広電廿日市駅
(広電宮島線・ひろでんはつかいち) 2011年5月
旧国鉄廿日市駅から彷徨っていると、広電の駅に行きついた。そしてそこには、まったくの別の空間が、ただあるがままに広がっていた。それはさながら完全に忘れ去った記憶の再現で、敗戦後の現実に目を背けるために働きまくった、或いはそうせざるを得なかったその時代そのままだった。衣食たらずんば如何で考えられん。投下地の県内にあってさえも弾薬庫が今も米軍によって握られ、駐留されているなんて、まともに考えられないことだ。我々はとかくそういうこを"うまく"忘れようとしてきた。
いずれにせよ、僕は歴史を一つの流れにつなげるために、旅を繰り返している。米国の賢明な大学生が、自国の通貨が戦争と世界中における駐留によって維持されてきた真実に初めて触れて鬱々とするのと同様に―
否応なく死者の灰を想起するようなホームの床面。人々はそれでも毎日その痛みを想起させられることを受け入れた、そう僕は考えたりする。もちろん、そんなわけはない。かといって、この素朴な懐かしい構内がいつまでも残ってほしい、という、歴史事実から離れて忘れようとするオタク的な方向性も、僕は取らない。
そう、突然、僕は死者になって、いま、この広電廿日市駅構内に舞い降りたような感覚を覚えたのだ。
生きている間は、たぶん甲か乙かといった討論で沸いたりするのだろう。延々に旅をしてただ共感を呼ぶか、或いは家に引きこもって史料にあたり、分析とその集積を繰り返す知的な方向を取るか…前者は後者を今を生きていないと批判し、後者は前者を知性に欠けると非難する。
しかし今、死者としての僕に見えたのは、ただ、広島の人々は毎日のようにこの広電に乗って、勤務したり登校したりしながらも、ときどき戦争や夕食のことを考えたりし、そしてこの電鉄というのが百余年ほどつづいたものであった、ということが概観されたのだった。
ジェノサイドを訴えたいというより、ただ人々というものは考える総体であり、そこに必ずまつわってくる日常というもの、その中に、この広電があった、という事実だけが俯瞰されるのだった。
僕が眺めたその俯瞰の光景は、それでも百余年もあったが、それでもそれは、やはり全体の歴史としてはほんの一瞬だった。そしてその中の一瞬に、僕は今ここで出会っているわけだ。しかし一瞬といっても、ほんの一瞬の世界がどれほど実は豊饒なものであるか? なぜなら、それはある程度の時間(⊿)というものをまとっているからだ。たとえば、ホームに佇んでいると、向うから、反対から列車がやってくる。それはちょうど編輯された地上の任意の或る一点のムービィーを見ているかのようなのだった。
富山地鉄とか…
こんなふうに駅舎の中も大昔の叩きと木造の駅務室だけなのを見るに、それが今このままにここにあるのは、人々がそれ以外のことに沈思黙考し続けた結果なのではないかと僕は思うことがしばしばある。というか、縦令それが最も陳腐たる回答たる、経済的なものに因るを述べるにせよ、それは人々が他のことを考えていたという回答を阻害するものにはならない。
僕は建物が古くてそのままにほとんど放置されていて、その中に人が住んだりまだ活用されているのは、きっと思想が内部で発酵しているからなのだ、と考えざるを得ない、だって ― もしそうでないなら ― 人はたいてい家を、住まいを設計するし、庭を美しく飾るものだ。
そして肝心なのは、その貴重な建物に本人は全く価値を見出していないし、ともすれば空気みたいにしか思っていないということだ。
意識 ―
なんでも意識したとたん、変な方向に行ってしまうというものだ。例えば、何気なく肩ひじ張らずなされていた無意識なものは、実は無常にありがたいものかもしれない。
こんなに言われたら駐めたくなる
僕はボロが好きだとか、味わいとかかぐわしいとかいうより、どんどん放置して最低限の改修だけする建物に関心を寄せるのは、着飾ったり見栄を張ったりすることより、考えたり、考えたことを基に実験したりすることの方がずっと長いからかもしれない。そして「もうこりゃなんとかきれいに全部やり直さなきゃ」というところになって、ようやく思考を現実的な方面に割くのだ。
だから校舎改築の話が入ってきている大学の先生は大変である。そうした現実の方面にも思考を回さなくてはならなくなるのだから。
ちょうど広島駅行が着きました
渡り線があるということは、折り返せるということですね
でもほんとに優秀な人は、たぶん、そうした現実的で物質的な決定と、自己内部の創作と思考をときどきはうまくつなぐことができ、論文や作品の発想の波も途切れないのだろう。
いずれにせよ ― こんな話が共感を呼ばなくたって、ノスタルジックであるとか、懐かしいというワードで、いろいろとつながれるきっかけが持てるはずだ。そう考えながら、今にも瓦屋根が崩れそうな駅舎を、地面に足をつけて眺めた。そう ― 現実の世界にいま、僕は戻ってきたのだ。そこではじめて、初夏の鳥のさえずりや、葉末の摺れる音が聞こえた。
