浜原駅―(写真館)

(三江線・はまはら) 2011年7月

しばらく停車中の列車とともに
沢谷、石見都賀、伊賀和志、口羽、三次方
ソテツだ…
粕淵方
白線すら消えかかってるホーム
田舎あるあるのディーラーの広告塔
もっとも、なかったらめちゃ困ると思う
あそこは靴工場のようです
これは鉄道関係?
昔ながらの電信柱が
新トイレ
エンジン止めて滞泊中です
乗務員は中で定められた休憩を取っています
とりあえず自販機はあるんだなと
運転上の主要駅らしい感じです
微かに白線が残る
左手浜原小学校
かんなり埃っぽかった
千鳥式配置
江の川方
乗務員用の構内踏切があります
江津行
無人駅なので直接裏手にも出られるようになってました
これは便利
右手は信号機室?
鉄道関係と思しき設備が構内外にも見られます
構内踏切にて
本数僅少という三江線の特殊な状況により利用しましたが、通例一般の利用は超厳禁です(ドヤされます)
軒下にて
この辺はコンクリートでガチガチだった
というか、一般家屋と地続きになってます…
だいたいはあってそう
化粧モルタルの腰壁
これだけでポイント高い
こちらはかつてのポイント操作室のようです
昔はここで操作してました。今は集中管理です。
石見都賀の内線があるのが意外です
倉庫とか
かつてここも宿直駅だったのでしょうか
駅庭
三江線カラー
最終は19時となっています
窓口は完全に塞がれています
長椅子十分
トイレきれいはありがたい
浜原駅駅舎その1.
浜原駅駅舎その2.
立派な庇が鉄道の威厳を語る
三江線全通記念 昭和50年ということです
保線エリア
浜原駅駅舎その3.
浜原駅駅舎その4.
浜原駅駅舎その5.
意外ですが、ここは石州瓦葺きではなくとトタン葺き
浜原駅駅舎その6.
歌詞?
浜原駅駅舎その7.
酒屋さん
浜原駅駅舎その8.
沢谷方
浜原駅駅舎その9.
漆喰塗りなんかな
トイレ
浜原大橋が見えます
駅庭と旧式ポスト
特に立入禁止とかもなく…
中心方
駅前
浜原駅駅舎その10.
浜原駅駅舎その11.
浜原大橋といっても、車一台分です
この辺は浜原ダム直下なので、水量少なめです
三瓶山ですね
浜原駅駅舎その12.
浜原駅駅舎その13.
浜原駅駅舎その14.
あそこにも自販機が
桂根八幡宮入口
踏切越えて寺社のパターンはかなり多い
交通安全とくにびき国体の碑
ふと妙な入口を見つけました
小学校?
邑智町立浜原小学校でした
2004年に廃校してます
校庭
開校百年記念の碑
なんか碑多いですね…
ここが玄関なのかな
陶製の二宮金次郎像 金属供出によるものです それまではブロンズ像かあったということなので、ということは戦前の開校ですね
状態良好
本校舎
もともと小規模だったようですが、それでも最盛期は賑やかだったでしょう。
別棟とを石州瓦の渡り廊下で結んでいるところがミソ
これ見て、やっぱ入っていいんかと思ったり
小学校あるあるですね
湯沸室で使われてたと思しきヤカン
何か言われないかと気を揉んでいましたが、強烈に引き付けられ、だいぶ奥まで誘われるように入ってきました
ここは入ってほしくないようです
にしもてこういう渡り廊下好きだったな
十数個もある蛇口
保険の先生がしたためたと思われる手洗いの手順が残っています
なんでこんな半端な釉薬のかけ方を…
いわゆるサッシが入る前ですね
その後は鉄のサッシなどが生まれ、それからアルミになりました
しかし熱が逃げやすいとのことで、今は樹脂製になり、そしてたいていペアガラスになっています
西日本では夏を基準に考えて設計されているので、基本窓多めです
兼好法師も夏を基準とすべしみたいなこと言ってました
なんかいろいろ思い出します
何かなと思ったら碍子ですね。電線の絶縁体です。1950年代のもののようです。まだ戦後の混乱期です。
朝礼台。どの学校にもあったなぁ…最近はないかも
校門
最後の卒業生でしょうか
浜原本町
いちおう薬局?
石見交通のバス停
隣保館探したけどわからなかった
かつては水運で栄えたそうです。粕淵とは数キロで、近いです。
ふと脇に入ったらまた小学校の施設が見つかりました
ここはプール入口のようです
振り返って
ここにも大量の石州瓦が! にしてもなんでまたこんな中途な釉薬のかけ方してるんだろ…
全部産廃扱いのようです
更衣室ですね
体育館? 隣保館?
右手、江の川の土手
元たばこ屋ですがね焼肉と書かれています
夏祭りのポスター、この一枚で小説が書けそう
駅前
浜原駅駅舎その15.
列車に乗って