めた。こんな日はこんなふうに過ごして気を休める。こうしていくつかの意味での義理もできた。
 お気づきのように、私の若い夢想を実現するべく、この駅では時間を取ってあったんだ。それが却って虚しいことにもなりかねなかった。
 時刻になって、踏切が鳴り、原生花園なる原野から脱出する。