今庄駅

(北陸本線・いまじょう) 2006年8月

  人をだらけさせる暑気と黄金色の光さす中、王子保からステップを上がって旧寝台の列車に上がり込んだ。焦茶色の床や黄色いカーテンなどで中はくすんで、罅割れた光が差し込んでいた。車内を複雑に仕切った壁と床の繋ぎ目には、黒くなったものが こびりついていて、ぜんたいに中は、埃の古い匂いが鼻をついた。そういう車内の各座席には まんべんなく客が座っていて、多い方だ。しかし学校帰りの子も、仕事帰りの人もおらず、自由な身なりの人がほとんどで、子供は少ないのに、夏休みの感じがしている。
  あたりは少し険しいめの里山に囲まれている。しかし少しも深刻さや、陰惨さがなく、魅惑的だった。おりしも山吹色の陽の色があたりを満たしていて、そのような風景を、古いカーテンの掛けられた大窓から覗いていると、寝台車で北陸のはじまり辺りを走っていると思われて、北陸旅の端緒に付いたときの気分に浸れた。

  この列車がそこで終わりだというのを、今庄に着く直前になって知った。作業員などもういない、線路敷きの広い構内を眺めながら車掌の放送を聞いていると、この列車は折り返し芦原温泉行きになり、次の敦賀行きの列車まで少しばかり時間があるとわかった。それじゃ、ちょっと今庄で降りてみるしかない。それにしても乗っている人はみんな今庄で下車するんだろうか。だってここで待つなら一本後のに乗るのと変わらなかった。
  さて、今庄は広く人の聞き及ぶところとなっている豪雪地帯であり、今も除雪の基地になっている。ここから敦賀に向かう旧線は非常に険しかったため、機関車付け替え基地にもなっていたのは、あまりにも有名な話だった。

この駅のホームは細め。留置線の分スペースがなかったんだろうか。

3番線に停車中の乗って来た列車。今庄折り返しは珍しいと思っていたが、このときから1日1本で、しかも今はなくなってる。

山が深い。

  列車からはけっこうな人が降りたが、駅に残ったのは十人ほどだった。
  中が真四角の薄暗い跨線橋にいると、冬でもここだけはこの風景のままだったと思い当たり、そして気塊から、ここ今庄にも夏が来ているんだと思えた。また、夏ながら、鉄骨の芯には冬の冷たさを残しているという気にもさせた。外を見回すと、やはり天然の吹き溜まりらしい地形で、山容のいい小さな名山たちがのけぞっている。またそれらは緑盛んな円錐の曲面をみせていた。旅心地させる開放感ある雪国的な谷底平野で、宿場町や保線基地などの足止めには、いかにももってこいだ。しかしこの平野も嶺北上り最後のもので、どんづまりだった。
  機関区は、広くなく中くらいで、権威的ではなく、それに旅客の使う部分、ホームなども狭かった。ただし、歩いてみたが、ホームはとてつもなく長い。煉瓦給水塔などは駅を出てからのほうがよく見て取れるものだった。

跨線橋内にて。

 

敦賀方を望む。

階段を降りて。「駅長」の下げ札になぜか緊張する。

  一人で足音響かせ、会館じみた階段を下りていくけど、改札も待合も見えていない。 下(お)り切って、曲がった先にすべてあるのだ。このどきどきの感が、今庄駅の駅舎だといつも思う。回れ右すると、改札窓口の中には五十後半くらいの愛想よさそうでふくよかな女の人がひとり忙しそうにしていた。待合にはテレビも点いているし、スペースを広く取って菓子をいろいろ売っている棚があり、そこにも一人 六十くらいの細めの女の人がいて、営業中だった。「まあなんと温かで家庭的な駅なんだろう」と感心してすっかり籠絡された。今庄ってこんな駅だったんだ。町の人の作品や写真、散歩コースなどの紹介もあって、駅の古いか新しいかなど、陳腐な争いだと首肯させられた。でもここがこんなふうに人々の想いが詰ったのは、コンクリートのつまらない駅だからこそだったからだろうか、という考えも差したが、ここは仮に建て替わっても、新しさにかまけるようなところではなく、宿場町、蕎麦の町、スキーの町、除雪基地の町で、一見するとかつての寒村と見えそうだが、潤沢な文化があるところなのだった。

きっぷ箱周辺。いつも見かけるのより大きめ。 さっそく町の人の展示などが現れ、この駅の性格が発散されている。

これが改札口。

駅舎内にて。タッピーというお店がある。 菓子以外にも、箱詰めのお土産品がおいてあり、 今庄帰りにはよさそう。ちなみに閉店するとS字型にシャッターが引かれる。 何時で閉まるか書いてなかったが、早い方な感じ。

出改札口。簡易委託だがそう見えない。

初めのころは2,3回間違えたのだが、右手からは改札内には入れない…。 ちなみに右手は今庄宿の写真などが飾ってあり、なかなかよかった。 窓口が開いているときは、券売機ではなく、窓口で買いましょう(張り紙より)。

シャッターがかなり立派だった。

  改札に、荷物を背負った三十半ばくらいの男性が現れ、そこで待合室を眺めまわしつつ、改札を越えてもいいものか思案していた。男性は綜合的に判断し、いいだろうと考えたようで、こちらにやって来た。ここはいちおうちゃんと改札もしているのだが、出札が基本で、出入りに関しては緩く、なんだか旅客を信頼しているところの感じだった。
  その男性は待合室をなんとなしに見回して、それから椅子に座ってテレビを見はじめた。
  店で物が売れたとき、高齢の女店主がしわがれ声で、「あ、釣り銭がないわ、また用意しておかないかんわ」と出札に声掛けると、ふくよかなおばさんは「はいはい」とばたばたして、よっこらせと身を乗り出して「これ」と手渡した。
  ここの店はキオスクのように品物の鎧を纏っておらず、湾曲した棚があるだけの、開放的な店だったのだった。

