中国1
2011年7月
因原から江津へ
とにもかくにも、もう三江線からは脱出できるわけだ。足掛け四晩、尾関山、宇都井、沢谷、川戸、それぞれ駅寝して、今に至る。こんだけ味わったらもう十分。窓からは時間を変えてもう幾度となく眺めた江の川が、しなだれて映し出されていた。もう心象の江の川も、擦り切れている感じだ。というか、まるで学生として三江線を利用しているみたいだ。「ふるさとは 遠きにありて 思ふもの」か…、まっ、そんなもんか、と僕は乱暴に片づけて江津へと向かう。
けれど江津駅に近づくにつれ、この後どうしたらいいのだろうと。いちばんの目的が終わってしまい、途方に暮れはじめる。もっとも、高速バスで帰るのがいちばんだろう。けれどよく考えたらまともに海も見てないし、やはり帰りも鉄道で、山陰本線で帰ろうと。けれどもう体力が残ってない。けれど今後山陰に来れるのはいつかもわからない。
江津
一時間後、江津駅着。三江線の列車は、このときは乗客は余りいなかった。もっと学生でいっぱいかと思っていたが…そういうスジもあったんだけどな。もう今日の昼に来訪した駅とはいえ、下車は初めてだったからやはり新鮮だった。それでまた少し旅情を回復する。
駅のホームを一巡しているうちに、僕はみどりの多い、西寄りの不思議な一角に腰をどっかり下ろすと、もうそこから、動けなくなった。もう体力が、ない。
「あ~疲れた」
後は駅の人模様を見送るだけとなった。なんかちょこちょこ駅舎から人が出てくるなぁと思っていたら、まもなくスーパーおきが停車するという。前もっての駅員の放送はあったけど、入線時は特に合図もなく、ステン剛性の車体がライト灯して滑り込んできた。
「あんなのに乗ったら旅は快適なのかな」
着いた先での目的がはっきりしていたら ― 商談、大事な契約、出演、或いは明日の仕事のことを考えて快適に帰宅する、家族が待っている、などなどであれば、特急列車というのはまことに代えがたいものだろう。僕の人生の旅にはいまだそれら出番がないと来ているが、それはそんなに珍しいことではないようだ。或る大工さんは、鉄道にはもう何十年も乗っていない、という。
特急が出ると、一人ぽつねんとなった。あやしまれないかなと気にするが、体が動かないのだからどうしようもない。いったい改札を出て、といっても、昼に来たとき、すぐ近くには何もないのを知ってるし、出たってどうしようもない。何かを食べる気力すらない。
そうしてとっぷりと日が暮れた。もうどうでもいい気分だ。でも動かないといけない。けれど何をしたらいいかわからない。
やがて、男子高校生らがホームに入ってきた。なんだろうと思っていると、もうすぐ出雲市方面行きの普通列車が到着するらしい。
「とりあえず次のに乗るしかないよな。いつまでも座ってるわけにいかんし。」
今何がしたいのだろうか? 食事? いや、違う。そう、風呂に入りたい!
「じゃあ温泉津に行けばいいんじゃないかな」
たしか21時くらいまでやっていた気がする。まぁ行くしかない。
列車が着いてから、ようやく重い腰を上げて、歩いて行った。別に乗り遅れてもいい、そんなやぶれかぶれだ。実は、三江線全駅来訪後、どうするかは全然決めてなかったのだ。その場で決めようと思っていたが、こんなに困じ果てているのに、何かを決断なんてできるわけがなかった。結局、列車には無事乗れた。さぁ、それからどうする。温泉津の銭湯はほんとにう開いているのか。どこにあるのか。何もわからない。