江津本町駅

(三江線・ごうつほんまち) 2011年5月

 お昼の最後の便として客を満載していた列車は、千金を出てほどなくして、もう旅は終わりだよといわんばんりに大河すれすれに走り、列車が落っこちんばかりだ。標高はもう海抜ゼロに近い。一駅ずつ降りて中山間地域を五日間も旅してきた者にとっては、その低さというのは余りに明らかだった。
 やがて江津本町が案内される。遠くにはいっぱいに広がった川幅にかかる鉄橋も見えて、なんか活気を感じる。大駅の江津駅手前で、江津本町というくらいだから、おりたところが賑々しい街だというのをイメージしてもおかしくない。ところがどうたろう? 

川本方

江津本町駅その1.

 ぽとりと降ろされた僕は、その異世界観に目を剝いた。まずびっくりするような潮の香り、けれど海はない、山、それから、蝉。頭が混乱する。江の川はちらりと見える。どういうことだ? 急いでホームを端まで歩く。するとそこは海のように青い江の川が、すさまじい清涼感で、滔々と揺れ流れるのが眺め渡せる。「そうか、汽水域か!」 
 街の喧噪のけの字もない。山辺の静けさが、ホームだけの駅一帯を支配している。
 ジリジリ照り付ける夏の陽差し、けれど潮の香りが、なんとも涼しく、そう、あまりにミネラル不足だったので、鼻腔から吸収されたそれすら、体は栄養だと認識したのだった。

 頭がおかしくなった。五日間だぞ。海に出るまで。今ののこの国じゃ、ありえないことだ。どんなに時間づふししたって、やることを作ったって、それこそ栂池新道でテンハクを繰り返して縦走でもしない限り、味わえない感覚だ。だから僕はよく言った、駅旅は町の山化だと。

江津本町駅その2.

駅舎兼待合室
潮の香りがすごい
うぉぉぉ自販機ある!
ついに来たか~
この山を越えてきたんだなぁ
終点江津の前にもまだ不思議のトンネルが控えている

 遠く広がった河口に鉄橋のかかるのを見て、泣きそうになった。ついに来たのだと。長かったな。あまりにも。でもここでいったん終わりだ。自分なりに立てた予定を完遂できたのは、半端ない充足感だった。

左側はこんな感じ
岸辺はどうなってんだろうな~
主要駅の隣で本町というから、もっと賑々しいのを想像していたが…
あそこを越えたらもう江津駅の機関区が見えるでしょう

 山陰のしじまの蝉の音沁み入る古ぼけた待合室は、駅舎を兼ねた大ぶりなもので、中は打ち捨てられ、廃墟と化していた。けれどもそのがらんどうかは日が当たり、海の川が眺められ、一抹の涼と爽快さを供している。それは埃っぽいにおいとなぜか妙なコントラストをなしていて、僕には若い年寄りといった想念が浮かぶ。いったいいつごろ書かれたかわからない、黒板のチョーク書き。告!!なんて、今は書かない。何もかもが忘れられたままのそんな廃寺のようながらんどうを歩いていると、子猫が一匹横たわっていた。近づくと、死んでいた。きれいな死体だった。寝ているのかとも思った。なぜ旅の最後にこんなことが、と思う。水を得られなかったのだろうか。僕には一大事のように思われ、電話することを考えたが、そんなことしたらゴミとして処理されそうで、埋葬するのも考えたが、旅の者としてはあまりに手だてがなかった。

書かれたのはいつ頃だろうか
あっつい

埃と虫の死骸の匂い
千金駅同様、大ぶりな待合室です
めちゃめちゃショックだった
駅出入口
よほど捨てられてた時期があったんですね
終点まであと一駅
風流
あそこを歩いてくことになるのか~
江津本町駅その3.

 燦燦たる陽射しに打たれた、青い汽水域なホームを離れる。いっぱいの水と潮風で、実際に満腹感を得たほどだった。大丈夫、日陰はすぐそこの道からはじまっている。木立の間からは江の川ブルーが見えて、なんとも風流で、クラシカルな曲線を描いていた。もう僕はこ日照りの道を山方に向かって延々と歩くことはしないだろう。山の中で、駅旅に疑問を持つこともないだろう。ただ今は、夢にまで江津市街と海を見られれば、それでいいのだから。

江津本町駅その4.
川本方。こういう道好きやねんな。
いわゆる裏線、ですね
海の予感が背後からしてきてドキドキ
対岸がメインとなります
いや~自販機助かるわ
ええとこに駅作ったな
こっから見るとつまらん
いい道だ
さぁ江津の街へ行こう

 胸を本当にときめかせながら、僕は道を街方に取った。蝉の鳴き沁む切り通しで、こちらの方がむしろ山に向かうみたいな感じなのは不思議だが、潮風がしっかりと入ってきているので、こっちが海だとわかる。そしてこっちが市街だということも、感覚で。どきどきしながらカーブを曲がる。その先にあるものは何だろう。どんな風景が待っているのだろうか。何かで見てきていないのかって? そんなものはありはしない。仮にあって、見ていたとしても、旅行モードに入ったら、僕は全部忘れるんだ。その思い切りのよい忘れ方といったら、もはや才能だと思っている。
 それにしても、本町っていうけど、駅前は町なんてなかったな…廃墟の待合室だけだ。けれど、それもまた島根であり、僕にとってはそれが島根の優しさでもあった。