駅を出て。

今庄駅駅舎。

  見上げる里山らは大きく両手を広げ、初対面の人に対等に会うときのように高貴な微笑みを湛えていて、駅を出た私を迎え入れた。背丈ある美男子の森に取り巻かれた地に身を置いているようでもあった。雪渓ある岩山などではないが、それはここでは反って通俗的もののようだった。ここは宿場町という認識が主なのだろうけど、駅はちょっとその雰囲気を醸すものを置いてみただけで、中山道沿いの駅のように、ことさらそれを表したものではなく、さっぱりしていて、こういうところは、私に合っていたし、そして北陸らしかった。しかしここは山あいの平地のはずなのに、少しもうっとおしくなく、駅前は広がりがあって、頻繁な自動車の往来とは無縁だ。代わりに北陸特急がしょっちゅう走り抜ける。いっぽう、集落は細道で、さっそく赤茶けた消雪装置が走っていた。民家を一軒一軒眺めていると、夏の屋根の重さでさえ、毎冬恐ろしいほどの雪の重みと同じくらい重いように思われ、またもやここでも、冬が消え切っていないかのようだった。

舗装がパッチワークのようになっているが、けっこう広くてバスも転回できる。

今庄タクシーの建物。

駅の隣にあるスーパー。

こういう外観がけっこう好きだ。

観光案内板。積雪を考慮して、屋根が丈夫そうだ。

給水塔と作業台。作業台の柱もレンガ積みになっていた。

運転士からわかりやすそうだ。

近くに朽ち果てて残っていたJRバスのバス停。言うまでもなく、すでにJRバスの路線はここにはなく、とっくに廃線。旧線の代替バス路線だったのかな。

かなり立派な駅庭。冬季は雪で埋もれるのだろう。

けっこう奥行きのある駅本屋だった。

近くの山を凝視したら、こんなものが。 一瞬、北陸新幹線のトンネルかと思ったが、 まだここは着工していないんだからありえない話だとすぐ打ち消す。 それ以前に坑口が高すぎるが。後で調べると、これは珪石の採掘場だったので、その鉱床への坑道を掘ったものなのだろう。

採石場になっているのは焼尾山(517.8m)。

  駅のすぐそばにまったく目立たないスーパーがあるのだが、そこに車が停まって、若い感じの夫婦が降りてきて、店に入っていった。駅舎周りの数段には、乗り継ぎ待ちの四十を越した男性と、浴衣姿の若い娘さんが二人して座りながら語らっていて、自然と興味を持った。寂しい駅ではなく、何かと人集まって来そうな駅前だった。
  男の方は二人で座る前、腕時計を見て少しためらいながら、販売機で飲み物を二つ買って、一つを娘に渡した。それからというものうちわで仰ぎながら、ひとしきり話しこんでいる。夏祭りに行くのだろう。だから、母とではなくこの二人だけなのには、何か訳があるのだと思われた。
  次の列車までは30分もなく、二人の座っているそばの数段を上って、私は駅舎の中に入ったが、名残惜しむかのように、待合室の椅子に座った。それからぼうっと店や改札の人の立ち振る舞いを眺めるともなく眺めていた。
  誰かが改札窓口を通りかかって、敦賀までとおばさんに言うと、その人は、「え、敦賀? …敦賀って、もう出るよ! 中で買ってえ中で!」と、たいへんな事態が発生したかのように、送り出した。私はそれを聞くと、慌てて階段を上った。列車遅らせてもいいかなと思っていたが、その台詞を聞いたら、そんなことするものではないような気にさせられて。
  ホームへ駆け下りると、十数人の人が待っていた。列車が遅れているようだった。さっきの浴衣姿の人はすでにいた。ちらっとそれを確認したら、もうそちらは見ないで、列車が来たら私はそのまま乗った。
  それにしてもあの駅にはもう一度来たいな、と思いつつ列車に運ばれる。今度来たら、駅前の変わっていないのをちらっと確認して、旧街道についての掲示物などを眺めて、あの店で何か買い、座布団のある椅子に座って食べたい。そうやって休みたくなるような状況、つまり、北陸の旅行から帰るときに、立ち寄るのが理想だな。
  偶然あの浴衣の女性と同じ車両になっていた。つい視線をそちらに飛ばした。しかし、二人はまったくそれに気づかず、自分が信頼されている気がした。男はうちわ振り振り静かにしゃべってときおり女に微笑んだりした。いつも話し声の小さな二人だった。いつの間にか北陸トンネルを走っていて、敦賀に着いた。蒸し暑い夕暮れのホームは意外にも雑踏だった。ほかにも浴衣姿の人がいた。降りた浴衣の女の人は、その男から離れいてき、なぜだか浴衣の群れに紛れていくようだった。他人ながら、もう会えないという気持ちと、一人残ったあの男の心の乾いた寂しい諦観が、私に憑依した。急に、さっき降りた駅の、あの出札の朗らかな人に、今度降りて会いたくなった。そして、あの駅にいる人だけに、あすこでならまた会えるという感覚は、欣びを感じるものだった。それに、あの駅に行けば浴衣姿の女性の影にも出会えそうだ。とくに、あの娘さんのそばにあった喪われた感じを埋め合わせる人として気付かぬうちに捉えていた、中年の、女あるじ務めるているような、家庭的な駅では。

夏のきらめきみなとまち─敦賀駅から敦賀港駅をめぐり金ヶ崎城跡から海を望む小旅行 : おわり