広島駅―在来側駅前
(山陽本線・ひろしま) 2011年5月
はじめての広島駅前は高揚する陽気と緑風によって彩られていた。ありきたりな二つのエリア、つまりタクシーと自家用車それぞれのエリアが陣取っているが、それぞれの地方で味付けされ、ここ広島も独自なものになっていた。二つのエリアの間には樹木帯があり、そこでは昼から缶ビールを煽っている、初老をとうに過ぎた広島県人が鋭くにらみを利かせている。一方鳥の巣のような屋根のある地下道入口は、清楚な広島ファッションの成人女性が談笑しながら歩いている。
どうみても二つのキノコ雲といったような ― ステンレスのオブジェから胞子を垂れ飛ばすような噴水は、どんなインテリのニヒルな嗤いを誘う一方、真面目な人には信心深く鎮魂させる。こんなにインパクトのあるオブジェもほかにないだろう。広島に来たら原爆のことを思い出させずにはおかない ― それくらいの気概というものは、やはり必要だ。
よく観察すると。不自由な人も散見される。いまだに後遺障害で苦しんでいる人も多く、国からは特別な医療制度の対象になっている。
麦秋好天の祝祭性のなか、くっきりと影を描く広島は、多層な時代要素と広島人気質とであきらかな個性というものを、駅前に人模様で持って描き出していた。
広島の特色として、ここが中四国の都、という点がある。いわばハレの舞台でもあるのだが、それは駅内のてんぽの多さや解放感からもうかがえるものだった。人口は100万人を超え、海辺まで市電が今もひっきりなしに走っている。地下鉄に走らなかったことは、今となっては功を奏しているだろう。
しかし駅前を取り巻くビル群は、中四国のみやこにしてはやや小規模だった。中心部は別のところにあるにせよ、これは今後開発をまぬかれないだろうと直感する。旅人は市電に乗って街を巡ればよい。けれど資本は常に行き場を求めている。それが借りた金だというのに、だ。
日本旅行の魅力の一つに、高度経済成長期の足跡をたどるというのものがあり、それは一つの主要なテーマになりうる。けれど一度達成した到達点を越えて、さらに開発の手が加わることは、本能的に消費者側に、消費というものについて疑問を抱かせるものとなるだろう。最終的には、真に必要な資本の行き場に資本は回らず、為政者と財界側、そしてそれ以外の人々との間に反感が起こる。
いっぽうで、所有者は問歳を取り、受け入れられない体制のまま、経営を続けることにもなる。しかし問題は消費することそのものなのだから、問題が変わらない。
我々の街は消費する装置としての砂漠に向かうだけなのだ。
いっぽうで、広島だというのによくこのままでやって来たな、と思わせる一景もあまたあった。土地としてのポテンシャルを秘めつつ、今は懐かし気な店がとこどころひらき、或いはシャッターを固く閉ざしている。
広島の市電の横切る大規模な交差点は、何か怪しげな建物が数多くあった。ナショナル会館なるものは、ガーデンの絵柄の広告塔を壁や屋上に張り付け、パチンコを運営し、あるところでは消費者金融のネオンが頭を擡げる。不思議なものの冒険はいつも、時間制限付きで、あるときは境にそれは再開発の対象となる。僕が旅人として不思議さを求めていたのは言うまでもない。そのことと、消費を促す色気を出した再開発とを、僕は重ねた。
しかし、人の注目しないものほど、視ておくべきだろう。何気ないぼんやりとした全体感、空気感ほど、人の注目しないものもない。そしてそれは、人の手を介してでしか現れえず、何度ストリート・ピューを見返しても、まったく追体験ができないのだ。
深々と影を差すビニルの軒は、青や赤で、それは闇市の発展形だった。そしてコンドームの自販機を撮っていたら、薬局屋のおやじにじっと見られていたのに気づいた。やはりここは要注意なのかもしれない。過去に作った負債は確かに当時の市民には助けとなり、しかし今はエアポケットのように忘れ去られ、深く歩くと非合法な雰囲気を漂わせていた。
そのエリアの黒い影の中で、コカ・コーラの自販機がぼんやりと明かりを放っている。ある迷彩ズボンの男性が ― さして屈強ではなく、シティーな体形だったが ― そこで足を止めて一本買っていく。わざわざここでなくともよいのにと思うが、人の足を止めるものがあるのは確かで、それはストリート・ファイトの世界でなんとか切り抜けたところに、一抹の休息を与えてくれる感があった。
彼は彼を襲う異常事態には果敢に戦うだろう。しかしあっさり負けたその遺体は、素直にそこに横たわるだろう。
焼肉、ホルモンなどの店が押し犇ぎ、ガンガンに或る音楽がかかっている。お稲荷さんのところだ。こういう賑やかしでもないと、危険な雰囲気でこのエリアに入る気も起きなかったかもしれない。歩いている人はほとんどおらず、歩いていも、利便のため通過する人だ。
ナショナル会館なる、あのイギリス・ガーデンの広告晩をそこら中に貼り付けたパチ屋の前を過ぎ、駅ビルを望むところに来た。およそ全貌を把握できるものではなく、横浜駅みたいにそれは駅というよりむしろマッシブな横長の建造物でしかない。不思議なもので都市部の代表駅ともなると、ローカル線のホームだけの駅に類を一にする。あの最も駅に見えない駅の一味というわけだ。
垂直方向に出現した街は、今にもはちきれんばかりの趣きで、ため込んだ消費力を今に拡散せんとするようにとらえられた。
現代的な神殿ともいうべき地下広場に入る。白亜の空間はアーチとギリシャ風の柱でかたち造られ、初夏の一介の旅行者の眼を喜ばせた。旅人というのは豪華の者を目にするとうれしいのだ。ただの公共物だが、僕のような若輩者には、これでも十分なのだ。
しかし地下街は発達していなかった。人口が100万人を超えると、地下鉄と地下街が生まれはじめるのだが、広島はそれを古式ゆかしく、今見直されている路面に譲ったのだ。コンサートが開けることも想定した造りだが、今はもっぱら修学旅行生の集合場所となっているかもしれない。けれどこの広場はとかく便利で、駅前のややこしいところを歩かなくても、そのまま猿猴川を渡る駅前大橋まで出られるのだ。
青いサインが白亜の空間に合っている。
でも地下鉄より市電の方がよい
中四国の都だから当然か…
プラットホームみたいになっているバス乗り場を経て、広島駅ビル入口まで戻って来た。おあつらえ向きにも鳩が群れ、脇の緑樹帯にはハンチングかぶった酒焼けした広島人が睨みを利かせている。原子雲の噴水は夕日を反射し、僕の一日を閉じようとしていた。
待ち合わせ場所ですね
平和としか言えないところが、つらいところでしょう