広島駅―新幹線駅舎改札外コンコース
(山陽本線・ひろしま) 2011年5月
ちょっと古いスタイルながらグレードを感じる新幹線改札内を堪能した後、出口改札から出た。前から気になっていた、細い通路を探索するためだ。
フロアの構造は複雑なのだが、その要因となっているのはまさに、幹在それぞれの改札内という区切りを、普通のビルのフロアに敷いているからだろう。そこに隙あらばという感じで大小店舗が入り込み、おまけけ改札内外にまたがる店もあって、鉄道という無窮の移動手段とレストラン土産街の融合した、ちょっと夢のような空間になっているのだが、これは1970年以降、どんな旗艦駅も志向したことだ。けれどそういう古さをまったく感じさせず、いまも生き生きしているのがこの広島駅新幹線駅2階だった。
そんなここには、駅の中だというのに人通りも少ないとろこにも店があり、駅の中だというのにもはや隠れ家的な店だといえるものすらあって、ほんとの街のようでもあった。
壁と窓に挟まれた、圧迫感のある沿いの細い通路を歩く。そんなところも少なからず人が歩いているのだから、まさに毛細血管に至るまで血液が通っている感じだ。
今は職員の福利施設として機能しているのでしょう。
改札前コンコースに戻ってくると、やはりこっちが駅前側かなと思ってしまう…これだけ充実した裏口駅舎というのもなかなか見かけない。パリ風のテラス席のある喫茶店やマクド、お好みの店に鉄モの店となかなかに濃いコンコースだった。改札内にはマツダの車も上げてあったしなぁ…
とかく、旅行していて楽しい駅である。
世界中の主要駅やその近くにあると思えるマクナルは信頼の証?なのだろうか? 遠方からの旅行者の安心感を価勝ち得る国際ブランドには驚嘆せざるを得ない。そんな僕も根駅の写真を一通り撮り終わったらあそこで食べよう、と心に決めたくらいだ。しかしそれでは、その他の店は陰に隠れてしまう。そんな店の方を選ぶのが、自若泰然とした旅行者というものだろう、けれど軽食と食事の中間様式を支配したあの手軽さは圧倒的な支持を得ている。
窓から裏手の広島鉄道病院を眺め、鉄モに群がる女児たちや、その店に群がっている、早くもその傾向のファッションを身にまとった男児たちの姿に初夏の休暇的天候を想い、僕は地べたに座る団体旅行者の脇を過ぎた。麦秋好天にはなにかこう、平日を休日の空気感に変えてしまう力がある。営業回りをしていても、社内で資料を作っていても、だ。それは僕たちの心の中に、四月という始まりだしたスタートがひと段落し軌道に乗りはじめて少し余裕が出てきたその幾度もの経験が関係しているともいえそうだがそれはあくまで思念の範囲だけのことだろう。あの天窮にはそんな一つの国の制度を越えるくらいの、ひとを幸福にする力というものがあるものだ。
芸術家たちののピークというのは意外にももっと早くに来ているという通念は、ちょうど我々か灼け出されるようにして旅に出始める真夏というのが、すでに日が短くなり始めて久しく、もうその気候も実は瀕死の体だというのに相似する。
だから僕らは本当は夏を待つ必要もないが、その時の体力は、残しておかなくてはならない。
大規模なものならそういう設計したのだろうなと思うけど、こういう個人的なものはすごいと思える。
写真撮り終わったら食べようと誓う…
在来線改札
早くしないと昼を過ぎてしまうだろう。裏表をつなぐ唯一の古びた地下通路を経て、市電のある駅前に戻ろう。ところでこの地下通路が、駅改築が決まった要因の一つでもあった。つまり、表裏の行き来がしにくい、ということだ。けれども人というのはやれるようにやるというものだ。緑の床面の細い通路を、人火度が往来しているのは、逞しくも不思議な感じだった。
その地下通路はこれしかありません