駅務室のドアの前に駐輪するなや猫にえさをやるなの張り紙が、木造壁を汚してくれているが、それもこの建物を意識していないことの顕れだ。しかし ― それでも猫にえさやったりする奴がいるわけだ。そうした反抗の精神は、何か人間のドラマの対立だった。エスペラント語が普及しないのは、一つの方向に統合しようとすると、人間は離散的に動くということによるという。たぶんそうして我々はその命脈を保ってきたのだろう。
世界が一つの方向で動くべきだと権力者が考える場合、何かの前夜になると考えるのは自然で、順序だてて考えれば、次にどんなことが起こるか当てるのは、実はそんなに難しいことではない。それが難しいのは、明らかな事実が総体に対し秘匿されているからである。総体に対しそれが秘匿されつづけると、その総体は破滅する。
そうして1945年に日本はいちど確実に滅びたのだ。
ただただノスタルジックである
初夏の夕暮れはさわやかだった。広電の鉄道音さえ、かわいらしいものに聞こえてくる。どんなに考える人だって、何も考えない旅行の時間があったっていいではないか。だって、もう地上にいま、こうして舞い降りてきたわけなのだし。僕は改めて、広島のとある街の旅を楽しみはじめた。この最後の街での滞在時間を利用して、銭湯に入るつもりだ。われながらいい計画だと思っていて、ちょうど廿日市に銭湯があってよかったと思っていた。
今は静まったスナック街を歩き切ると、2号を掲げた国道に出合えた。クルマで旅したらこんな道を延々と進むのかなんて夢想する。
本来的国道はそのわかりやすさは抜群だけど、生活道路として使われているところも多く、流れは緩やかか渋滞しがちだ。
さて、印刷してきた地図と情報によると、藤の湯の場所はかなりわかりにくく、夜間ならもはやわからないほどだという。地図を読むのが好きな自分なら大したことではないだろうと思いきや、本当に見つからない…歩き回っていると、たぶん車が入れないような道の奥にあるんだろうなということだけがつかめた。そういえば地元の銭湯もそんなところにあったっけ。昔からの銭湯の場所、夜間に初めてなら絶対見つけにくい説をぜひ立証してみてほしい。
で、適当にアタリをつけて細路地に入って右往左往していると、とつぜん広くなって空き地になっていた。
「つぶれたか」と思いきや、その奥に湯の文字を書いた扉を2つつけた民家があるではないか! しかし! 営業していなかった。廃業しているようだ。近づいてみたが、ひと気もなく何の音もしない。いかにも旅行者の恰好で廃業した銭湯にまだやっているかと訊くのは情報に遅れたみたいで恥ずかしかった。
(注:web上のデータもまだあいまいな時代で、外で好きなだけネットができる回線もほとんどの人が契約していない時代。)
でもあまりに悔しくて、ふらふらと歩いると、あるお宅で庭先にお父さんが出ているのを見つけた! 銭湯からは割ともう離れていたが、訊いてみよう、と。
「すみません!」と遠くから声をかけると、びっくりしたような顔をして凝然とし、こちらを見る。敷地が広く、話しかけるにはこちらから近づいていくしかなかった。その間、お父さんの硬直はますますひどくなる。
「あの…この辺に銭湯って、なかったですか?」と訊くと、少し表情を緩めて、
「あぁ、もうないね」
とだけ返事をいただき、この界隈を後にしたのだった。
銭湯の廃業情報は本当にネットでも得られにくかった。地元の人でも「えっ、あの店つぶれたの!?」ということがよくあるように、地の人だからといって何でも把握しているわけではないことは実に多い。むしろ誰の近所にも一度も足を運ばないような店は多くあるというものさ。
このときは総合的に判定して、もうされていないようだった。ほんとここで入浴出来たら後が楽だったのだが…
アーカイブスにしまわれたかつての「駅前銭湯」のサイト
正直言って、2010年代にもなるともう駅旅しながら駅前銭湯に入って駅寝するみたいな人はかなり少なくなっていて、もはや時代の遅れの感もあった。もともと山屋発祥の手法だけど、登山ブームはもっと前にしろ、やはりピークは90年代~00年代前半あたりが最後ではなかろうか? それでもそんな営みの命脈をつなぎたくて、ずっとつづけていた。こういう旅行史は、残されないことも多い。
いや、いいんだ。自分にはまだこんなスタイルを継続できる気がしていただけだ。そして、それがやりたかったのだ。
廿日市駅に戻ってきた。もう日が落ちて、駅の人模様もかなり落ち着いていた。風呂は? そう、ね。実は…ここがダメだったときのために、岩国で入ることを考えてあった。あそこは3件も銭湯があるから入れないということはなかろう、と。ただ到着時刻が20時とだいぶ遅くなるので気が進まなかった。