花咲駅
2010年9月 (根室本線・はなさき)
夜の花咲駅
私は自分の降りる花咲がまだかまだかとアナウンスに耳を傾けているが、それがなっかなか聞き取れない。保線が悪いのか、やかましい走行音でほとんど聞こえなかった。窓の外の駅名標を確認するには、停まる度にいちいち移動しないといけないがあまり気が進まない。けれど何駅経っても花咲は聞こえてこず、もしかして通過したのか、いや休止駅になった情報を見落としたかと焦りはじめた。
そうしている間に、今しがた停車した駅で例の人が降りていく。そこで私は運転士のところまで小走りに行き、「すみません、花咲ってもう過ぎましたか?」
たいしたことなさそうに努めた。
すると運転士はただ妙に朗らかに、
「はなさき? 花咲はこの次だよ! えぇ二十時四十五分に着くね。」
「この次? 次なんですか、ありがとうございます。」
まさか次だとは思わない。こうして無事、予定通り花咲駅で下車できたのだが、運転士は少しも心配するふうでなく、私を真っ暗な駅に送り出す。背にする一両の気動車の窓の白い灯りの列は蒼然たる決別の舞台照明だった。
「なんだこれ?! まさかこんな駅だとは…」
ほんとうに真っ暗。そしてこれほどにまで何もない平原にある駅だとは全く知らなかった。秋風がしりしりと冷たい。そう、道央はまだ夏だが、道東もここまで来ると、九月半ばはもう秋そのものなのだった。オホーツク海高気圧だ。半袖の腕が切ないほどに冷たいから、黒の長袖を着る。北海道旅行ではこういう準備が必須なのは知っていた。死をまさに目前した者がするように目を見開ききったまま駅から歩く。きっと青白いチェレンコフ反応を見たものは、既に恐怖を抱いており、目を閉じられないでいたのだ。冷たくなりはじめた風が水分で潤った眼球を撫でるが、乾くことがない。
遠くの橙光とざくざくいう自分の足音。どうも、海が近いようだ。灯りから湾岸の線形がそこはかとなく浮かび上がっている。
何もない空き地をしばらく歩くと二車線の道があったので、何か店かせめて自販機がないか探しすが、残念ながらここは内地のようにはいかない、ただ一人、ただ一人自分だけがの暗黒の時刻に、日本全国に配布されている時刻表路線図の「花咲」なる駅にいることが理解されるだけだった。
日本では一人になれぬというひとくさり、しかし、熱い思いを充満させたくなる場所やその時刻というものがあるものだ。鼻崎となればただの小岬だが、名前だけでも赤く明るいこの地の名、私はきっとその時節にはカニを売る店とかでそこそこ賑やかな町のすぐ前にある駅だと思っていたが、なんということか、ただオホーツク海を渡る冷涼な夜風が身に凍みていくところだった。一人で「くぅ」と縮こまり、駅へと引き返す。駅舎は貨車流用で、ちょうど半分の客車が停まっているかのように、いくつかの窓から明かりが白く漏れている。花咲の文字は小さく、なぜかシティな感じだった。
私は数段の階段に屈んで、ペットボトルに汲んで持ってきた水道水で手を洗い、寝支度をする。とにかく電気の来ているうちにやっておかねば。「ついに一人でこんなとこまで来ちゃったか。でもその夜の現実というのはこんなにも草原に放り出されるようなものだとは」。水場などあるわけもない。
途轍もない本物感。すべてを失った後の旅はこの国で可能なのか、知りたかった。
寝る前に空を仰いで明日を占う。星が見えていたけど、見慣れない星座だった。翌朝の光だけを楽しみにしつつ、シュラフに入る。
横臥すると白い貨車の中はあまりにさっぱりとして、 子供のころ風邪が全快した目覚めのある夕方の日にあったような、 気持ちよい、軽い頭痛を思い出した。何かが引っかかるあの感じ。 押しなべて白塗りで、その中を似合わぬ青白い蛍光灯がさめざめと照らしている。 寝台代わりの座面も白塗りの板で、それは何か僻地の貧しい、、 忘れ去られた簡易なサナトリウムの中の、無駄なものが一つとしてない、 ある病室のようにも感じた。夜で何も見えやしないが、 もう冷たくなりはじめた風は、あたりがいちめん薄原なのを教えている。 もう少し寒くなれば、このままの恰好では頭痛を催すだろう。 私はふと電話をかけてみる。こんな最果てでもフォン・コールが行われる私の画面。 本当に些細なことで、自分の存在が消えてしまうような気がていた。
板張りで、背中は痛く、寝返りは打つとしたら、そのたびに目が覚めるだろう。目覚ましはやや遅めの設定となる。始発が六時五分だった。「逆に考えればこんなに周りがないとなると心置きなく寝れそうだな。」少しうきうきする。やがて音もなく電気は消えた。こんなところに人がいると思う人ももういなかろう。ただ静かに朝を待つしかない。
背中が痛さは仕方ないが、薄ら寒さはしだいに収まってきた。シュラフの性能が発揮されているとみえる。