芳養駅
(紀勢本線・はや) 2010年2月
ここは紀勢線の途上のとある小駅だ。南部で椰子の紺碧海岸に見惚れて、お昼の温かさを味わったが、ここに来ると急に昼が深まった。なんでだろな。
ここも例にもれず数段降りて、白い木造舎だ。海を免罪符とするなら、こういう駅がいくつも続くのはいいことだ。その典型らしさは観洋の暗示なのだから。
光はまだ濃い黄色だが、もう風が冷たくなっている。
プラットホームはただ湾曲し硬く、前栽は枯れるか荒れている。来た方の短いトンネルや、山側の擁壁は黒ずみ、旧近代の思い切りのよい線型のようで、その駅の名に相応しく、くろしおが飛ばしていく旅情が宿っていた。なにか滋養強壮を思い起こすのは、鰻のせいだ。
「こんな駅にも降りたか」
ホームの待合もぼろくて、こんな停車場にも例の椅子、長椅子に脇息二つのがあり、ようやくここでそれが世界遺産指定のときに各駅に一気に設置されたものらしいと気付きはじめる。「それで世界遺産とか書いてあるのか」。ちなみに、ここの椅子は和歌山らしく一部破壊されていた。
でもこんな椅子でも絶大な効果があるなと思う。錆びれた駅にあると逆にそうなのだった。民営化に伴うJRのロゴシールもここに分類されよう。
階段を降りる前から、駅舎の上框が迫ってくる。中は木材の傷みや落書きで荒れている。扉がどこにもないせいもあるだろう。そのせいか児童の書き初めを展示していた。はやえきをきれいに、のクレヨン画もある。
「そういえばまだひと月前だな。正月だったのは。」
書き初めは、初日の出で、紀州の海の子だなと思う。
駅前は手に収まるようなもので、すぐ四十二号が走り抜けている。しかし立ち寄る車などない。
近くでは有田みかんを籠売りしていた。箱でも売ってる。こんなに買う人があるのかと思うほどだ。しかし、あの書を記した子らは食べそうだった。年寄りのなぐさみでも、何でもよくて、紀州は紀州でいてほしい希いのようなものが私にあった。
傾きつつ、芳養駅前、との看板が、信号に付けられている。古い国道。死に号線とはこんなよりカーブの多いことを指したものだが、ここでもスピードの出しようから怖さが十分うかがえた。どうも飛ばすようだ。海を見に出たけど、漁港、しかも工事中で、何もない。いやはや、と言葉遊びした。でも疲れていたので見どころが出会わずほっとした。ここは南部と田辺の間で尾根に挟まれているが、どうも漁師町のようだ。その四角な港に生け簀を想って立ち去る。
近くに中華料理屋としまむらがあり、冬らしく思った。駅旅で寒くて服が欲しいなら、ここで降りるのも手か。一時間ほど列車を待って、紀伊田辺に出た。しだいに客が増えはじめている。