浜村駅
(山陰本線・はまむら) 2012年9月
宝木から2つトンネルを越えた先が浜村で、乗ってすぐなので、山陰の長旅としてはなんかへんな感じだった。よく知られているし、気動車からの降り客も多く、主なところに来たなという意識はあるのだけど、やはり木造舎で、そしてすっかり静かで、ほかとさして変わらない空気感だった。
たぶん昔はすごかったんだろうなと。けれど廃れた駅の雰囲気ではない。構内は古いもので溢れるというより、どちらかというとあっけらかんとしていた。
駅舎は古いものを擬古様式にして、板の腰壁に漆喰塗りのようになっている。少し抵抗があったが、年月が経てばもっといい具合になじんできそうだ。中は鳥取の隣の湖山と同じくらいの広さだったことからも、客の多い駅であることがわかった。
なんというか、ひところに駅前は整備が完了したらしく、あまり旅情はなかったが、なんといっても歓迎の門はありがたかった。かつては各地にあったかもしれないが、このセンス色濃く残しているのは山陰地方だろう。貝殻節の踊りの彫刻は足湯にもなっていて、子供らが群がって遊んでいた。子供らはこういう水場に目ざとい。気もかわりやすく、わあっ、といって駆けだしていく。駅前が遊び場なんて楽しそうだった。
浜村温泉というと団体がどさっときたイメージがあるし、関西では比較的しられていると思っていたが、地の人は今はあまりそう思っていないかもしれない。
すぐ近くに廃墟の旅館やかつてのおみやげ街がある。それでもそんなに悪い感じはしなかった。どこにでもあるいきさつというものだろう。
交通の便に伴って戦前の観光地が廃れたことがあったが、戦後にそういう事象があったのは観光の新しい興亡史の一端を華やかすようであった。
しかし奇妙なことにも、イタヤ貝が大漁だったことは、すでにバブル的気質を生んでいる。貝殻節は共感を誘いつつも、なにか不特定の当地のアイドルの哀愁のうたであったろうか。
今は妙にこじんまり整備されたこの駅前の風景が、後片付けを物語り、すっかり過去はそこのイタヤ貝を背にした童子像としてかためられてしまったようであった。
日が色づきはじめた駅舎の中だけは、何の影響も受けてこなかったように思われる。正直、ここにはもう少しおもしろいものを期待していた。中はどことも同じように売店は自販機に変わり、米子鉄道局の水色と白のベンチがある。改札も昔のスタイルだ。改札からホームへ跨いで赤光を拝したとき、素朴な本来の浜村を見たようであった。